第四章 プロローグ
帝都は暗黒大陸の探検に第三皇子セシルが突如として参入したことで持ちきりとなっていた。
後継者争いにまさかの第三皇子の参戦である。
品行方正、清廉潔白を絵に描いたような第一皇子。
知略にかけては右に出るもののないと言われる第二皇子。
そして金とコネクションの第三皇子。
セシルは額面通り『優秀な兄』と受け取っているが、これは褒め言葉ではない。
第一皇子は『真面目なだけのつまらない男』。
第二皇子は『内紛だけは上手な小ずるい悪党』。
第三皇子は『商売上手で社交的だがやる気もなく手のつけられない放蕩者』
という評価を遠回しに表現したものである。
そのやる気のない第三皇子がついに動いたのだ。
それも超高速で。
現地と伝手を作り、拠点も確保、さらに荒くれ者揃いの海軍首脳陣と会談するという噂まである。
それも貴族が血で血を洗う内紛を続けている最中の出来事である。
貴族たちは内紛すらセシルの陰謀ではないかと噂した。
この事件で貴族たちのセシルへの評価は根本から変わってしまった。
いまやセシルの立場は跡目争いのダークホースへである。
そんなセシルだが、本人はいたってのんきなものだった。
海軍首脳陣との会談も『彼氏の親と食事』程度の認識である。
そんな彼女は帝都にも帰らずクリスタルレイクで遊んでいた。
そんなクリスタルレイクを目指し馬車の行列がやって来ていた。
異国風の服装の男たちである。
潮風と陽で黒く焼けた顔には皺が深く刻まれている。
暴力一本で生きてきた海賊の眼光は鋭く威厳がある。
カルロスの父。
マルコ・メディナ海軍提督である。
マルコは海軍司令官の一人で準貴族である。
元海賊のマルコになにがなんでも貴族位を与えたくなかった帝国が苦肉の策で創設した身分である。
だがその発言力は帝国の貴族を上回る。
ノーマン共和国との戦いでも海軍だけは普通に戦えていたためである。
そんなマルコに数多くいるせがれの一人から手紙が来た。
若いころのマルコに一番似ている長男のカルロスである。
その気性はせがれの中でも一番船乗りに向いているというのに騎士になった変わり者。
しかも女のことで相談があるらしい。
海軍では人の女房を盗んだものはサメの餌と決まっている。
一瞬心配したが、どうやら人妻ではなくお偉い貴族の娘に手を出したらしい。
おそらくさらったのだろう。
それで女をかくまって欲しいとのことだった。
偉い!
それでこそ海賊だ。
欲しいものは奪う。
まさしく海賊だ。
マルコは息子との血の繋がりを感じた。
船の上では凶暴そのものなのに陸の上では気の弱くなる息子だったがとうとう覚醒したのだ。
マルコはとっておきの酒を手にクリスタルレイクへ向かうことにしたのだ。
「親父。そろそろ兄貴のいる村につくぜ」
カルロスの妹のチェスである。
「おう」
「船乗りと船大工まで連れてこいなんて兄貴はなにを考えてやがるんだ。なあ親父、新大陸のことかなあ?」
「うん? そんなこと言ってたのか?」
マルコは貴族の娘をかばって欲しいまでしか読んでいなかった。
文章を三行以上読めないタイプである。
「やめてよーおやじー……手紙に書いてあっただろ?」
「おー……さらって来た貴族の娘を孕ませたんだっけ?」
偉い。
「ちっげーよ! 偉い貴族の娘とちゃんと結婚したいから権力を貸してくれだって」
「あー……まあ似たようなものだな」
大間違いどころの騒ぎではない。
「ふむ。つまり海軍に入りたいって事だな!」
「親父、わかってねえよ! 何一つ兄貴の言ってること理解してねえよ!」
「いいじゃねえか。嫁の顔を見ねえとな」
さらってきたら嫁。
それがマルコにとってはあたり前だった。
価値観が異次元である。
カルロスと折り合いが悪いのも当然である。
こうして空気の読めないオッサンがクリスタルレイクにやって来たのである。
