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空と彼女  作者: 鏡野ゆう


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第三話 とあるパイロットの回想 side - 社

 天井に向けてふーっとタバコの煙を吐いた。


 現在の時刻、0300時。隣で丸くなって眠っている女が一人。


 店から連れ出した時には綺麗に巻かれていた髪も今はクシャクシャに乱れ、僅かに上気した顔にかかっている。そっと顔にかかった髪をはらってやると、何か呟いて更に身体を丸めた。


―― なんでこんなやつに惚れちまったんだろうなあ…… ――



+++++



「ひめぇぇぇえ、よく来たぁぁぁぁ!!」


 普段は鬼瓦のような顔をして部下達を動かしている榎本さんが満面な笑みを浮かべて抱き締めたのは、配属されたばかりの新人整備員だった。


「苦しいです、榎本さん。配属早々に私を絞め殺す気ですか」

「待ってたんだぞ。てっきりJAXAの青二才のところに行くんじゃないかと思って諦めていたんだ」


 抱き締めて振り回していた細い身体を解放すると、今度は頭をクシャクシャと撫でまわした。


「先輩には誘われたんですよ、かなりの破格待遇で。だけどこっちの方が個人的に惹かれるものがありまして」


 そう言うとその整備員は格納庫のF-2を指さした。


「好きなだけ弄らせてやるから頑張って覚えろよ」

「ところでいい加減に頭を撫でまわすのやめて下さい。注目されて物凄く恥ずかしいです」

「おお、すまんすまん。おい、皆、俺の愛弟子だ。よろしく頼むぞ」


 ガハハハと豪快に笑うと、遠巻きに眺めていた部下達にその新人整備員を紹介し始めた。着任の挨拶もなにもあったもんじゃないなとその様子を眺めながら苦笑い。


「そうだ、姫。あのF-2のパイロットを紹介しよう。やしろ一尉だ。他の面子もおいおい紹介してやるからな」

「藤崎です、宜しくお願いします」

「こちらこそ。社です」


 敬礼をする代わりに右手を差し出した。彼女は一瞬迷ったようだが直ぐに手を握ってきた。自分の好みからすると些か地味で、自衛官にしては細くて小さい奴というのが第一印象だった。


 これが今、俺の横で眠っている女との出会いだ。


「藤崎、なんで“姫”なんだ?」


 ある日、不思議に思って尋ねてみた。チェックリストに目を通していた藤崎が顔を上げる。


「私の名前、水と姫で“みずき”なんですよ。最初に誰かが“みずひめ”って呼んだのをきっかけにいつの間にやら。結構恥ずかしいんでやめて欲しいんですよね。何故か今日まで本人の意思は無視され続けてますが」

「変わった名前だな」

「水難の相が出そうな怖い名前だと個人的には思ってます」


 その割には雨になると喜んで外に飛び出していくのだから分からん奴だと思っていた。だが腕が良いのは確かで、一年もしないうちに榎本さんの片腕として認められるまでになっており、遅からず機体付長にまで昇り詰めるのではと言われていた。


 まあそれは良い。問題は俺の方だ。


「ねえ、祐ちゃん、最近ご無沙汰ね、私、寂しいわ」


 ある日の夜、仲間達と夜の街にくり出して馴染みの店に入った時のこと。よくベッドを共にしていたキャバ嬢が擦り寄ってきた。不規則な勤務体系のせいかそれとも俺が飽きっぽいのか女を作ってもなかなか長続きしない。だからこういう互いを束縛しない割り切った関係の方が気楽で良かった。そのキャバ嬢が寂しいと言うなんて、どんだけ俺は来てなかったんだと自分で驚いた。


「今日、泊まっていけるの?」

「いや、ちょっと無理だな」


 これだけ間が空けば直ぐにでもやりまくりそうなものなのに全く食指が動かない。隣に座っている彼女がさりげなく股間の辺りを撫でてくるが体の方も我関せずで大人しいものだ。どうした相棒、寝てるのか?


 ところがこの相棒、とんでもない時に自己主張を始めた。


「あ……」

「どうしました?」

「いや、なんでもない」


 最初は自販機でコーヒーを買っている藤崎を見かけた時だった。振り返って首を傾げる彼女に構わずトイレに駆け込んだ。個室に入って相棒に文句をたれる姿はあまり人には見せたくないものだ。


「おいおい、なんでそこで反応するんだ。相手が違うだろ」


 やはり溜まっているのかと街にくり出してみるも相棒はだんまりを決め込む。なのに何故か藤崎の、しかも何気ない仕草に盛大に反応するというとんでもない悪循環に陥った。こういうのを下半身に振り回されるというのかと、しみじみと思い知ること半年。気がつけば一年も女無しで過ごしていることに気がついて俺って坊主になれるんじゃね?と真剣に思い始めていた。


「なんか最近、お前、機嫌が悪くないか?」


 そして今では一緒に飛ぶ相棒の羽佐間にまで言われる始末だ。


 そりゃそうだろう。藤崎の嬉々として機体を必要もないのに拭いている手に反応したり、ボールペンを齧りながらリストを見て考え込んでいる口元に反応したりと、もう毎日が拷問か、俺はさかりのついた猿かと自分自身に突っ込みを入れたくなる状態なのだ。機嫌が悪くならない方がおかしい。


