反撃しました
投稿直後に、誤字・誤記発見(恥)。修正しました。
後書き追記しました。
蒼褪めた月が、妙にくっきりと大きい夜だった。
寝付きの良い私が、いつになく転々として寝付かれず、いっそ水でも飲もうかと、身を起こした時のこと。
お気に入りの、軽やかな極上リネンのカーテンが、優雅に揺れた。高級シルク程度なら、足元にも及ばない程の、特注品である。
(おかしいわね?窓は閉めた筈だけど)
わがゴドノフ公爵邸に、隙間風などあり得ない。
(幽霊?やだ、本当に?!)
一度会って見たいと思っていたのだ。悪霊でも、無害で無言なスケスケおじさんでも。
期待に満ちた足取りで、私は窓を目指す。
ここは2階で、窓の外には、優雅な石の手摺が付いたバルコニーがある。
(ふふっ、楽しみだわ)
幽霊を脅かしてやろうと、微かに波打つ縞模様のカーテンに手を伸ばす。
淡い黄色と優しい水色の亜麻布に、私の指先が触れるかと思う、その時。何の気配も伴わず、カーテンが割れた。
カーテンの影からは、ウェーブした黒髪が突き出された。おしゃれではない。天然パーマである。油断すると、爆発ごわごわモジャモジャである。
眼は、いつ見ても引き込まれる、美しい菫色。春の女神が祝福を与えたかのような、暖かく柔らかな瞳である。
「おいっ、婚約破棄されたくなかったら、今すぐ俺についてこい」
また、説明もなく、この人は。私は、最近貴方に張り付いている、あの男爵令嬢みたいに「頼もしいですわぁ~」なんて言いませんからね。
「非常識なお方ですこと。お帰り下さいませ」
「遊んでいる暇はない。来い」
「このように無作法な殿御は、存じませぬ」
「うつけ!早くしろ」
「人を呼びますよ?」
「あーもう、この石頭!」
ごわモジャが、強引に手を引く。そのまま窓に向かうので、
「ちょっと!寝巻き1枚で連れ出す気ですの?」
と、意見する。黒髪の人は、はっと立ち止まる。
「急げ」
「全く、なんですの?」
取りあえず、衝立の陰で、1人で着られる服を身に付ける。うねるごわ髪の男は、はしたないとか、公爵家の品格が、とか言わない。
王太子のくせに、むしろ率先して、何でも自分でやる。着替える、変装する、変装を落とす為に入浴する。証拠隠滅すべく、完璧に掃除する。そんなのは、序の口だ。
料理に洗濯、刺繍に編物、ビーズ細工に銀細工、木工、螺鈿、刀鍛冶に靴作り。鍬を持てば、熟練農夫。竿を手にすれば、巧みな船頭。貴重書の書写から、果ては石積まで。
何を目指しているのか。とんと理解が出来ない。
婚約したばかりだった5才の頃は、私は何でも彼の真似をしたらしい。全く記憶に無いのだが。
気をよくした3才年上の奇才殿下が、兄さん風を吹かせては、私にあらゆる技能を仕込んだ。私が真似しなくなっても、強要した。
困ったことに、彼の押し付けてくることは、いざやってみると、どれもなかなかに面白かった。
お陰で無駄に色々出来るようになってしまった。大体が貴族令嬢の教養範疇に収まらない技術だ。出来ることは、隠さなければならない。
「で、何がありましたの?」
着替える間に、事情を聞く。
「うん。大臣お気に入りを、婚約者にすげ替えるってさ」
私は、はっと息を飲む。
わがグリプノイ王国の婚約は、神託により定められた日時に、特別の儀式を行う。神託は、各カップル毎に行われる。王公貴族も農奴も同じだ。
儀式には、当事者2人の血と魔力が必要だ。しかも、その場で流した、絞りたてのみ有効。
破棄の手順も同様である。
決行日時の神託を受けるときも、当事者2人が特定の場所に行かねばならぬ。
つまり、逃げてしまえば、回避可能だ。
だが、それだけでは足りない。正統な婚約者として、認めさせなければ。
「俺、カチューシャしか要らないから」
「アリョーシャ」
感動で、息が詰まる。
秘術の使い手だか、聖龍の娘だか知らないが、大臣秘蔵の男爵令嬢なんか、お呼びでないのです。
「行くぞ。グズグズすんな」
「いちいち威張らないで下さいまし」
「とっくに追っ手がかかってんだよ」
「えっ」
私は、途端に焦り出す。アレクサンドル殿下の気配消しは、そんじょそこらの魔法使い共に、見破れる程度ではない。
それが、王太子宮から私の部屋まで来る、ほんの1時間程度の間に露見しているとは。相当の手練れである。
「大臣の野郎、異国の妖術師を連れてきやがった」
「次から次へと、悪魔の手先を!」
「行くぞ、こら」
全く、柄の悪い王子様である。
ガッチリ掴んで優しく導く手を、私は、想いを込めて握り返す。
