ずれ
その国はすべてが規則正しかった。国王も、国民も、動物でさえも。
毎日同じ時間に起き、同じ時間に食事をし、同じ時間に歯を磨いた。大人たちは同じ時間に会社に行き、子供たちもまた同じ時間に学校へ行った。同じ時間にうちに帰り、同じ時間に夕食を食べ、同じ時間にお風呂に入り、同じ時間に眠りについた。だれもそんな生活を疑問に思わなかったし、不満も持たなかった。
たまに旅行者が来ることもあったが、機械のような生活に耐えきれず、多くは三日ともたなかった。昼食をとろうと思えば、みな一斉にレストランに向かい席につけず、ウエイターは一斉にお皿を下げに来る。お酒を飲みに行っても、みな同じタイミングで乾杯をし、同じタイミングで帰っていく。まるで機械のようだったと、帰国した老人はすこしおびえたような目で話した。
旅行者の中にはこんな生活に疑問を投げかけるものもいた。だが、多くはなんの意味もなさなかった。いつものように、いつもの場所で、いつもの時間に同じ行動をとる。これのなにがおかしいというのだ。あななたちは違うのか。これのなにがいけないことなのか。純粋な顔のその問いに、反論できないのだ。
ごくまれに、他国へ移住する者もいた。しかし多くはあまりにも奔放な時間の使い方にショック症状を引き起こし、また国に戻っていった。
しかし、そんな生活にも変化が訪れはじめた。
いつもと同じ時間に起きたはずなのに、外が暗い。いつもと同じ時間にうちに帰ったはずなのに、外が明るい。いつもと同じ時間に昼食を食べに行ったはずなのに、太陽が赤く染まっている。まるで夕方のようだ。
わずかに違和感を覚えるものもいたが、それもすぐに消えた。そんなことよりも日々の生活のほうが重要なのだ。時には朝が暗く、夜が明るい日だってあるだろう。この地球は生きているのだから。
それからというもの、その国の生活は一変した。外が真っ暗になってから起き、日が昇るころ乾杯をし、
外が完全に明るくなってから眠りについた。他国から見れば一風変わった生活だが、特になんの疑問も持つことはなかった。自分たちはずっと変わらない生活をしている。なにを不思議に思う必要があるというのだ。暗くなってから起き、明るくなってから寝る。これは当たり前のことだろう。自分たちはこれからもそうだし、子供たちだってそう生活するんだ。
はてさて、つじつまが合うのは何十年後のことやら。