第1章プロローグ 大穿穴の勇者都市
「テケリ・リ! テケリ・リ!」
うねうねと動く不定形の粘性生物が、奇妙な鳴き声を発していた。
「……スライムか?」
「ううん。《ショゴス》」
「いや、スライムだろ、どう見ても」
「ショゴスだよ、どう見ても」
おれにはスライムにしか見えなかったが、クルミ曰くこれはショゴスという外獣らしい。
「外獣は、レベル5くらいまではみんなショゴスで、そこからいろんな姿に進化していくの。たまにショゴスのまま強くなっていくのもいるらしいけど」
「へえー」
「えいっ」
「テケリっ―――」
クルミがさくっと短剣を突き刺すと、ショゴスは形を失って消滅した。
あとには、ぼんやりと光を放つ石ころが残される。
《外獣石》だ。
外獣が死語に遺す石で、生前の強さに応じた魔力がこもっているらしい。
「ご両人! ショゴスは退治できましたかい?」
おれたちが乗せてもらっている馬車の御者が、振り返りながら話しかけてきた。
「すみませんねぇー。たまに積み荷に紛れ込んじまうことがありまして」
「いや。大したことないやつでよかったよ。この外獣石はどうする?」
「どうぞ持ってってくだせえ。ちょうどもうすぐローダニアだ。って言っても、ショゴスの外獣石じゃあ小銭程度にしかなりゃあしませんがねえ」
「1ゴールドを笑う者、1ゴールドに泣く、だ。ありがたくもらっとくぜ」
おれはショゴスの外獣石を拾い上げ、太陽に照らしてみた。
「これが外獣を倒した証になるんだよな」
「うん。外獣石と引き替えに、勇者ギルドから賞金がもらえる……らしいよ」
「イゴールナクの外獣石、高く売れるといいなあ」
リターナ村を出る際、おれたちはングンキ・イゴールナクが落とした外獣石を、村長から譲られていた。
勇者都市での当座の生活資金に当ててくれ、ってことだった。
ここまでの路銀もなんだかんだで融通してもらっちまったし、至れり尽くせりである。
村長曰く、元より使い道のない金だし、村を救ってもらった恩はこの程度では返せない――だそうだ。
イゴールナクを倒せたのは、クルミと自警団の頑張りあってこそなんだけどな。
「……っくく。また思い出してきた。村を出るときの村人連中の様子ったら」
「ちょ、ちょっと! もうそれはいいでしょ!?」
「あいつらと来たら、ついこの前までお前のことバカにしてたくせに、いざ出ていくとなったらおいおい泣き出しやがって……そんでお前まで―――」
「もっ、もういいってばぁーっ!!」
恥ずかしさで顔を赤くしたクルミがぽかぽか殴ってくるのを防いでいると、御者が大きく声を上げた。
「見えてきましたぜー! 勇者都市ローダニアに到着だ!」
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この大地は、例えるとサンドイッチ状になっている。
表側のパンの上にあるのが人界。
裏側のパンの上にあるのが魔界。
……まあ、表裏はどちら側から見るかで逆になるんだが、とにかく人界と魔界が表裏一体となった構造になっている。
その間を――大地の表裏を行き来できる唯一の経路が《大穿穴》だ。
大地の真ん中に空いたドデカい穴である。
直径は……まあそうだな、100年前と変わってなければ、街一つがまるっと入っちまうくらいの巨大さだ。
と、ここまではいいんだが―――
厄介なのが、サンドイッチ状大地の『具』の部分。
タマゴサンドならタマゴの部分、ハムサンドならハムの部分だ。
人界の大地、魔界の大地、それぞれに上下から挟まれた中間部分には、広大な異空間が広がっている。
人呼んで《深淵迷宮》。
大地の内側に広がる巨大な異邦だ。
深淵迷宮への入り口は、人界魔界問わず各地に点在するが、その中でも最も大きなものが大穿穴に存在する。
それも当然の話だ。
何せ大地を表から裏までブチ抜いている穴である。
深淵迷宮はその間にあるのだから、大穿穴の中間地点にその断面が現れるのが道理というものだ。
それでも、以前はうっかり迷い込んで出てこられなくなる、って程度のものだったんだが、最近は話が違っているらしい。
そう、外獣である。
約100年前、外獣が世界に現れるようになって以来、深淵迷宮は外獣の巣窟になった。
ほとんどの外獣は、深淵迷宮の中から地表に現れているらしいのだ。
結果、大穿穴は外獣との戦いの最前線と化した。
大量の外獣が地表に溢れないよう、砦を作って入口を塞ぎ、これを維持するために人が住まい――
と、やっているうちに、いつしかそこは街になった。
勇者都市ローダニア。
それは、人界と魔界のちょうど中間――
大地をまっすぐに貫いた、巨大な縦穴の中にできた街である。
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大穿穴の縁に近づいていくにつれ、登り坂になっていくような感覚があった。
「あ、あれ……? 地面に傾斜なんてないのに……」
馬車に掴まりながら不思議そうにするクルミに、おれは説明する。
「ここら一帯は重力が歪んでるんだ。大穿穴の内壁に足が付くような角度に、近付けば近付くほど、重力の方向が傾いていく」
「えーと……あ、そっか。内壁に足が付く角度、ってことは、わたしたちから見て奧側に重力が倒れていくわけだから、空に向かっていくのと似たような感じになる」
「さすがだな。おれはサルビアに何度も説明されてようやくわかったんだが」
「えへへ」
「縁を越えますぜーっ!」
坂を登るような感覚がピークに達したとき、馬車がガゴン! と大穿穴の縁を越えた。
普通なら、このまま奈落の底に真っ逆さま。
でも、ここだけは違う。
馬車はそのまま巨大な縦穴の内壁に張りついて進んでいった。
「うわっ、今度は下ってる感じ……。まるで山を越えたみたい」
「重力が壁に対して完全に垂直になるのは、大穿穴の中間――ちょうど深淵迷宮の辺りだけだ。だから感覚としては……」
「双円錐の内側を歩いてる感じになるね」
「そうえん……? なんだ?」
「円錐――ええと、タケノコみたいな形を、底の部分で二つくっつけたような形」
「えー、あー、うん。ああ、そうだそうだ。それ」
かろうじて理解できた。
危ねえ。
おれが説明していく流れかと思ったら、あっさり逆襲してきやがる。
「そ、それより、ほら見ろ、クルミ! 街が見えるぞ!」
「……うわっ……!」
おれはかつて、この大穿穴を通ったことがある。
人界の勇者として、魔界に攻め入るためにだ。
そのときは、魔界側が作った砦があるだけの、殺風景な場所だった。
しかし――100年後の大穿穴は。
まるで宝石箱のような場所だった。
薄暗い大穴。
その内壁のすべて。
すなわち、前も、右も、左も、そして上も!
