第10話 弱者が強者を倒すすべ
100年前――おれとベルフェリアの奴が現世から消えてから、突如として現れた謎の怪物、外獣。
奴らの最も厄介なところは、クルミ曰く《加護》を持っていることだと言う。
訓練という概念を知らず、工夫という概念を知らない怪物に、自己の強化なんてできるはずがない。普通なら。
それを可能とするのが《ローダンの加護》。
なーんにも考えずに何かをぶっ殺してるだけで強くなれちまう仕組み。
ったく、あんなキモい連中に加護なんてくれてやった覚えはねえっての。
連中の行動原理はたったひとつだ。
自分の《加護》を強化すること。
そしてその手段として、人間や魔族の捕食を行う。
猪にとっての狼みたいな、人間・魔族共通の天敵ってわけだ。
かてて加えて、外獣には老化っていう機能がないらしく、討伐されない限りは永遠に暴れ回り、永遠に強くなり続ける。
中にはレベル400超えの化け物も確認されてるって話だった。
まあ、レベル400なんて言われても、おれにはいまいちピンと来ないんだけどな。
なんでも世界破滅レベルの怪物らしいが。
一応、参考としては、リターナ村のオークにはレベル100超えの奴はいない。
それでも、100年前なら余裕で英雄になれるくらいの奴がゴロゴロいる。
知性の部分ではあからさまに衰退しているが、単純な身体の強靭さで言えば、100年前とは比較にならないくらい平均が上がっているのだ。
100年前のオークどもがこの村の連中みたいに強かったら、おれたち勇者一行は魔王城どころか魔界にも辿り着けずに殺されていただろう。
とにかく、外獣を見かけたら、レベルを上げられる前にすぐさま倒さなければならない。
だから村の自警団も、被害を受けたかどうかにかかわらず、自分たちから積極的に外獣退治に出かけているのだ。
さて、話を現在に戻そう。
笛の音を聞き、手早く支度して家を飛び出したおれたちは、松明を持って慌ただしく走ってくるオークの若衆に出会った。
「ああ、ローダンの兄貴! よかった、起きてらした!」
「どうした!? 何が来た!」
いつの間にやら、おれは『原初の勇者様』じゃなく、『兄貴』とか『兄さん』とか『先生』とか『ブス専』とか呼ばれるようになっていた。
最後のは折に触れてクルミの容姿を褒めまくっているからだ。
「それが、こっちでも情報が錯綜してまして、とにかくやべえ奴だってのは―――」
バキバキバキッ、と木の折れる音がした。
ハッとその方向を見ると、村を囲うように茂る鬱蒼とした森から、小山の影が伸びていた。
「……いや……」
違う。
山じゃない。
あんなところに山なんかない!
小山のように見えた巨影が、動く。
瞬間、かすかだが、地面が揺れたように感じた。
「あ……あっ……そんなっ……!?」
その巨影は、人の形をしていた。
森の木々と比べてみれば、その巨大さは歴然。
何せ、オーク4人分ほどの高さがある木々が、そいつの腰くらいまでしか届かない。
大の男の、5倍……いや、8倍?
身長だけで言っても、そのくらいはあるデカさだった。
塔のような大きさの、巨人。
ぶよぶよと腹を肥え太らせたそのシルエットに、おれは見覚えがある。
《イゴールナク》。
現世に戻ってきた直後に戦った、あの白い巨人だ。
だが、あまりに大きさが違いすぎた。
あのとき戦った奴の、軽く3倍はある!
「れ……レベルはっ!? レベルはいくつ!?」
「……お、あああ……!!」
クルミに問われた若衆の一人が《能力分析》を使い、目を見開いた。
その瞳に浮かぶのは――恐怖と、絶望。
「れ……レベル、158……!!」
その数値を聞くなり、クルミの表情が絶望に染まった。
「158……うそ……」
「おい! 158ってのは、そんなにヤバいレベルなのか!?」
確かに、今まで退治してきた外獣は、どいつも2桁レベル――40~70くらいが相場だった。
158は未知の領域だが、それが実際どの程度の強さなのか、まだおれにはピンと来ない。
「……外獣はね……レベル100を超えると、《進化》するの……」
「……なんだって?」
進化?
強くなるってことか?
「あれは、《王》クラスの外獣……」
森の中に聳える巨人を見上げ、クルミは力のない口調で告げた。
「たった1匹で国を滅ぼせる、極大級の怪物……」
【能力分析C:スキル結果】
【分析対象:《ングンキ・イゴールナク》】
レベル:158
STR:EX(測定不能)
VIT:EX(測定不能)
AGI:A
MAG:EX(測定不能)
スキル:???
