焼け跡のイナズマ
一
国破れて、山河もなし。あたりいちめんの焼け野原です。
けれども人はたくましいもので、もう道の両脇にガラクタでもって小屋を建て、その屋根の下でガラクタを売っています。
私は銃が欲しいのでした。銃をさがしにここまで歩いてきたのです。ここならきっと売っているに違いありません。私は体にぼろ切れをまとって独り、市場をうろうろしていました。だれも私の方を振り返らないのは、みんな同じかっこうをしているからです。ずっと行きかう人を見ていると、なんだかみんな仮装をしているように思えてきます。ぜんぶ、冗談なんじゃないかしら。
「おい、きィつけろい。」
後ろからドシンとぶつかってきたのは、ガタイのいい元兵隊さんでした。軍服のそでとズボンをやぶって短くして、腕毛すね毛むきだしで肩で風切り歩いていきます。市場の人みなお辞儀をしていきます。私はそのオジサンの姿かたちをしっかり覚えておくことにしました。
「あのおじちゃん、名前なんてェの。」
「サブ。」
赤ん坊を背負ったタバコ売りのおばさんは、短くそういうとサッと私から顔をそむけました。
「もうちょっと訊きたいナ。」
私は懐から米の入った袋を出して、おばさんに見せました。
「なにをだい。」
「ここら辺でいちばんは、サブさんなの。」
「ちがうよ。ヤスさ。」
「どんな人。」
「あんたねェ、そんなこと訊いてどうすんだい。」
袋をおばさんに押し付けました。
「ヤスは、こわいよ。」
「どんな人。」
「なにをしてるんだか、得体が知れない。でもとにかく、いつも忙しそうにしてる。」
「どうすれば会えるの。」
「夜中、工場に行ってごらん。」
私は軽くなった体で飯を売っている店に行きました。牛や豚や鳥や犬や猫をいっしょに煮た大きな鍋の周りには、早口でおしゃべりする中国人、歯の間の肉を爪でこそげている朝鮮人、空の椀に顔を突っこんだまま死んだようになっている日本人、ココハ、ヴェリイダーティーなんて言いながら笑ってすれ違う娘の尻を叩くアメリカ人。いろんな国の人が混ざっていました。
「一杯ちょうだい。」
「お嬢ちゃん、お代は。」
私はさっきのタバコ屋でくすねてきた銭を鍋屋にわたしました。熱い、毛の浮いた臭い汁がなみなみ入った椀をもらって、それをふうふうしていると、アメリカ人が、
「ユーラブミー?」と訊ねてくるので、
「ノー。アイアムワイフ。」
「ユーストリップ、オーケー?」
「ノー。アイハブベビー。」と適当にあしらうと、今度は中国人が、
「どうですかね、いい仕事があるんですがね、どうでしょう」と上手な日本語で話しかけてきたところに、死んだようになっていた日本人が、
「話をきかせてくれ。」とすがりつき、二人はそのままどこかに消えていきました。
朝鮮人がチッと舌打ちしてどこかへ去りました。
お腹もふくれたので、とりあえず人気のない市場のはずれまで行くと案の定、浮浪児がたくさん集まってきました。
「なにさがしてんの。」
私は銃、とはいわずに、
「寝れるところ。」
「ガイジンと?」
「スケベ。」
「宿ならあるよ。こっちに来な。」
そこは焦げた木を組んでつくった粗末な寝床でした。浮浪児たちはより集まって鼠のように寝ていました。
「どこから来たの。」
「北のほう。」
「なにしに来たの。」
「おいしそうな匂いにつられてきたの。」
「嘘だね。腹が減ってる顔してない。」
「さっき食べたから。ネェ、ヤスって人知らない。」
奥のほうで黙っていた大きな子が立ち上がって、
「おれがヤスだ。」
「あら、あなたヤスさん。こんにちは。」
「何の用だ。」
私は思わず笑ってしまいました。
「なにがおかしい。」
「ヤスさん、ずいぶんお若いのね。それに暇そうだし。こんな娘の用件なんか訊くほど。」
「あんた、ヤスさんに何の用だ。」
「別に。直に話すわ。」
浮浪児たちは小声で何か話し合ったあと、すばしこそうな一人がどこかへ走っていきました。