盛大な勘違いをしながら。
クリスタルレイクは賑わっていた。
結婚式記念興行は大成功。
新聞にはクローディア・リーガンが演出のために劇場を燃やしたと書かれていた。
すでにその話題は帝都でも話題になっていた。
このころには円満に終戦をしたという安心感から商人たちもクリスタルレイクで一旗揚げようと押し寄せていた。
もちろん新大陸の地図を作ろうという剛の者たちも続々押しかけている。
みんな忙しかった。
中でも忙しかったのはアッシュである。
なにせ村の有名人だったのだ。
「アッシュさん。はよーっす」
アッシュは野菜を仕入れに商店街に行くと声をかけられた。
元難民の村人は蜘蛛たちの建造した商店を切り盛りしている。
仕入れはクリス親子の行商でまかなっている。
観光地として一大消費地になったクリスタルレイク。
そこに商品を売りたい村はいくらでもあった。
「アッシュさん。ほれ野菜持ってけ!」
アッシュは最近ではすっかり村の有名人だった。
なにせ大地主である。
アイリーンは儲けたお金でまだ投げ売り状態だったころにクリスタルレイクの土地の権利を買い漁った。
それをアッシュの名義にしたのだ。
だからアッシュはクリスタルレイクの土地のほとんどを所有する大地主になっていた。
それを破格の値段で村人に貸し与えているのだ。
実質、村長であるガウェインより村長らしい尊敬を集めていた。
おまけに遠くから人がやってくるほどの菓子職人で、代官の愛人で、おまけに帝都でも有名な役者でもある。
村人からすれば「よくわからんが偉い人」という印象だった。
アッシュが目立つ理由はまだあった。
アッシュに肩車されている生き物。
ドラゴンのレベッカだ。
アッシュが村に出るとレベッカは常にひっついている。
レベッカにとってはお散歩タイムなのだ。
さらにアッシュの後ろを子ドラゴンたちがついてくる。
その後ろをドラゴンの保母さんを自称するベルもついてくる。
さらに二人が出かけるのでなんとなくアイリーンもアッシュと一緒にお出かけする。
そうなると一応、騎士団団長でもあるアイザックと副団長カルロスも仕事として護衛任務に就く。
こうして村の権力者たちがお散歩をしに来るのだ。
と言っても毎日のことなので村人たちもすっかりなれてしまった。
今ではクリスタルレイクは非常にゆるい空気が流れていた。
なんとなく幸せである。
だが、そんなクリスタルレイクに数台の馬車が乗り付けた。
きらびやかな……やや成金趣味の軍服を着た。
お世辞にもカタギには見えない集団である。
それがアッシュたちを囲んだ。
殺気はない。
その証拠にアッシュの表情は穏やかだった。
そんな荒くれ者たちが一斉にカルロスに向かって頭を下げる。
「「カルロスの兄貴! お久しぶりです」」
カルロスの顔が真っ青になっていた。
「お、お前ら……こ、こんな早く……」
カルロスの手は震えていた。
「兄貴。おひさー♪」
チェスがカルロスに抱きつく。
「チェス……え? なんで? 親父に数人貸してくれって言ったけど」
「なに言ってんだよ。親父とクルー全員来てるぞ」
ここでも誤解が生まれていた。
カルロスは調査のためにあくまで漁船レベルの支援を要請していたのだ。
アイリーンもカルロスもセシルですらも調査には何年もかかると思っている。
だから今回の要請も、漁船を作って食えるものが取れるかという調査をする予定だった。
そのために船大工も派遣して欲しいと言った。
こんな大所帯ではない。
誰もちゃんと手紙を読んでなかったのだ。
「な、な、な!」
震えるカルロス。
そしてそんなカルロスへ陽気に声をかけるものがいた。
「おっす息子ちゃん。来たぞー」
荒くれものの親分である。
騎士にこだわるカルロスにとってはそれは悪夢だった。
だがこれはクリスタルレイクにとってはプラスになる出来事だった。
アッシュにもアイリーンにも。