きらきらと輝く街の明かりが、圧倒されるほどに埋め尽くしている。
「ははは。すげえもんでしょう」
御者の男がどこか得意げに言った。
「初めてここに来た人は、大抵そういう顔をしますぜ。何せ、頭の上まで建物で覆われてる場所なんて、ここ以外にゃありゃしませんからなあ」
「あの光はなんだ……? まだ日があるうちから油を使ってるのか?」
「街のいろんなとこできらきら光ってるのは鏡でさあ。見ての通りの穴倉なもんで、より多くの光を採り入れるために、大量の鑑が置かれているって寸法で」
視線を奧に転じれば、長城が大穿穴に沿う形でぐるりと大きな輪になっている。
ちょうど大穿穴の中間辺りだ。
「あの長城は、もしかして……」
「ええ。深淵迷宮の入口を塞いでるんでさあ。今日も今日とて、命知らずの勇者どもがあそこに集まっているはずですぜ」
――勇者。
外獣を退治する職業、か。
格が落ちたと嘆くべきか、業界が拡大したと喜ぶべきか。
「《勇者ギルド》もあの近くにあります。
ご両人、この街に住むおつもりなら、まずはギルドを訪ねることです。ローダニアは何もかもが勇者を中心に動く場所。その気がなくとも、とりあえずギルドに登録だけしときゃあ便利なことが多々あります。
……それに、ひと月半ほど前に《勇者聖》様が亡くなられて以来、この街も多少荒れてましてね。身分ってもんがあった方がいい」
「ああ、ありがとう。助かる」
「いえいえ。原初の勇者様のご加護がありますように」
街に少し入ったところで馬車を降りると、御者はお決まりの文句を告げて去っていった。
……微妙な顔をしたのに気付かれてなきゃいいけどな。
「ふふっ。まだ慣れないんだね、原初の勇者様?」
「当たり前だろ……」
道中、いろんな人と関わりを持ってきたが、誰も彼もが決まって別れの時にはあの文句を言う。
原初の勇者様のご加護がありますように。
自分自身にどうやって加護を与えろと?
原初の勇者ローダンの名は各地で神聖視されている、とリターナ村の村長から聞いてはいたが、ここまで広まっていようとは……。
「おれ、偽名とか使った方がいいんじゃねえか? 『原初の勇者様の名を騙るとは不届きな!』とか言われそうなんだが」
「大丈夫だよ。『ローダン』って名前、いっぱいいるもん。村にだっていたし」
「そういやそうか……」
いやー、実は俺もローダンって名前でー、みたいな話題を何度かした覚えがある。
思い返してみれば、おれの村にも聖典の登場人物から取ったって名前の人、結構いたし、そういうもんか。
「じゃ、日が暮れる前に行こうぜ。勇者ギルドだったっけ?」
「承知しました、原初の勇者様」
「お前……」
「あははっ。――うあっ!?」
クルミは走り出すなり、べちょっと顔面からコケた。
「……いだい……」
「ハシャぎすぎだ、バカ」
おれも初めて王都に行ったときはこんな感じだったっけ。
その後、神剣に見初められたせいでハシャぐどころじゃなくなったけどな。
……この勇者都市に、サルビアが遺した手記――ネクロノミコンの続きがあると言う。
クルミはこの街で、一体どんな運命と出会うのか。
願わくば、それが幸せなものでありますように。
新作始めました。
これが始まってまだ1週間も経ってねーだろって?
甘いですねえ。私の中では同じ作品ですよ。
『戦い疲れた元勇者のご褒美すぎる余生』
(直リンクあとがき下)
本作の並行世界で、同じキャラが繰り広げる、緩いスローライフもの。
世界のどこがどう変わってるのか見つけて楽しむのもアリです。
ローダンとクルミがただイチャついているのが見たいあなたに!