銀蒼にさざめく光の波に乗ると、アリョーシャ殿下が飛翔する。たなびくマントは、星空の藍色。胸元を止める宝石は、私の瞳と彼の髪を映す黒。2人の血と魔力を注がれた、変わらぬ愛の証である。
わが国の婚約記念品を身につけるのは、どちらか一方である。男女どちらが着けるのかは、特に決まりがない。交代で着けるカップルもいる。
アリョーシャの性格からして、勝手に自分か私かを決めそうだったが、違った。
彼は、月の精霊にお伺いを立てた。
古代精霊魔法を私に教えてくれたのも、大好きなアリョーシャ殿下である。
大臣肝いりの、怪しげな妖術だの秘術だのが流行る以前、遥かな古代から、グリプノイの地に幸わう精霊の息吹。グリプノイの民は、その息吹を受けて生きるのだ。
精霊達は、言うなれば我ら王国民が命の親。
アレクサンドル殿下は、月の光が降り注ぐ夜、此の世に生を受けたと言う。彼は、月の精霊の愛し子だ。
私が産まれたのは、雨の明け方。私は落水の愛し子だ。
今、手に手を取って目指すのは、銀月の滝。そこは、古代グリプノイに於ける聖地のひとつ。アリョーシャの月と、私の落水が出会う場所。
「いざ反撃、だぜ!」
「怨敵討つべしっ!」
悪魔の手先を呼び集め、国を乗っ取る大臣から、王家と王国とを取り戻す。それは、私達の悲願である。
3年前、アレクサンドル殿下が、グリプノイ中央魔法学園に入学したとき、悪魔の浸食が始まった。
大臣が、氷樹の森から、オネーギン男爵家の末娘と称する、華奢な娘を連れてきたのだ。
シルバーピンクの髪をふわふわと漂わせ、愛らしい声を響かせる。蠱惑的な笑顔で、しなやかに若者達の社交界を泳ぐ。
彼女は、氷樹の森で男爵に託された、氷の神龍の娘であり、秘術を使うという触れ込みだ。氷の神龍とは何なのか、秘術とは何なのか、明かされない。だからこその秘術などと、嘯く。
「乱暴な話だよな」
「悪魔の力でごり押しなのですわ!」
オネーギン男爵家は、悪魔が住むと言われる氷樹の森を擁する、氷の大地を領地とする。先代は、氷の精霊の愛し子だったが、現当主は祝福を得る事が出来なかった。
特別の祝福を得なくても、グリプノイの民は、みな精霊の息吹を受ける。願いをこめれば、一時の加護を得る事が出来るのだ。
それだけでは我慢ならぬ、と逆恨みした当代は、森の奥にある禁忌の地に踏み入ったと噂されていた。
娘の瞳は、湖の氷のような青だった。その瞳で見つめられると、殿方もご婦人も、あっという間に虜となった。そんな娘は、つい昨日まで、グリプノイの地に存在すらしなかったのに。
精霊を忘れた貴人達は言うに及ばず、幾らかは精霊の加護を希う武人達までもが、娘の手管に絡め取られてしまった。それは、王家や我がゴドノフ公爵家にも及ぶ。
私達が、精霊の愛し子であっても、当時まだ16と13である。宮殿の古狸や、異国の悪鬼羅刹と渡り合うには、3年と言う雌伏の時が必要だった。
本当は、まだ万全とは言えない。しかし、相手は、婚約者すげ替えと言う、強行手段に出た。なかなか篭絡が叶わない殿下と私に、痺れを切らしたのだろう。
婚約も結婚も、またその解消も、王の許可と立ち会いが必要だ。婚約者すげ替えが実現目前となると、既に洗脳が進んでいた王を、完全に手中に納めたのは間違いない。事は急を要するのだ。
「永らく、辛い想いをさせたな」
「まさか!愉しかったですわ」
私達は、自称オネーギン男爵令嬢エフゲーニヤが、殿下を狙うに任せていた。最初は、私のことも取り込んで、譲らせようとしていた。だが、それが上手くいかないと悟り、自称令嬢は、戦法を変えた。
私のアリョーシャは、付かず離れず、上手く懐柔している。しかし、悪魔令嬢の手腕により、誘惑が、表面上成功しているように見せかけられていた。
「サーシェンカぁ、今日は魚卵パスタですのねぇ~」
殿下は無言だが、拒否もしない。エフゲーニヤは、勝手に隣の席に座る。椅子をさりげなく寄せて、ベッタリくっつく。
「あら、お嬢さん、そんなに詰めなくても、この学園には、たっぷりスペースがありましてよ」
「サーシェンカ~、ゴドノフさんがぁ~」
殿下は、やっぱり無言である。
「ねぇってばあ」
「何だよ」
たまに、反応する。
思わせ振りなエフゲーニヤの物言いにイライラして、続きを言わせてみようとしているのだろう。
「ワアー頼もしいですわあ」
エフゲーニヤは、アリョーシャの腕に体ごと寄り掛かる。
何が頼もしいのか。脈絡が無い。
「押すな、危ない」
殿下が避ける。
エフゲーニヤは、上目遣いで照れて見せる。
「おやめなさい」
