因果律
アッシュはヴェルダインを成敗した。
その心中は「やってしまった」と慌てていた。
だがアッシュはそれを表に出すようなヘマはしなかった。
実は雷撃よりはるかにダメージを受けていた。
キリキリと胃が痛んだ。
一方、クローディアはこのチャンスを逃す気はなかった。
三人娘に舞台に上がるようにうながす。
「三人ともとりあえず盛り上げて! 勝者をたたえるの!」
アイリーンが慌てる。
「い、いやなにをすれば……」
アイリーンの態度も無理はない。
クローディアの言っている事は無茶ぶりすぎる。
このタヌキ、舞台のことにだけは容赦がない。
「いいから舞台に上がって! ちゅーでもなんでもしちゃいなさい!」
(ちゅ、ちゅう……だと……)
アイリーンは拳を握る。
セシルとクリスも『ゴゴゴゴゴ!』という擬音が聞こえてきそうな表情をした。
三人は目を合わせる。
三人ともその目は濁っていた。
クリスは目をキラキラさせてセシルは舌なめずりまでしている。
ダメ男を本気にさせる計画が頭の中で渦巻いていた。
アイリーンはアッシュと同じレベルなので「おし!」と拳を握った。
三人は無言でうなずいた。
「よし行くぞ!!!」
「「おう!」」
三人が舞台に上がる。
クリスとセシルはすでに鼻息が荒い。
二人がポンコツなのを理解したアイリーンがアッシュに近づく。
アイリーンへアッシュは手を差し出す。
その手を取るとアッシュはアイリーンを引き寄せお姫様抱っこをする。
クリスは走ってアイザックに飛びかかり、アイザックはなんとか受け止めこちらもお姫様抱っこ。
セシルは音もなくカルロスの背後に忍び寄り、それを察して逃げようとしたカルロスをお姫様抱っこした。
結構腕力がある。
「アッシュ♪」
アイリーンがうるんだ目でアッシュを見つめる。
「アイザック♪」
クリスも顔を真っ赤にする。
「ちょ、セシルさんやめて! マジでやめて! オムコにいけなくなるからやめてー!!!」
一人は公開処刑だ。
セシルは満足げな顔で、観客たちは笑いながら舞台におひねりを投げ込む。
コメディとしては大成功だった。
裏に帰るとアッシュたちは喜んだ。
一人意気消沈するカルロスを除いて。
鉄の精神耐性を持つクリスタルレイクの住民でもこのダメージが大きかった。
そんなカルロスをわざと放っておいてやったアイザックが気合を入れる。
「さて次だ」
アイザックがその場でジャケットを脱ぎ舞台に出る。
クリスは裏からセットに設けた階段を上がる。
塔の上から愛を誓うラストシーンである。
クリスの目はキラキラと輝いていた。
完全に覚悟を決めたアイザックは言った。
「結婚してくれ」
ド直球のアイザックの言葉にクリスは有頂天になった。
これで舞台は終了するはずだった。
だがそのときだった。
客席から炎の魔法が投げ込まれた。
炎を放ったのは男だった。
神族は一人ではなかった。
むしろヴェルダインはただの捨て駒だった。
蜘蛛の警備員が男を捕らえる。
炎はセットに命中した。
ぐらりと塔が折れ曲がる。
「クリス無事か!?」
アイザックが叫んだ。
「階段が燃えた! 出られない!」
アイザックは周りを見る。
舞台の幕が見えた。
これを使うしかない。
そう思った瞬間、アイザックの背後から声がかかる。
「俺がお前を放り投げる。わかったな」
アッシュがアイザックを持ち上げる。
「行くぞ!」
「おう!」
アッシュは返事とともにアイザックを放り投げる。
アイザックは崩れかけた舞台に手をかけよじ登る。
「クリス。大丈夫か!?」
「うん」
アイザックはクリスを抱っこする。
下ではアッシュたちが布を広げていた。
「ここに飛び降りろ!」
「わかった! いいなクリス、怖いと思うが俺が守るから!」
「うん!」
アイザックはクリスを抱いたまま舞台から飛び降りる。
あくまで守るのはクリスだ。
アイザックは着地の衝撃からクリスをかばうように落ちる。
確かに布は着地の衝撃を和らげた。
だが布が沈んだ瞬間、一瞬アイザックの体が地面に激突した。
湿った音、それと陶器が割れるような音がアイザックの体の中で響いた。
骨が折れたのだろう。
だがアイザックは我慢する。
笑顔でクリスに言った。
「無事か? 痛くないか?」
「ううん。平気。それよりもアイザックは……」
クリスがアイザックを心配する。
吐きそうなくらい痛かったのはアイザックだったがアイザックはクリスの頭を優しくなでた。
青い顔をしたアイザックが運ばれていく。
舞台はこれで終わりだ。
アドリブを効かせたクローディアが舞台に上がり歌う。
笑いありアクションあり恋愛ありのカオスな舞台は大盛況のうちに終了したのだった。
この舞台は後に天才女優クローディア・リーガンがリアリティを出すために実際に舞台に火を放った事件として語り継がれることになる。
だがまだそれをスタッフ一同誰も知らなかった。
消火作業が進行する中、楽屋裏では瑠衣がアイザックの治療をしていた。
「ろっ骨が折れています。魔法で繋ぎますが激しい運動は控えてください。ちょっと痛いですが我慢してください」
そう言うと瑠衣は自分の手をアイザックの脇腹に突き刺した。
「骨を正しい位置に固定したらヒーリングします」
中をぐりぐり。
アッシュとカルロスは暴れるアイザックを押さえつける。
ほんの数秒だが二人には数時間も押さえつけたような気分になっていた。
「はい。終わり。念のために二時間ほど寝かせます。」
瑠衣の言葉を聞くとアッシュはため息をついた。
アッシュは手足を骨折した同僚の患部固定したり、脱臼した関節をはめたことはある。
だがそれと傷ついた友人を押さえつけるのとは精神的な疲労が段違いだった。
そんなアッシュに瑠衣は説明をはじめる。
「炎を放ったのは神族でした」
「神族……それで蜘蛛の警備が……」
「そうですね。……というよりもう一つ問題が……」
「問題?」
「ええ。今回我らの警備が働かなくなった理由。それはドラゴンの魔法です」
「なんでドラゴンが……」
レベッカがアイザックを傷つけるとは思えない。
「いえ。アイザックさんの怪我はイレギュラーです。あくまでドラゴンたちは一番幸せな結末を迎えるよう因果律をねじ曲げたようです」
「どういう意味です」
「結末に至る全ての障害……それには私たちの警備も含まれます。それを全て失敗させて一番幸せになる人が多い結末に導いたのです」
「つまり?」
「この場合はアイザックさんの結婚、セシルさんとカルロスさんの縁結び、アッシュ様とアイリーン様の仲の進展、それと観客の満足を同時に引き出しました」
実はそこにクローディアの女優としての成功もおまけでついてくる。
「その証拠にあれほどの攻撃でありながら観客に一人として怪我人は出ませんでした」
「……アイザックの怪我は」
「私がいますので多少痛い思いをして終わりです」
それが答えだった。
全てはドラゴンたちの手の上だった。
ただそこには悪意はない。
アッシュたちを操ったわけでもない。
数多くある未来への最良の選択肢に導いただけだ。
個々の選択は自由意志だった。
ちょっとまだ未定なのですが明日、お通夜に出なければならないかもしれません。
それだと投稿できないかもです。