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「なんてことじゃ……! まさか斯様な怪物が育っておったとは……!」
嘆きの声をあげる村長に、クルミは切羽詰まった声で言い募る。
「とにかく、すぐにみんなを避難させないと!! できるだけ少人数に分けて!! 外獣はたくさん生き物がいる場所に寄ってくるから……!!」
「わかっておる……わかっておる……。しかし、見逃してくれるものなのか……おおぉおお、なんということじゃ……!」
ダメだ、こうしている時間が惜しい……!
おれは若衆に声を張り上げる。
「村人を避難させろ!! 家族単位に分けて、それぞれ別方向に!! すぐにだ! 急げッ!!」
「お……おおッ!!」
若衆がバラバラに散らばって、家々に向かっていく。
おれはさらに声を張った。
「自警団! いるか!!」
「いますぜ……!」
「まさか……やるんですかい? 兄さん……!?」
「やる」
おれは確然と告げた。
「村人が避難する時間を稼ぐ。集団で動けば、必ず食いついてくるはずだ。囮になって、ヤツ――イゴールナクを村から引き離すんだ」
「だっ……ダメっ! ダメ、そんなのっ!!」
クルミが悲鳴めいた声をあげ、おれの腕を掴んだ。
「わかってるの!? レベル158の化け物なんだよ!? あんなのと戦ったらみんな死んじゃうっ!」
「おれにはこれしか思いつかない」
クルミの目を覗き込んで、おれは正直に告げる。
「おれは万能じゃないんだ。あのバケモンをぶっ殺したいのは山々だが、さすがにデカすぎる。急所を探してる間に、村人は皆殺しにされちまうだろう。
そんな中で、比較的安全性が高いと思った手段がこれだ。自警団を犠牲にして、他の村人を、お前を逃がす。より多くの命を守る方法が、おれにはこれしか思いつかない。
――お前はどうだ、クルミ?」
「えっ……?」
クルミの瞳に、当惑が浮かんだ。
「おれは無学な田舎者だ。魔王を倒す旅の中で多少は勉強したが、剣を振るうくらいしか能がない。
でも、お前は違うだろ?」
おれはかつて魔王と戦い、人界を救った。
その経験をもってして言える。
今、この村を救うには、コイツの力が必要なんだと。
「あの大賢者サルビアから、お前はその知識を、知恵を受け継いだ。そうだろう、二代目大賢者!
全員を救うには、それしか方法がない! 散々教えただろう!
力で劣るときには、頭を使うしかない!!
そして今! この場で! それができる頭を持っているのは―――!!」
クルミの両肩を強く掴み。
決して逃げられなくして、言葉をその瞳に投げ込んだ。
「――――お前だけなんだよ、クルミ」
クルミはビクッと肩を震わせると、不安げに周囲を見回した。
おれだけじゃない。
自警団のオークたちが、村長が、みんな一様にクルミを見つめていた。
そう、おれよりも彼らの方が知っている。
おれから頭の使い方を教わるようになって、より身に染みたはずだ。
自分たちがスキルに頼ってやっていたことを、自前の知識と知恵だけで賄っていたクルミの凄まじさを。
彼女が受け継いだ、大賢者の教えの力を。
「……わたし……わたし、が……?」
ズンッ――と、地面が揺れた。
《王》クラスの外獣、イゴールナクの巨体が生んだ、ただの足音。
「わたしが……戦う、の……? レベル158もある、あの化け物と……!?」
「そうだ。この場でお前だけが、あの怪物と戦える」
力にたのむ者は、より強い力を持った者に必ず負ける。
それが道理ってものだ。
しかし。
知識と知恵を持つ者は、その限りじゃない。
『人に伝える』以外の、知識と知恵が持つ力。
それは―――
―――弱者でも、強者に勝てるようになることだ。
「レベルやステータスなんて、お前にとっちゃただの飾りだ。
お前に見えるものを見ろ、クルミ! そうして――おれたちを、助けてくれ!!」
曲がりなりにも世界を救った原初の勇者が、未だ何も成していない小娘に懇願する。
この光景をおかしいと笑う者は、この村にはもはや一人もいなかった。
クルミの視線が彼方の巨影に移る。
大きな瞳の中に、知性の煌めきがきらきらと散る。
――ああ、本当にそっくりだ。
初めて出会ったときのサルビアも、こんな瞳をしていた。
おれは、この瞳に一目惚れして、勇者なんぞになったんだ。
「―――わかった」
クルミの表情は、すでに決意を秘めたそれだった。
「それが、わたしにできることなら……! おばあちゃんから受け継いだものの使い時が、今だって言うのなら……!!
やる。わたし、やるっ!!」
かつて最弱だった少女は、屈強なオークたちに向かって朗々と名乗りを上げる。
「わたしが、わたしこそが二代目大賢者! 世界を救った知恵を、ただひとり受け継いだ人間……!!
――みんな! わたしの知識に、大賢者の知恵に! ……命を、預けてくれる……!?」
オークたちは雄々しい鬨をもって、二代目大賢者の決意に答えた。