第12話 夢の彼方より過去は追いつく
「久しぶり、ローダン」
空も地面もない世界の真ん中に、サルビアが立っていた。
ふわふわとした栗色の髪。
利発そうな顔立ちと、無限の好奇心を秘めた瞳。
ヴァルング国立大学の制服であるローブを纏い、精霊との交信を簡便にする端末であり魔法陣を描くための筆でもある魔法杖を右手に携えている。
おれの知るままのサルビアが、正面に立っていた。
「……ああ、そうか。夢か」
「うん。そう。これは夢」
夢のサルビアは寂しそうな笑みを浮かべた。
「クルミを助けてくれたみたいだね、ローダン」
「助けたって言うほどのもんじゃあないさ」
「ありがとう……って言える義理が、私にあるのかはわからないけれど。でも、ありがとう。一応、あの子は、私の孫だから」
「一応なんて言うなよ。あいつはお前のことをおばあちゃんって呼んでる。血は繋がってねえらしいけど、大事なのはそういうことだろ」
「そうかもね。うん。きっとそう……」
……なんだよ。
どうして、ずっと、寂しそうに微笑んでるんだ……?
せっかく、久しぶりに会えたのに……。
「サルビア……おれ……お前に、ずっと、言いたいことがあって……」
「うん」
「でも、言えなくて……結局、言えなくてさ……」
どうでもいいことはたくさん話したような気がする。
してもしなくてもいいような話ばかり、とりとめもなく繰り返した気がする。
でも、一番伝えたかったことは―――一番伝えなきゃならなかったことは、結局、伝えられなかった。
「……できるなら、もう一度、お前に会いたかった……。お前とさ、ランドラと、ホップと……お前らと一緒に生きて、普通に死にたかった……。なんで、なんでおれだけ遺していっちまったんだ……おれだけ……」
「うん……。あのね、ローダン?」
顔を上げると、サルビアの笑みは自嘲のそれに変わっていた。
「私たちは『勇者一行』だったけど、本当に勇者だったのはローダンだけだったんだよ?
……だからね、ローダンは100年間、きちんと戦い切ったけど、私たちもそれができるとは限らなかったの。本当にね……どうしてその程度のことに、気が付かなかったんだろう」
「……サルビア……?」
「――あ、ダメだ。もう時間みたい。意識から狂気が抜けてる。頑張ったね、クルミ……」
サルビアは一人で勝手に呟いて、くるりとおれに背を向けた。
「ま、待て……! 待ってくれ!!」
おれは手を伸ばして必死に走ったが、歩き去るサルビアの背中には届かない。
意識が、何かに引っ張り上げられる感覚があった。
それと共に急速に眠気が増し―――
最後の瞬間、サルビアがこちらを振り返る。
「―――夢の彼方で、待ってるよ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
半覚醒のまま、瞼を上げた。
視界の真ん中に、女の子の顔がある。
ああ……。
なんだよ、サルビア……まだいるじゃん。
おれは起き上がりながら手を伸ばして、サルビアの頬に添えた。
本当は……ずっと、こうしたかった……。
初めて会ったときから、ずっと……。
心が求めるまま、おれはサルビアに顔を近付ける。
息が唇に当たり、長い睫毛を目の前にして―――
それがクルミであることに気付いた。
「……………………」
「ん~……!」
クルミはぎゅっと瞼を閉じて、完全に覚悟完了の顔。
全身をガチガチに緊張させて、おれの唇を待ち構えていた。
……えーと。
ひどく気まずいんだが、起き抜けの頭では、気の利いた誤魔化し方が思いつかない。
「……悪い、クルミ。寝ぼけてた……」
「……ふぇ?」
クルミは瞼を上げると、長い睫毛をぱちぱちと瞬かせる。
そして。
「……またもてあそばれたぁぁぁ……!!」
やっぱり泣いた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
おれが寝ていたのは、クルミの家にある通称『実験室』だった。
調合した薬を保存した瓶や、その他、おれにはよくわからない実験器具がゴチャゴチャと散乱した、クルミの仕事部屋である。
「……よかった……起きてくれて、ほんとによかった……」
宥めすかしてようやく落ち着いたと思ったら、今度は違う意味で目に涙を浮かべるクルミ。
ベッドの周りに散乱した薬の空き瓶などを見て、まさか、とおれは察する。
「お前が……治してくれたのか?」
記憶が曖昧だが、意識が途切れる瞬間、回復魔法が効くとか効かないとか、そんな話が聞こえたような気がする。
仮におれには回復魔法が効かないのだとしたら、クルミがその手で、魔法に頼らずにおれを治療してくれたことになる……。
「……うん。それしか、なかったから……」
クルミは涙を拭いながら、こくりと頷いた。
「わたしも、知識はあったけど、人の手術とか、ほとんど初めてで……きちんと治せたのかなって、この一週間、ずっと不安で……」
「一週間? ……待て。おれ、一週間も寝てたのか……?」
「うん。……ホントは、1週間くらいで治るような怪我じゃないんだけどね」
……そりゃすごい、と他人事のように思った。
一週間も目を覚まさなかったってことは、本当に生死の境をさまよってたんだな……。
「……ありがとう、クルミ。お前は命の恩人だ」
「そ、それを言ったらこっちだって! ローダンが時間を稼いでくれてなかったら、今頃みんな……」
「そうだ、村だ。村の奴らは無事なのか?」
「あ、うん。それは大丈夫。ガグに不意打ちされた人も、回復が間に合って」
なら万々歳ってことか。
ふう、と息をついた。
一週間も寝てたからか、体力が落ちてる気がするな。
おれは枕に顔を埋めて、ベッドの横に座ったクルミの顔を見上げた。
「……ん。クルミ。お前、目の下に隈が……」
「あ、あはは。気にしないで。ちょっと何回か徹夜しただけだから……」
「もしかして、おれの看病で? お前が全部やってくれてたのか?」
「え、あ、まあ、うん、全部、はい」
なんだ、その煮え切らない反応。
変に思って、おれはゴチャゴチャした実験室の中を見渡し――
尿瓶を見つけた。
「…………お前が、全部やってくれてたのか?」
クルミは顔を赤くして目を逸らす。
しかし、おれの鍛えられた目を誤魔化すことはできない。
はっきりと見たぞ。
その視線が、チラッとおれの股間に向けられたのを!