「サーシェンカ~」
エフゲーニヤが、涙ぐむ。
周囲は、仲の良い恋人同士(アレクサンドル殿下とエフゲーニヤ)を嫉妬で邪魔する悪の婚約者と、認識するという寸法だ。
「あらあ、お安い涙ですのねえ」
「サーシェンカ、ゴドノフさんがぁ」
私は、嫉妬に狂った醜い悪女の役に仕立てあげられた。何を隠そう、張り切って乗っかった。いや、好き放題、悪魔をいたぶってやったのだ。なんせ、相手は、文字通り悪意の塊。悪霊がより集まって人の形を成した物に過ぎない。
「存分に、楽しみましてよ?」
「こえーな、おい」
「貴方の妻となる女ですもの」
「悪口か?」
「悪口ですわ」
アリョーシャ殿下は、ごわごわの黒髪を月光に輝かせ、私と寄り添い滝に降り立つ。
妖術使いの不気味な手下に、追い付かれることなく、無事到着できた。
滝壺付近で岩棚に立つと、銀蒼に染まった飛沫が私達を洗って行く。すると、月光と落水の祝福で、誓いのブローチが燦然と輝き出す。
「よし、充分だ」
正直、銀月の滝で祝福を受け取らなければ、手下にすら遅れを取ったに違いない。私達は、まだ未熟だ。
古代精霊語で感謝を述べ、2人手を繋いで、再び飛び立つ。煌めく星空の下、一路、宮殿へ。
途中、追手の悪魔を適当に蹴散らかす。
私達は、真っ直ぐに誓いの間へと赴く。2人の婚約を行った場所だ。この部屋には、神話がある。
宮殿にある庭園の地下深く建つ、精霊の祝福無しには開かない扉。それは、建国の祖、イワン大王が、森の精霊に祝福を受けた場所。
「グリプノイの大地に根を張り、われら精霊より息吹を受けよ」
「有り難き幸せに存じます」
国の名前は、そのままグリプノイ王国となった。初代王妃タチアナと国王が婚約時、『血魔の式』と名付けた儀式を行ったのも、ここだ。
それは、現在も続く儀式である。
ところが、いつしか貴人達は、野蛮な儀式だとして厭うようになった。精霊の祝福も信じずに、ただ慣例として行う。それでは、祝福が得られるはずもない。彼等は、ますます精霊を蔑ろにする。
そんなだから、悪魔に付け入られたのだ。豊かなグリプノイの地を、彼等は太古より奪わんとしてきたという。
「森の精霊よ、木の実、草の実、木の子の加護を」
「森の精霊よ、苔むす幹、宿り木生い繁る枝、茸覆う根っ子の加護を」
「グリプの加護を、我らに」
「グリプの祝福を、我らに」
ブローチが、月と落水の祝福を解放する。
銀と蒼との光が、小波となって誓いの間に広がって行く。
やがて、爽やかな緑と力強い茶色の光が、波に加わる。
4色は、逆巻く大波となり、誓いの間から溢れ出す。
波は2人を乗せて、グリプノイの空を瞬時に飲み込む。
「愛し子達よ、ありがとう」
「子孫達よ、ありがとう」
「グリプの末裔よ、ありがとう」
「グリプノイの地は、再び我等が息吹に満たされた」
最後に一際大きな波が砕け散ると、2人は静かに誓いの間に降ろされた。何処かで、悪魔の咆哮が聞こえる。大臣の断末魔が木霊する。妖術師が逃げて行く気配が解る。
「終わったのね」
「ああ」
光の波は、すっかり収まり、大地に静寂が訪れる。私達は、手を繋いで、月明かりの庭に出た。
月夜に開く、白い大輪の花が、芳香で迎えてくれた。
「散歩に行くぞ」
ごわモジャ王子が、始終変わらぬ独断で進む。
「こんな夜更けに、正気ですか?」
「さあな」
「狂気に墜ちたら、成敗しますわよ?」
「存分に見張ってくれ」
「甘えてますわね」
「お前が居るから、強気でいられる」
「まあ、呆れた。少しはお控えなされませ」
「さてな」
モジャ黒髪の人は、月光に妖しく瞳を反射させ、私の手を取り天駆ける。アリョーシャの藍色マントの胸元には、誓いの黒が、変わらずに輝いていた。
それから数年。
晴れ渡る秋空の下、夫婦となった私達に、男の子が恵まれた。菫の瞳に銀の絹糸。アリョーシャの眼と、私の毛。優しい眼差し、サラサラの髪。
ごわモジャじゃなくて、ちょっとガッカリ。
その年は、小麦が豊作だった。大地の精霊に愛された王子は、コロボークと名付けられた。
「死にたくなければ、よく食べ、大きくなるのだぞ」
「分かりやすく伝えられる子に、なるのよ」
私達は、相変わらずだ。
きっと、ずっと、年を取っても。
いつかグリプノイの空に還り、黒と銀との精霊になったとしても。2人で繋いだ手を離さずに、精霊の息吹を守るのだ。そして、2人を引き裂こうと企む、どんな敵にも反撃するのだ。
グリプ=きのこ
コロボーク=丸パン
サーシェンカ、アリョーシャ=アレクサンドル
お読み頂き、ありがとうございました