「ねむいわ。ねていい。」
「度胸娘め。ねろねろ。」
あくびが出ます。うとうとしてるうちに、眠りにつきました。
夢を見ました。寝ている私の顔をのぞき込む背の高い影があります。
「お前が噂の娘か。」
影はそう言って、少し笑ったような気がしました。私は思わずふるえていました。
「起きろ。」
もう真夜中でした。大きな子が、
「ヤスさんは工場にいる。」と言ったので、あわてて飛び起きて、
「案内してくださる。」
「いや、ひとりで行くんだ。この道まっすぐいくと烏の群れてる木があるから、そこを右に曲がって歩け。」
「はいはい、烏の木ね。りょうかい。」
浮浪児たちへ盗んだ残りの銭をぜんぶくれてやると、私は工場へ向かいました。
途中、鍋屋で見かけた朝鮮人とすれ違いました。こちらに気づかぬそぶりをして、すたすたと市場のほうへ歩いていきました。
しばらくして烏の木を見つけました。死体がその木の根元に集めて置かれているので、烏がそれを啄みにくるのです。でも、カアカア鳴いているだけで怖くはありませんでした。そこを右に曲がってまたてくてくてくてく歩くと、やがて大きな建物が見えてきました。獣のうなり声のようなものも聞こえます。私はちょっと怖くなって、ぶるっと身ぶるいしました。いつからか、霧が月を隠して、ぼんやり工場の輪郭をおぼろげにしています。門の前で、
「ヤスさんはいますか。」
「誰だ。」
「宿をお借りした娘です。」
「入れ。」
中は思ったより寒々しく、物があまりありませんでした。真ん中で、十人くらいの大人がうなる機械を操作してなにかしていました。ヤスはすぐにわかりました。ひときわ背が高くて、蒼白い肌をした男でした。ヤスは機械に触れずに、あちこち歩き回って男たちに檄を飛ばしていました。
「ヤスさん、客が。」門番役が呼ぶと、ヤスはこちらに振り向きました。
鷹のような眼です。こんな眼はアメリカ兵にもいませんでした。私はその場で動けなくなりました。数瞬あと、ヤスは眼をそらして、あごで私についてくるよう指図しました。私はやっと自由になって後ろをついていきました。
狭い、待合室のようなところに来ました。椅子と机のほかになにもありません。
「名前は。」
「アキノ。」
「アキノ。ほう。アキノ。」
「うん。」
「アキノ。アキノ。秋の田のかりほの庵の苫をあらみ。」
「我が衣手は露にぬれつつ。」
「百人一首、ぜんぶ言えるか。」
「まだ半分くらい。」
「ぜんぶ覚えろよ。ナ。」
「はあい。」
「で、なにしに来た。」
「銃が、欲しい。」
「銃か。」
「うん。銃。」
「それでどうする。」
「殺すか、死ぬか。」
「そうか。銃はナ、高いぞ。」
「いっぱい働くから。」
「ここでか。」
「ここで。」
「おれたちがなにをやってるのか知ってるか。」
「知らない。」
「おれたちはな、本を刷ってるんだ。」
「エ、本。」
「そうだ。本。ちっちゃ本だけどな。」
「なにが書いてあるの。」
「世界中みんな、一致団結して、仲よくしようって話さね。言うなりゃ、世界平和さね。」
「あら、ステキ。ならなんで夜中にコソコソやっているの。」
「薬も飲むやつによっちゃ毒さね。この本が出回ったら死ぬやつもいる。」
「魔書ね。」
「働くか。」
「うん。」
私はこうしてヤスのところで働くことになりました。どれくらい働いたら銃をくれるのか、ヤスははっきりとは言いませんでした。
二
この感じだ。脳みそが凍りついたようなこの感じだ。あいつらがおれを殴るたび、なによりもまず脳みそがキンとする。そんなに強く殴らないんだ。いたぶりたいだけなんだ。肩を小突いたり、頭をはたく程度。でもそれがおれの誇りを傷つける。
学校の帰り道、長いのぼり坂ではいつも少し泣く。のぼりきったときにはもうなんにも残ってない。悔しさや悲しさ、感情はなんにもない。