「……い、医療行為だから……! 変な気持ちとか、そういうの、全然ないから……!」
「ほほう。おれは別に何も言ってないんだけどな」
「うううう~~~……!!」
あ、ヤバい、また泣きそうだ。
からかうのはほどほどにしておこう、命の恩人だし。
「とにかく、もうしばらく寝てて! 体力戻ってないんだから!」
「お前も寝ろよ。疲れてるんだろ。なんなら添い寝してやろうか」
「……ばかっ! もう知らないっ! 麦粥作ってくる!」
クルミはずかずかと実験室を出ていった。
なんだかんだ言ってお節介焼き始めるとことか、本当にサルビア似だな。
「……………………」
さっき見た夢は、まだ頭の中に鮮烈に残っていた。
「…………そろそろ、逃げてばかりもいられねえか」
おれは、ずっと逃げていたことに向き合う決意をした。
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飯を食い、さらに一晩寝て英気を養うと、目から隈の消えたクルミに頼み込んで、ある場所に連れていってもらった。
「悪いな、肩貸してもらって」
「ううん。おばあちゃんが使ってた杖、どこかにあると思ってたんだけど……」
「おれとしては、杖よりこっちの方がいい。クルミはいい匂いがするからな」
「うああっ!? ちょ、やだっ……最近お風呂入れてないっ……!」
森の中の小道をしばらく進むと、開けた丘に出た。
そのてっぺんに、ぽつんと一つ、灰色の石が鎮座している。
墓石だった。
「村長がね、村の集合墓地に葬るのは畏れ多いって言って、ここに作ったの。おばあちゃんも一人でいるのが好きな人だったし、これでいいのかもだけど……やっぱり、たまには来てあげないと、寂しいよね」
「……そうだな」
墓石に近付くと、おれは用意しておいた花をクルミから受け取り、地面に跪いた。
墓碑には、こう刻まれている。
『光と輝きに抱かれし燦然たる知恵がここに眠る。
大賢者サルビア、夢見るままに目覚めを待つ』
「……碑文、ずいぶんとクドくないか?」
「あはは……。文才ある人いないから……」
頑張ってすごい感じを出そうとしてるのはわかる。
まあ、あいつなら、墓碑の出来なんて気にしやしねえだろうけどな。
おれは墓前に花を置くと、両手を組んで祈りを捧げた。
ここにサルビアがいるわけじゃない。
だけど、心の中で、これまで参りに来なかった無礼を詫びた……。
祈りを捧げ終えても、おれはその場を動けなかった。
今まで、意識して思い出そうとしてこなかった記憶が、次から次へと湧き起こって止まらなかった。
おれは自然とそれを口から零し、クルミに聞かせていった……。
クルミは、おれの思い出話を黙って聞いてくれた。
たまたま訪れた王都で、偶然にサルビアと出会ったときのこと。
おれが神剣に選ばれたときのサルビアの興奮っぷり。
魔王討伐のために旅に出ることになって……。
「サルビアはさ、最初、旅にはついてこないはずだったんだ」
「え? そうなの?」
「実家に猛反対されてさ。まあ、当たり前っちゃあ当たり前だよな。ほとんど軟禁みたいな状態になっちまって……おれとだって、ほとんど連絡が取れなかったんだ。
手紙でさえ、偽名を使って、検閲を抜けて、それでようやく届くって有様だった」
「でも、結局はついてくることになったんでしょ?」
「ついてくるっていうか、家出だな、ありゃ―――いや、誘拐か」
「誘拐?」
「二人で示し合わせてさ、うまく脱走したんだよ」
「示し合わせてって……まともに連絡取れなかったんじゃないの?」
「そこが大賢者サマの違うところだよ。手紙にさ、暗号を仕込んだんだ。おれたちだけにわかる暗号を。それで検閲を抜けて……」
「へー! どんな暗号だったの?」
「単純なもんだよ。文章のところどころに、汚れを装って目印を付けてさ……ん?」
そんな話をしながら、墓石を眺めていたからだ。
おれは、墓碑に石で擦ったような傷が付いているのに気付いた。
自然にできたものか……。
――いや!
