第四話 彼女はロックオンされた模様です
「今日もタロウちゃんは絶好調のようです」
飛び立ったF-2を眺めながら呟く。組んでいた腕を解いた時に肌を布地がこすり、その拍子に走った鈍い痛みに一瞬たじろぐ。
「どした?」
隣に立って同じように様子を見ていた榎本さんがこちらを見て首を傾げた。
「いえ、なんでもないです」
「そか。さて、次の作業に取り掛かるか」
「はい」
痛みの原因は分かっている。今、離陸したF-2に乗っているあの不埒な男のせいだ。
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「おい藤崎」
朝、今日の予定のあれこれを頭の中で組み立てながら廊下を歩いていると社さんに呼び止められた。あの日、彼にベッドの中へと無理やり引き摺りこまれてから一週間が経とうとしていた。
「……なんでしょう」
当然のことながら私は社さんに対して現在進行形で腹を立てていたので、職場での接触は最低限になり、受け答えする口調も上官に対する口調ギリギリのラインでつっけんどんなものになってた。
だが当の本人はそんなことなど気にしている様子もなく、こうやって声をかけてくる。いや、気にしている様子もなくというのは間違いかもしれない、私が毛逆立てて怒っているのを面白がっている節があるのだから本当に始末に負えない。
「ちょっと話がある」
「なんでしょうか、ここで聞きますが」
「いいから来い」
以前のように腕を掴まれて人気のない会議室に引っ張り込まれる。入った途端に壁に押し付けられ社さんの腕の中に閉じ込められた。
「おい」
「ですから、なんでしょうか」
なんだか不機嫌そうな顔に嫌な予感しかしない。
「お前、また白ヤギだか黒ヤギだかにしつこく誘われているんだって?」
「ヤギじゃなくて青いヤナギの青柳さんです」
「どーでもいいんだよ、そんな奴の名前なんざ」
「っていうか、どうして青柳先輩から電話があったこと知ってるんですか?」
問われた途端に気まずそうな顔をした。大学の先輩である青柳さんから電話があったことを私が話したのはここではただ一人、榎本さんだけだ。
「榎本さんから聞きだしたんですか?」
「まあそんなところだ。で?」
その言い草が少しだけ引っ掛かる。後で聞きそびれたままになっているあの晩の電話のことも含めて榎本さんに問いただしてみなければ。
「で?とは」
「だから返事だ」
「私はロケットより戦闘機の方が好きなのでお構いなくとお断りしましたが」
「そうか」
あからさまにホッとした顔をされても困るのだ。と言うよりも、私はこの人に対して物凄く腹を立てていて仕事以外のことでは口もききたくないんだから。
「そしたらロケットじゃなくて有人シャトルの研究開発に誘われました」
腹が立っていたのでうっかり口が滑ってしまった。
「なんだと?」
「戦闘機とシャトルでは共通する分野もあるのでということらしいで、す……何してるんですか社さん!」
いきなり人の作業着のジッパーをおろし始めたのでその手を慌てて掴んで制止する。
「うるさい」
乱暴に手がふり払われウエストの辺りまで下ろされてしまった。そして下に着ているTシャツの裾がめくり上げられる。
「へえ……お堅いツナギの下にこんな色っぽい下着をつけていたとは。あの時だけじゃなかったのか」
そんな嬉しそうな顔でじっくり見ないでほしい。作業着の下ぐらい女らしい物を身につけていたいなんて思ったのが間違いだったと大いに後悔。社さんは一体どうしてこんなエロに変貌したのか。いや、武勇伝を聞く限りそれまでも立派なエロだったんだろうけど、まさかその矛先が自分に向かうとは。
「やめて下さい、こんなところで」
「じゃあ別の場所ならいいのか」
「よくないです! いたっ」
社は身を屈めると、水姫の胸元に唇を寄せてるとかなりの強さで噛み痕を残した。
「ななな、なにするんですか!」
「マーキング」
「は?!」
しれっと答え、自分が残した痕を満足げに見下ろしていた。
「もう一箇所ぐらい必要だな」
「ちょ……ふぎゃっ」
首の付け根に噛みつかれて思わず色気のない悲鳴が口から飛び出た。社さん、貴方は吸血鬼ですか!
「いい感じについてるぞ」
そのニヤニヤ笑いをレンチで叩きのめしてやりたいという衝動にかられる。その時、部屋のドアがバンッと開いた。
「誰かいるのかー……あ……」
顔を覗かせたのは彼の相棒である羽佐間一尉。目が合いお互いに暫く固まる。穴があったら入りたいというか、この目の前の男を埋めてやりたい、誰かユンボを持って来て下さいと真剣に思った。
「いや、その……お邪魔しました……どうぞごゆっくり」
どうもどうもと曖昧な笑みを浮かべながら羽佐間さんはそのまま廊下へと後ずさっていく。
「あ、違うんです、羽佐間さん!」
「何が違うんだ」
不満げな社を突き飛ばすようにして羽佐間の後を追う。部屋から出ようとして作業着がはだけているのを思い出し、廊下に顔だけ出した。
「羽佐間さん!」
こちらを振り返る羽佐間の顔は心なしか、いや、かなり楽しそうだ。
「姫ちゃん、邪魔してゴメンな」
「誤解です! 違うんですってば!」
「おう、次から邪魔すんなよ」
後ろから顔をのぞかせる社さんが余計なことを言っている! お願いだから引っ込んでいて下さい。
「社さんは黙ってて!」
羽佐間さんは社さんに良からぬ意味としか取れないような手信号を送ってからニヤリと笑うと、口笛を吹きながら行ってしまった。
「はぅぁぁぁ……全く何てこったいですよ」
「羽佐間は言いふらすようなことはしないから安心しろ」
「そういう問題じゃないです!!」
急いで身なりを整えると、何故か床に落ちていたキャップを拾い上げる。身体を起こした途端に再び社に捕まった。そして唇を塞がれる。
「や……」
し、舌入れないで下さい! しかも何処を触っているんですか! っていうかここ職場ですよ!!
すっかり相手のペースーに引き込まれ足から力が抜けてしまった。しかも唇が離れた途端に満足げに笑っているし!! まったく……無駄にテクニックがあるというのも問題だ。
「これ以上はさすがにここでは無理だな。続きは次の休暇までお預けだ」
次の休暇って……お預けって……。
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「次なんてないっつーのぉぉぉ!」
思わず雄叫びをあげて榎本さんと他の同僚を怯えさせてしまったのは言うまでもない。
とにかく私と社さんの戦いは今始まったばかりなのだ。