彼女と榎本さん side - 榎本
「また来てるな、あの子」
「んー?」
F-2を飛ばすことになっていた葛城と機体へと向かう途中、ヤツが歩調を緩めて、ヘルメットを持っている手を振った。そちらに目をやると、基地と公道を隔てる塀の向こう側で、小さい子供がピョンピョンと飛び跳ねながらこっちを見ている。
「ああ、あの子か。熱心だよな」
カメラ小僧達の姿はよく見かけるがあんなに小さな、しかも女の子はかなり珍しい。その子は葛城が手を振ったものだから、嬉しそうな顔をして手を振ってくる。
「ちょっとしたヒーローだな、葛城」
そう言うと葛城はニヤッと笑った。
「可愛い子だよな。うちの息子の嫁にどうだろう」
「そこ、笑うところなんだよな? それとも本気で言ってるのか?」
「それなりに本気だったりするぞ。ああやって毎日のように見物に来るんだ、それなりに自衛隊に対して理解があるってことだろう」
「いやいや、単なる飛行機好きなだけじゃないのか? 飛行機好きと、自衛隊に対する理解度は関係ないと思うんだが」
まあ確かにこの近辺の住人は、俺達の任務に理解があるほうではあるんだが。
「そうかもな。だが日頃のサービスは大事だろ? それがたとえ小さなお子様だったとしても」
そう言って葛城は、もう一度そのおチビさんに向かって手を振った。そして俺を見て真面目な顔をしてみせる。
「しかもレディだ」
「まったくお前ときたら、病気だな」
「なんでだ、事実だろうが」
「優さんに言いつけるぞ」
「なんでそこで優の名前が出てくるんだよ。小さくてもレディには違いないだろ。名前を聞いておくべきか? 将来、おじちゃんの息子とお付き合いしませんかって」
「頭がおかしいおじちゃんがいると言われるぞ」
機体の元にたどりつくと、葛城は離陸前の点検を始めている整備員と言葉を交わし、すぐにタラップを上がってコックピットに落ち着いた。すでに顔は仕事の顔だ。そしてヤツが座ってすぐに触ったのは操縦桿だった。
「大丈夫だ。今日も俺が、最終チェックをして確認した」
「飛行中に操縦桿がもげるとか、もう勘弁してくれよ? あの時は生きた心地がしなかったぞ」
それは、試作機のテストを何回か繰り返しているうちに起きた、とんでもないハプニングだった。なんと、いきなり飛行中に操縦桿が根元から外れたのだ。
そのハプニングが起きた時、ちょうど浜松の第一術科学校に短期研修に行っていた俺は後から聞いたのだが、自分が操縦桿をへし折ってしまったかもしれないとテンパりながら知らせてきた葛城は、そのまま元の場所に操縦桿を無理やりねじ込んで、なんとか機体を着陸させたらしい。
それ以来飛ばす前には必ず操縦桿を確認するというのが、葛城と桧山の暗黙のルールとなっている。そして、俺が点検リストにチェックしないと乗らないとも言い張っていた。お蔭でここしばらくはまともに休むこともできず、新婚にも関わらず嫁にも会えない日々が続いている。
「それで試験はいつまで続くんだ? そろそろ、部隊配備のための量産に入るんだろ?」
「あと二ヶ月ほどはデータを取りたいと、重工側が言ってるんだがな」
正式な配備が始まれば、こちらサイドの事情でなかなか飛行データを集めることが難しくなってくる。だから今のうちに、少しでも多くのデータを蓄積しておきたいという企業側の言い分も、理解できるものだった。
「へえ。これだけ飛ばしてまだ調べ足りないのか」
「恐らく次の機体への布石なんじゃないか?」
俺がそう答えると、なるほどとうなづく。
「C-1の後継機を、どうしたこうしたって話が進んでいるよな。戦闘機とはあまり関係ないような気がするんだが」
「蓄積するデータは、どんなものでも多い方が良いんだとさ」
「なるほどな、技術屋も大変だ」
葛城はヘルメットをかぶると、親指を立てる。
「小さい崇拝者が見ているからって、変な気は起こすなよ?」
「未来の息子の嫁かもしれないのにか?」
「舅がお前とか、どんな罰ゲームだ」
「一言多いぞ、榎本。そんな憎たらしいことばかり言っていると、お前の嫁にパワハラを受けていると言いつけるからな」
笑いながら安全確認と計器チェックを終えると、タラップを降りて機体から離れた。この量産第一号機の整備員を束ねている仙崎空曹長が合図を送ると、エンジンに灯が入る。その音に耳を傾けながら、先ほどのおチビさんの方に目を向けると、フェンスに齧りついているのが見えた。