家に帰ると、ばあちゃんだけがいてくれる。居間で時代劇を見ている。父ちゃんも母ちゃんも働きに出ている。ばあちゃんはおれに気づいて「おかえり」といってくれる。おれは泣きそうになるのをこらえて二階へ行く。
ばあちゃんは降りてきたおれの目が赤いのを見逃さず、「またやられたのかい」と言う。おれはしょうがなくうなずく。おいで。言われるまま、ばあちゃんの部屋についていく。
「これがうちの家宝だよ」
箪笥の隠し奥から桐の箱が出てきた。もう何度も見せられた、桐の箱の中身。鈍く黒く光る、一丁の拳銃。
「ばあちゃんがしんだらナ、トウマが守っていかにゃならん」
「なんで父ちゃん母ちゃんには見せんの」
「戦争知らんかんナ。あの子らは」
「おれも知らんよ」
「これから戦になったらどうする。丸腰じゃ困るじゃろ」
「戦争になって憎いあいつらもみんな死ねばいいよ」
「だから、トウマは死んだら困るじゃろ」
おれは拳銃を見た。ばあちゃんが小さいころ懸命に働いて、やっとの思いで手に入れたと教えられた。でもおれにはガラクタにしか見えなかった。
「弾がないべよ、弾が」
ばあちゃんはひるんだがすぐに、
「なあに、脅しには効くサ」
おれはそれを聞いてとつぜん思いついた。
「これ、あいつらに使えんかな」
「なに」
「あいつらこれ見たらぶったまげるべ」
「そんなことに使ったらあぶねえぞ」
「いまもあぶない目にあってる」
「そうじゃなくてな。まあいいや。やってみろ」
「いいの」
「気をつけろよ。ただの銃じゃねえから」
おれはガンマン気取りでズボンのポッケに拳銃しのばせ、アスファルトに積もる落ち葉の上を歩いた。まずはあいつからだな。とか、なんて言って脅かそうか。とか考えていた。
そうしたら、急にあたりが暗くなりだした。まだ夜にははやい。おかしいな。もっとおかしいことには、道の脇の電灯はつかずに、空だけ暗くなっている。もうまったく暗くなった。おれは自分が公園にいるような気がしたけど、なんにも見えないから、確かめようもない。
ガサガサ音がしたと思うと、長い脚がニュッと目の前にあらわれた。それから長い腕。そして最後に蒼白い顔。目の前には背の高い知らない男が立っていた。暗いのにその男だけははっきり見える。
「何してんだ」
男は背の低いおれを見下ろしながら言った。
「ケンカしにいく」
「ただの喧嘩じゃあんめえ」
おれはつい本当のことを言った。
「銃で脅す。これだ」
ポッケから取り出す。
「そりゃやめとけ。ろくな目にあわねえぞ」
「どっちにしろろくな目にあわねえ。あいつらおれを殴ってきやがる」
「殴りかえせ」
「もっと殴られんだろ」
「そのまえに半殺しにしろよ」
「おじさん、言うことが古臭いね。だれなの」
「いいからその銃よこせ」
男はのしのし近づいてきた。おれはなんだか怖くなった。
「やだ」
「いいからよこせ」
おれは後ずさりした。でもすぐ後ろの壁みたいなのにぶつかった。逃げ場がなかった。
「いやだ」
「あぶないから」
「くるな!」
おれはつい銃口を男に向けた。とたんに男の顔が険しくなった。おれはますます怖くなって、引き金を引いてしまった。
パン! と短い音がした。
おれはものすごい反動にひっくり返った。
「あっ小僧!」
男のほうを見ると、左手でおさえた額から血が滴っている。おれは命中したと思った。
「かすった。あぶねえじゃねえか。おらっ、革命パンチ!」
男はおれに右手で軽く拳固をくらわすと、くるりと踵を返して、
「これでもうしばらく弾は出ねえな。70年ありゃ拳銃にも魔がつく」
おれはそんな声を聞きながら気を失った。
三
ばあちゃんの遺品を整理していたら、古い小冊子が出てきた。『全国労働者団結宣言』。
ボロボロのページをめくると、写真が一葉、ひらりと落ちた。裏には「安二郎より」と書いてあった。
おれはわくわくして写真をのぞき込んだ。
あっ、と言ったまま、頭が真っ白になった。
眉間にぱっくり稲妻傷をつけた蒼白い顔の男が、こっちに向かってアカンベしていた。