第3話 オークの村で育った美少女
「いろいろ聞きたいことがあるでしょうけど、まずはついてきて。村長に連れてこいって言われてるから」
体力も回復したところで、おれは女の子――クルミからやけに大きな服を借り受けて、寝かされていた家を出た。
「あなたのことは、おばあちゃんからいろいろと聞いてるの」
「おばあちゃん……って、サルビアだよな? どんな風に?」
「伝説じゃあ聖人君子みたいに言われてるけど、実際の勇者は宿屋の部屋から毎晩のように女の子の声が聞こえてくるクズだったって」
「……はっはっは」
「他の仲間には割とあっさり手を出したくせに、一番付き合いが長いはずの自分には1回も手を出さなかったって」
「はっはっは!!」
この話はもうやめよう。
「……きみも、本物なんだな」
「何が?」
「サルビアの孫だって話」
その直接かつ嫌味な勇者評は、間違いなくサルビアのそれだ。
っていうか、おれがランドラやホップとそういう関係なのを知ってたのって、たぶんアイツとベルフェリアくらいだしな。
「サルビアは……」
わずかな恐れが喉をつかえさせたが、すぐに呑み込む。
「……サルビアは、今、どうしてる?」
「死んじゃったよ、何年か前に」
クルミはあっさりと言った。
「魔法で寿命を延ばしてたみたいだけど―――100歳を軽く超えてたんだもん。さすがに保たなかったみたい」
「……そうか」
そりゃ……そうだよなあ。
前を歩きながら、クルミがちらりとこちらを振り返る。
「……へえ。おばあちゃんの自意識過剰じゃなかったんだ」
「ん?」
「別に。おばあちゃんが可哀想な人でなくてよかったって、そう思っただけ」
太い三つ編みを揺らして、クルミはまた前を向く。
「そういや、さっきの話って本当なのか?」
「この村のこと?」
「そう。それだよ」
クルミが住んでいる村――いま歩いているこの村のことをさっき聞いて、おれはめちゃくちゃ驚いたのだ。
「すぐにわかるよ。今の時間はみんな仕事中だから」
と、クルミが言った通りだった。
薪割りをしているオーク。
洗濯物を干しているオーク。
井戸端会議をしているオーク。
きゃっきゃと走り回るオーク・チャイルド。
村のあっちを見てもこっちを見ても、オークしかいなかったのだ。
「オークの村……」
そう――ここはオークのオークによるオークのための村。
クルミはこの村で唯一の人間らしい。
「初めて見た……。オークなんて、人間を襲ってるところしか見たことなかったからな……」
「100年前の魔族って、ホントにそんなだったんだ」
ふむふむ、と頷くクルミ。
「今は違うのか?」
「魔王が負けて外獣が出てくるようになってから、人間とは和平を結んだの。今は人界も魔界も、大して変わり映えしない……らしいよ」
「らしい?」
「……出たことないから。この村から」
「なるほど」
おれも親父の手伝いやってた頃は、村から出たことなんてほとんどなかったな。
「ところで、さっき言った外獣ってのは、もしかして――」
「あーっ!!」
質問を遮るタイミングで、オークの子供がおれを指さした。
「クルミねーちゃんみたいなのがもう一人いるー!! 見ろよみんなー!! こいつも頭に草みたいなのが生えてるぜー!!」
草みたいなの?
って……ああ、髪の毛のことか。
オークには髪の毛ねえもんな。
「男? 男かっ!?」
「よくわかんねー!!」
「クルミねーちゃん、ついにダンナ見つけたのかー?」
「えーっ、嘘だろーっ!?」
「いくらニンゲンでもクルミねーちゃんは無理だろー!」
「だってブスだもんなーっ!!」
は?
ブス?
……誰が?