―― どうやらお目当ては葛城じゃなく、F-2の方らしいな ――
それを知ったら葛城のヤツ、なんて言うだろうななどと心の中でニヤニヤしながら、機体の離陸前チェックを見守る。ラダー動作良し、フラップ動作良し、そして葛城はこっちを見て拳を上下させた。あれは俺達だけにしか通じない、操縦桿問題なしの合図だった。
今となっては、笑い話にしてジョークまがいに離陸前チェックに組み込んでいるが、あれが葛城でなかったら一体どうなっていたことやらと、いまさらながら肝が冷える。それもあって、本来は不要な動作ではあったが、いまだに続けているのだ。
キャノピーが閉められ機体が滑走路に出る。そして俺達が見守る中、何十回目かのテスト飛行に向けて、F-2は空に飛び立った。
+++++
時はすぎてあれから十数年。あの時、フェンスに齧りつくようにして試作機が飛び立つのを見ていたおチビさんは、空自の制服に身を包み、俺が勤務している基地に新米整備員としてやってきた。
「姫、よく来た!!」
「苦しいです、榎本さん!! 配属早々に、私を絞め殺す気ですかっ」
小柄な体を両手で抱き締めて振り回すと、ギャーギャーと文句を言ってきた。だがその顔は、嬉しそうであり誇らしげでもある。
「待ってたんだぞ。てっきり、JAXAの青二才のところに行くんじゃないかと思って諦めていたんだ」
そう言いながら、頭をクシャクシャと撫でまわしてやる。
「先輩には誘われたんですよ、かなりの破格待遇で。だけどこっちの方が、個人的に惹かれるものがありまして」
そう言っておチビさん、いや、藤崎水姫が、目をキラキラさせながらまっすぐに指さしたのは、メインハンガーに駐機中の洋上迷彩を施されたF-2だ。
まったく大したお嬢さんだと感心する。
自称F-2ストーカーと笑いながら、実用配備された基地にまで顔を出すようになった彼女とは、自然と顔馴染みになり親しく話すようになっていた。大学に進学したと聞いて、整備員になる夢は諦めたのかと思っていたら、そのうち必要になるかもしれないでしょうからと言って、工学部で宇宙航空学なるものを学び、自衛隊に入隊してきやがったのだ。
まったく恐れ入る。彼女のF-2、さらには戦闘機に対する思いを完全に舐めていた。
「好きなだけいじられてやるから、頑張って覚えろよ」
「わかってます! ところでいい加減に頭を撫でまわすのやめてください。注目されて物凄く恥ずかしいです」
「おお、すまんすまん。おい、皆、俺の愛弟子だ。よろしく頼むぞ」
そう言って、俺が率いる整備班の連中に紹介をする。おっと忘れるところだった。
「そうだ、姫。あのF-2に搭乗しているパイロットの一人を紹介しよう」
ヘルメットを抱えて出てきた社の姿に気がついて、ヤツを手招きすると藤崎に紹介した。
「社一尉だ。他の面子もおいおい紹介してやるからな」
「藤崎です、よろしくお願いします!」
「こちらこそ。社です」
敬礼ではなく握手をしている二人を眺めながら、社の武勇伝を思い出して少しばかり心配になった。まさか社のやつ、俺の部下に変な気を起こしたりしないよな?
「もう! 社さんはエロすぎて笑えません!」
「男が性欲を持たなくなったらおしまいだろ」
「年寄りの冷や水って言葉がある通り、ある程度の年齢になったらおとなしくなるものですよ! ギックリ腰になっても知りませんからね!」
「看病してくれるんじゃないのか」
「布団の周りで踊ってあげます」
「まったく最近、生意気だぞ、姫のくせに」
「だからそれ、なんの根拠なんですか!!」
今日も元気な二人の言い合いが滑走路中に響き渡っている。
変な気を起こすんじゃ?と心配していたが、俺が考えていた事態とは少しばかり違っていた。数々の武勇伝持ちの社の方が、先に陥落したのだ。そして俺がけしかけたのもあってか、いつの間にか二人は親しい関係になっていた。しかも社が完全に藤崎に振り回されている状態だ。
「まあ何と言うか……首に鈴をつけられちまったってやつか……?」
「榎本さん、聞いてくださいよ!! 社さんたらですね」
「どうしてそこで、上官を話に引き込むんだ、お前ってやつは!」
いやはや、大変な二人を引き合わせちまったかもな、俺。