「有希ちゃんが寂しいって言ってたぞ。全然会ってないのか?」

「ああ。なんかその気にならなくてな」

「へえ……お前がねえ」

「うるさい」


 別に好きで女と会わないわけじゃない。会っても相棒が起きないから、それらしく断る理由を考えるのが煩わしくなっていたのだ。更に数ヶ月が過ぎ、いよいよ二年目に突入かよと溜息をつきつつ自己記録を更新中だった。


 それなのに。


 諸悪の根源であるこいつは合コンとかぬかしていやがった。しかも俺の現在の状況を(正確な状況を掴んでいないのがせめてもの救いだが)あげつらって御愁傷様だと。一体だれのせいだと思っているんだ、このメカオタク女め。


「お前等、喧嘩でもしたのか?」


 あの日、基地に戻ってから藤崎に声が聞こえないところで榎本さんに聞かれた。コックピットから「あとで覚えてろよ」と指さしたのを見られていたらしい。


「してませんよ」

「そうか? なら良いんだけどな。まあ姫もたまには息抜きしたら良いんだよ、ここはむっさい男の多い職場だし若い男との出会いも必要だろうさ。知ってるか? あれであいつ結構もてるんだぞ」


 どうしてそんな不要な情報を俺に渡すんですか榎本さん、と小一時間ほど問い詰めたい気分になる。最近、俺を見る視線が生温かいとは思っていたが何やら勝手に話を頭の中で組み立てているらしい。


「あの機械オタクが、ですか?」

「あいつの先輩でJAXAに行った青柳ってやつが姫にベタ惚れでな。今でも引き抜きを諦めてないらしい」

「それは頭脳に惚れてるってことでは?」

「あいつら大学ん時、付き合ってたんだぜ? 何で別れたのかは知らんけどな」


 だからどうしてそんな不要な情報を俺に? というかどうしてそんなことを貴方はご存知なのか?


「まあアレだ、ほどほどにな」

「何の話ですか」

「うむ……若いっていいよな、うんうん」


 おい。


 そんなこんなで悶々として毎日を過ごしていると、何故か制服を着込んだ榎本さんにヒマか?と声をかけられた。なにやら本省に出向く用事が出来たので送っていけとのこと。今は諸事情で整備員をしているが自分の指導教官だった人でもあったので無碍に断れない。


 そして何故か非番の俺まで制服を着せられ出掛けることになってしまった。


「で? 何を企んでるんです?」

「何かだ」

「わざわざ非番の俺に制服着せて外に連れ出すなんて何か魂胆があるに決まってるでしょ」

「そんなことないぞ。れいのステルスの件で本省に呼び出されているんだ。たまには背広組と交流するのも勉強になるぞ」


 教え子思いのいい教官殿だろ、感謝しろと言ってニカッと笑った。確かに出向いて聞いた話はなかなか興味深いものだった。話を聞くうちにそいつの実証試験が楽しみになったのは言うまでもない。


「そーいえば姫の合コン、今日だったよな確か」


 帰りの車の中でふと思いついたように榎本さんが口を開いた。


「そうなんですかね」

「早く抜けたいとか言ってたからな、もし抜けられるなら途中で拾ってやろうかと思ってるんだが」

「魂胆見え見えですよ、榎本さん」

「何がだー。弟子思いの素晴らしい師匠だろうが」


 変な勘繰りするのはよせーと言っているが誰が信じるか。


「お前ら……いや厳密に言えばお前だが、見ていると苛々するんだよ。いい加減に行動に移れよ」


 滅多に吸わないタバコに火をつけながら呟く榎本さん。


「こういうのは先手必勝だろ。専守防衛は自衛隊だけで十分だろーが」


 そう言いながら自分の携帯電話を俺の鼻先に突き出した。


「俺からの電話は緊急だと思って絶対に出るから貸してやる、かけろ」


 まあ結局はこいつを迎えに行くことになったのだが、榎本さんは途中で車を降りた。降りしなに“お前と姫は明日の1900時までは自由行動だ”と言い残して。


 今にして思えば、全ては藤崎を引き抜かれない為の鎖をつけたかった榎本さんの作戦だったのではないかと思う。それに自ら乗ったのは俺なのだが。



+++



 さてこれからどうしたものか。恐らくこれからが正念場。かなり強引に、いや、無理やり連れてきて無理やり押し倒し無理やり抱いて、無理やりづくしのあれやこれやで今に至っている。ただいま嵐の前の静けさだ。脳裏にいけいけどんどん等という謎のフレーズが流れていく。俺はおっさんか。


 取り敢えずは決戦に備えて少し眠ることにしよう。タバコを揉み消しすと、横になっていつの間にか背中を向けている相手を後ろから抱き寄せた。相変わらず相棒は元気だ。小声で大人しくしていろと命令し、自分と小さな身体を密着させる。押し寄せる安堵感と睡魔。


「愛してるよ、姫」


 そう、この小柄な整備員嬢はいつの間にか俺の中でこんなに大きな存在になっていたのだ。





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