違う。
不自然だ。
だって、その傷は、すべて碑文の上部に集中している。
「……ローダン?」
クルミが不思議そうに覗き込んできた。
おれは急き立てられるような感覚に従って、墓碑にそっと手を触れさせる。
墓碑の傷は、こういう位置にあった。
『光と輝きに抱かれし燦然たる知恵がここに眠る。
大賢者サルビア、夢見るままに目覚めを待つ』
「……この、傷……」
「傷? ……確かにあるけど、それがどうかしたの?」
「同じなんだ……。あのとき、おれたちが使った暗号と、同じなんだ!」
文章のところどころに、汚れを装って目印を入れる。
目印がある部分の文字だけを読む。
表音文字の場合は、そのまま。
表意文字で、読みの音が2音以上ある場合は、意味が通る音だけ読む。
表意文字で、目印が2つ以上ある場合は、読みの中でも意味が通る音を目印と同じ数だけ読む。
偶然だ。
そう思う理性を無視して、おれの頭は懐かしい工程を経て、墓碑の文章からまったく違う文章を見いだした。
曰く。
―――『ひきだしさんだんめ』。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
オレたちは急いで家に帰った。
「『ひきだし』ってどこのことだ!?」
「たくさんあるけど……あれが怪しいかも」
「あれって?」
「おばあちゃんが使ってた机。遺品らしい遺品もなかったから、わたしもあんまり触ってないの」
「きっとそれだ……! 案内してくれ!」
クルミに案内されたのは、1ヶ月近く住んでいるこの家の中でも、おれが立ち入ったことのない部屋だった。
そこは、サルビアが生前使っていた書斎だという。
中に入ると、壁一面にぎっしりと詰まった本棚が目に入った。
軽く背表紙に目を通してみるが、どうやら歴史に関する古い文献が主なようだ。
「おばあちゃんが死んでから文献には全部目を通したから、本棚の方は結構漁ったんだけど……ほら、あれ」
本棚に挟まれた部屋の奥に、文机が一つ置かれている。
その裏に回ると、五段に連なる引き出しがあった。
「引き出しの中、見なかったのか? 遺品整理とかあっただろ?」
「見たけど、これといったものは何もなかったの。でも、そこまで詳しく調べたわけじゃないから、もしかしたら……」
『さんだんめ』……だったよな。
おれは息をのみ、上から三段目の引き出しを開けた。
「……何もない……」
引き出しの中は空っぽだった。
下から三段目か?
と思ったが、引き出しは全部で五段だから、上から三段目も下から三段目も同じだ。
「ここじゃないのか……?」
「……ちょっと待って」
クルミが思案深げな顔でそう言い、引き出しの中にそっと手を差し入れる。
手のひらで、引き出しの底をそっと押した。
それから、今度は引き出しの下に手を回す。
「……底が厚すぎる……」
「え?」
「たぶん……!」
クルミは引き出しの奥に手を突っ込んだ。
「この辺に、取っかかりが……あった!」
突っ込まれた手が引かれると、それと共に、引き出しの底が浮き上がった。
これは……!
二重底!
「……やっぱり……!」
あの墓碑の傷は――あの暗号は、偶然なんかじゃなかった。
でも、一体どういうことだ?
あの暗号は単純なものだが、おれとサルビア以外に知っている人間はいない。
あのときのことを他人に話したのは、さっきが初めてだ。
もちろん、おれにはあんな傷を付けた覚えはない。
そして、この机はサルビアのものだ。
つまり、あの傷を残したのは―――
……でも、それもおかしな話だ。
だって―――
―――どうやったら、自分の墓に傷なんて付けられるんだよ?
おれはやってない。
サルビアにもできない。
だとしたら、あの暗号は、一体誰が残したものなんだ?
言いしれようのない不気味さが、おれの全身を駆け巡っていた……。
「これは……?」
二重底に隠されていたのは、一枚の紙だった。
書類……ってほど、ちゃんとしたものには見えない。
ただの走り書き。メモ書きのようなものだ。
おれには、一見ではその内容は掴みきれなかったが、
「うそっ!?」
それを見た瞬間、クルミが目の色を変えた。
引ったくるようにして引き出しからその紙を取り上げ、目を皿のようにして読み始める。
「うそ……うそ……うそ……あ、あ、あ……すごい……すごい……すごいっ!!」
クルミの表情と声を、見る見るうちに興奮が支配した。
「その紙に書いてあることがわかるのか?」
「これ……これはね! 『鍵』! 『鍵』なの!」
「……『鍵』?」
クルミは瞳をきらきらと輝かせながら、快哉を叫ぶように言った。
「ネクロノミコンの鍵! ネクロノミコンの暗号を解読するためのものっ!!」