ゲラゲラと無邪気に笑う子供たちの前で、クルミはぷるぷる震えていた。
「やい! 目デカ女っ! ニンゲンを攫ったりしちゃダメだって、とーちゃんが言ってたぞっ!」
「《げんしょのゆーしゃ》さまがセーバイしてやるーっ!」
「とあーっ!」
わらわらと群がってきた子供たちの頭を、クルミの手が鷲のようにわしっと掴んだ。
そして恐ろしく低い声で言う。
「――――頭からかじってやりましょうかクソガキども」
オークの子供たちは途端に涙目になった。
「う、うわーっ!」
「目デカ女に食べられるーっ!」
たちまち逃げ散っていく子供たちを見送り、クルミは「ふんっ」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
おれは混乱しつつ声をかけた。
「なあ」
「同情ならいらない。……子供は正直なだけだもの……」
フフフフフ、とクルミは暗い笑みを浮かべる。
「大丈夫。自分の顔面偏差値くらいわかってるし……彼氏とか、結婚とか、そんなの最初から諦めてるし……性格までみっともないブスとか救いようないし……フフ、フフフフフフ……」
「いや、その顔面のどこがブスだよ」
耐えきれなくなって、おれは突っ込んだ。
「きみがブスだったら、この世の女性は全員ブサイクだろ」
「……は?」
凄まじく怪訝げな表情で、クルミはおれを睨む。
「下手なお世辞はやめてよ。この顔面のどこを見たら、そんなことが言えるの?」
「長いまつげとくりっとした瞳とシュッとした鼻と薄い唇と小振りな輪郭と―――」
「バカにしてるのっ!?」
クルミはいきなり涙目になって眉を立てた。
「ぶっ……ブスだってね、傷つくんだからっ! ねえ、楽しい!? 人の欠点あげつらって楽しい!?」
「え……ええ……? いや、褒めたつもりなんだが……」
これ以上ないくらいに褒めた……はずだよな……?
仕方なく、顔以外の褒める場所も探す。
「腰も細くていい感じにくびれてるし、お尻も健康的な大きさでなかなか好みだ。特に程よい重量感の胸は―――」
「もういいっ! よくわかったっ!! あなたが人を虐めて楽しむクソ野郎だってことがっ!!」
クルミは完全に怒って、ふいと顔を背けてしまった。
な、なんで……?
「おいおい、兄ちゃん」
混乱していると、通りすがりのオークが諫めるように話しかけてきた。
「いくら相手がクルミちゃんでも、言い方ってもんがあらぁな。それとも、人間族にはブスにブスと言わなきゃなんねぇ作法でもあるのかい?」
「はあ……?」
「悪いものを悪いとわざわざ言う必要はねぇんだぜ。クルミちゃんだって好きであの容姿に生まれてきたわけじゃねぇんだ、そっとしておいてやれや。
口は貶すときじゃなく、褒めるときに使うもんだぜ。ほれ見ろ、あそこにいるイリダちゃんを!」
オークの男が短い指で指したのは、ピンクのワンピースをパッツンパッツンにしたオークの女性(?)だった。
「豆のように小っちぇえ瞳! 三角形のドデカい顔! 胸も腰もケツも境目がわかんねぇくらい肥え太って、まるで1本の丸太みてぇだ! ヒュウ、たまんねぇぜ~!!」
興奮も露わに語るオークの男を見て、おれはようやく理解した。
ああ……そうか。
おれが可愛らしいと感じる要素は全部、オークにとっては真逆に感じられるんだ。
その美的感覚の中で育ってきたから、クルミも自分のことをブサイクだと……。
「……クルミ!」
これはゆゆしき事態だ。
そう思って、おれはずかずかと先を歩くクルミを追いかけ、その手を握った。
「ひあっ!? ななななななにっ!? なにっ!?」
パチパチと瞬く長いまつげ、黒目がちな瞳。
人間の街を歩けば、男に限らず女までもが、立ち止まって振り返るだろう。
「きみは可愛い。これは本当だ。お世辞でも嘘でもない」
「……っ!?」
クルミはかーっと顔を赤くすると、握られた手をパッと放して、おれから距離を取った。
「なっ、何が目的っ!? わっ、わたしみたいな女を口説く男なんて、詐欺師に決まってるんだからっ!!」
「……うーん」
これは骨が折れそうだ……。
長年かけて培った自己評価は、そうそう覆るものじゃないらしい。
しかし、見過ごすことはできなかった。
間違った価値観――人間としては――に基づいて、せっかくの自分の価値を認めることができないなんて、悲しいことは。
彼女は……義理とはいえ、サルビアの孫なんだから。
……よし、決めた。
仲間に子供や孫がいれば、それを見守り、時に手伝う。
勇者を終えればそうして過ごすと、ベルフェリアにもそう言った。
その気持ちは、少しも変わっていない。
クルミが幸せになるのを見守ること。
それがとりあえずの、おれの目的だ。