友愛論
笑わない子だと言われてきた。実際笑った写真は多くはないし、朗らかに笑った記憶もさして無い。
よく泣く子だと言われてきた。泣いた記憶はある。怒られた時、どうにもならない時、よく泣いた。
ある時を境に、よく笑うね、と言われるようになった。今も、人前で泣かなそう、と言われる。
感情が無いわけじゃない。感受性に乏しいわけでもない。国語は得意だったから。でも、時折薄情だとか、無愛想だとか言われる。寧ろこっちの方が自分に与えられた形容として納得できた。確かに、薄情だし、無愛想だ。
共感しているように見せるのは簡単だけれども、茶番に我に帰れば白々しくて芝居を打つ気にもなれない。にこやかに話してみせることは難しくないけれど、嘘をつきたくないと思った途端に何も口に出せなくなる。
要するに、殆どの他人が見ている自分は偽りだとまでは言わなくても、多少の嘘を混ぜて本物らしく見せたハリボテに過ぎない。誰もがそれを優しいねといって、明るいねといって、安心したように笑う。
罪悪感で狂いそうだった。
笑っているのは、笑っていた方が人によく思われるから。表情が死んでいた自分にさよならして、笑顔を身につけた。話しかけられたら必ず笑顔。笑顔笑顔笑顔。いつしか、あなたはいつも笑っているねと称されて、そんなことないよと言っても、いつも幸せそうで良いねと言われた。
そう思われたいから良いんだよそれで。
泣かないのは、泣けないから。昔のことを思い出しても、寂しくて、悲しくて、自分がかわいそうで泣いたことがあるのか思い出せない。泣く理由はいつも悔しさだった。とにかく悔しかった。少しだけ大人になったら、どう泣くのか分からなかった。何が悲しいことなのか、難しかった。当事者じゃないことに同情するのがわからなくて、わかったフリをするのに苦労した。
反応を大きくしたのも、ここからだった気がする。感情がわかりにくいといわれて、何も感じていないと悟られるのが嫌だった。感情を模倣するのは難しくない。他人から学んだ感情の表現技法を自分に落とし込んで使った。オーバーリアクションはウケがよかった。大袈裟だな、なんて言いつつもこの表現は相手を朗らかにしてくれるみたいだった。偶に選択を間違えて驚かれるけど、それらしい言い訳を連ねて無かったことにする。自分は、反応の大きい面白い人という印象だけを残すように努めた。
優しいね、ともよくいわれた。でも優しいわけじゃないんだよ、というその言葉は所詮謙遜としか捉えられない。そんなことないよ、優しいよって。そんな言葉言われたら、ありがとうというしかなくなる。違うんです、今のは作り笑顔なんです、と言おうとしても、いざその裏側を見せるのは怖いからまた白粉を塗り重ねる。また息ができなくなる。
正直他人に興味は無い。自分のコミュニティーの大切な人だけ、大切に思っていたり。愛が多いからみんなを愛してる、だなんて嘘に決まってる。これしかない愛を注ぎ切っているんだ。それを冷静に、必要な人にだけ分け与えている。隣にいながら面倒だな、とか、相槌を打ちながら早く終われ、とか。そう思った途端、断頭台に立った気分になる。首を差し出したら、一気に断罪される気がする。こんなこと思ってるなんて知られたくないから。人並みに愛せないけど人並みに愛されたいから。ずるいなぁと思いつつ、上部だけの褒め言葉を並べ立てる。
人を褒めるのがうまいと言われる。その自覚はあった。他人を認める自分というのは、肯定しやすい。他人を好きな自分を表立てて仕舞えば、何の興味もない相手に冷めた目線で美点を探し当てて笑顔を添えてプレゼントするような行為を、正当化できる気がした。正当化されていると思った。だから、思ってもない言葉を言うのは得意だ。好みそうな言葉を、わざと選んで、時を待って、悪くは思われない笑顔をそっと手渡す。これだけで、自分を「良い人」に分類する人もいる。「嫌い」に分類されることはまずないだろう。誰だって、自分を認めてくれる人が好きだ。人間の承認欲求は強い。誰より自分が好きだ。だから、自分を認めてくれるひとを認めることは、自分を認めることになる。こうやって、人に嫌とは思わせないように根を回す。
全てわかり切って、これで良いんだと思うのに、偶に、ごく偶に全てどうでも良くなる。もう良いじゃないか壊してしまえと思う。積み上げた仲良しも、塗り重ねた良い子も、自分を叩きつけてざまあみろと言いたくなる。嘘つきだ、嘘をついてきたんだ、だからなんだって言うんだ、騙されたのはお前だろう、ざまあみろと。驚く顔が見たくなる。そんな人じゃないと泣かせてみたくなる。
そこまで考えて、息を吐く。できるはずはない。自分は、他人がいないと生きていけない。かつては自分を正義と信じて勧善懲悪を掲げたかもしれない。そんなかつての自分が、吐き気がするほど許せない。
結局お前だって、偽善者だ。
大切な人ができる度、嘘をつきたくなくて、でも嫌われたくなくて困り果てる。どこまでだったら良いんだろう。ここまでだったら良いんだろうか。しまった踏み込みすぎた、何でもないよって、探りながら安定するところを探している。そんな人だったのと言われるのは怖い。良い人ぶってきただけに、バレたくない思いは強いんだよ。
だって好きだからさ。
どこまで話せば許されるんだろう。
ギリギリのところまで外装を削り落としていく。すこしだけ骨組みを見せて、これは大丈夫、と安心する。剥がしすぎて、慌てて繕う。
やめられないけどこれでいいと思う。
みんなこんなもんなんだろうか。これって正解なんだろうか。空を眺めて偶に思う。空の色は朝が一番綺麗だ。朝の空気は自分を知らない他人みたいで落ち着く。
息をする。
生きていくしかない。
嫌われるとか、思い始めたのだって最近だ。
自分に理由がいらなかったあの頃が懐かしい。嫌いだ、嫌われてしまえ、お前なんて。と、その言葉すらファッションで、結局自分は一番かわいい。
最低ですか。でもこんなもんでしょう。