筋肉筋肉筋肉
アッシュとヴェルダインが対峙していた。
観客たちは手に汗握っていた。
この舞台の殺陣には圧倒的な迫力があった。
まるで本当の戦闘のようだと観客たちは感じていた。
実際、それは本当の戦闘だったのだが観客たちはそれを知らなかった。
ただ無邪気に迫力のある殺陣を楽しんでいたのだ。
観客たちが自分たちに注目しているのを感じ取ったアッシュが動く。
同時にヴェルダインは呪文を唱える。
ヴェルダインの手から炎が発せられる。
炎は瞬く間にアッシュを包み込んだ。
観客たちは度肝を抜かれた。
興奮し思わず立ち上がるものまでいた。
観客の心配をよそにアッシュは炎の中から悠然と現れた。
「「化け物か!!!」」
観客のツッコミが止まらない。
「あははは! これをよけるか!」
ヴェルダインが歓喜の声を上げた。
一切よけていない。
筋肉で受け止めただけだ。
「じゃあこれはどうだ」
ヴェルダインの頭上に何本もの氷の槍が現れる。
氷の槍がアッシュに発射される。
アッシュは構えた左右の拳を連打した。
ガリガリと音を立てながら氷の柱が拳の連打によって削られていく。
アッシュはよける必要も氷の槍を壊す必要もなかった。
だが観客に納得させることが必要だった。
手加減ではない。
そういうルールで戦っていただけだ。
ヴェルダインも決して弱者ではなかった。
前に戦ったゼインはネクロマンサーだ。
得意なスタイルは死体の物量で戦場を蹂躙することである。
戦争向きの魔法だが一対一の戦いにおいては後れを取る。
その点、ヴェルダインは暗殺者だ。
一対一の戦闘は得意である。
だからヴェルダインは魔道士としてはありえない選択をした。
剣を振りかざしアッシュに襲いかかったのだ。
「あははははは! 我が剣を受けよ!」
ヴェルダインが芝居かかった声を出した。
ふざけているがその実力は確かだった。
その剣は正確にアッシュの肩口を狙っていた。
普通の人間ならばガードをしても剣ごと心臓までバッサリと斬られていただろう。
だがアッシュは普通ではなかった。
「ふんッ!」
アッシュは両手で剣を挟む。
真剣白刃捕り……にはならない。
ぐちゃりという音とともに剣がひしゃげた。
ヴェルダインは危険を感じてバックステップで間合いを空けた。
アッシュはひしゃげた剣を取ると、その場で折りたたんでいく。
「化け物か貴様は……」
ヴェルダインは素の声を出した。
アッシュはそれに返事をせず無言で剣を握り潰していく。
そのまま剣を丸めて団子にすると放り捨てる。
トリック一切なしの芸である。
客席からは笑いが漏れた。
炎から無傷で生還。氷の槍は拳で打ち落とす。おまけに素手で剣を握りつぶしたのだ。
もはや人間を超越しすぎて喜劇でしかない。
「まだ本気じゃないだろ? いいのか?」
アッシュはヴェルダインにしか聞こえない声でそう言った。
確かにヴェルダインは本気ではなかった。
いや正確には一番得意な魔法を使っていなかったのだ。
なぜならヴェルダインは己の地味で小さな魔法を恥じていた。
暗殺でしか成り上がることのできないことにコンプレックスを抱いていたのだ。
だが目の前の暗殺対象であるアッシュは化け物だった。
神族にも匹敵する化け物なのだ。
本気にならねば死ぬのはヴェルダインなのだ。
「いいだろう。わが魔導の奥義を受けよ」
ヴェルダインの答えを聞いたアッシュは客席に聞こえる声で台詞を放った。
「ああ友よ。我らは袂を分かつことになった。すまぬ、この愛だけは渡すわけにはいかぬ!」
即興で放った台詞だった。
それを楽屋裏で聞いたクローディアが拳を握る。
最悪の場合、クローディアが『おばちゃんパンチ!!!』と叫びながら賊を焼き尽くすつもりだった。
パンチなのに魔法である。
だがアッシュは完璧だった。
あくまで舞台を壊さず、観客を味方につけていた。
おまけに即興で出てきたあの台詞である。
その成長ぶりにクローディアは感動すらしていた。
「応よ。正々堂々と戦おうぞ!」
ヴェルダインは声を張り上げ魔法を使う。
これから使うのは卑怯そのものである。
だが使えと言ったのはアッシュの方だ。
後悔はないだろう。
ヴェルダインは魔法を使う。
アッシュの心臓。そこに穴を空ける。
それだけでこのデカブツは沈む。
ヴェルダインはそれを知っていた。
「沈め!」
ヴェルダインは魔法を放つ。
小さく繊細な魔法がアッシュを襲う。
派手さはない。
威力もない。
だがどんな相手でも一撃で葬ることのできる必殺の魔法だった。
魔法がアッシュの胸の中で爆発する。
「ふんッッッ!」
アッシュが気合を入れる。
それは筋肉だった。
アッシュの鋼よりも硬く、それでいて柔軟な筋肉は体内で魔法を防いだ。
アッシュの無敵の筋肉は暗殺魔法すら物理でねじ伏せたのだ。
クローディアは慌てて蒸気の煙をアッシュの周りに発生させる。
「地味すぎて客が飽きてしまう!」とかなり焦っての行動だった。
アイザックたちも空気を読んで「うわああッ!」とかと叫んだ。
観客たちは「なにかの爆発が起こったのだろう」と好意的に解釈した。
ど派手な展開にまんまと騙されたのだ。
「効かぬか! この化け物め!」
ヴェルダインはとうとう演技をかなぐり捨てた。
それほどまでにアッシュは強かった。
ヴェルダインは魔法を行使する。
内臓に雷撃魔法を使う。
これで足止めできないものはいない。
動きを封じたら電撃で頭を焼く。
これで死なない生物はいない。
ヴェルダインは手に雷を纏う。
火花を放つ電撃をアッシュの腹に放つ。
力は一定。
貫きさえすれば動けなくなるはずだ。
「ふんッ!」
アッシュは火花放電する雷を……殴った。
できるはずがない。
人間に知覚できるスピードではないのだ。
だがアッシュは殴った。
魔力が弾け雷は消滅する。
その場にいた全員。
観客はもとより、仲間であるアイザックやカルロス、クローディアまでもが
「ねえよ!」
とツッコミを入れた。
「雷ってのは少し早いな。だが俺には効かない」
「「そういう問題じゃねえ!!!」」
アッシュの言葉についに観客たちから直接ツッコミが飛ぶ。
アッシュはそれを華麗にスルーするとヴェルダイン目がけて言い放つ。
「じゃあ今度はこちらが行くぞ!」
アッシュは拳を構えたまま一気に間合いを詰めた。
ヴェルダインはもう一度雷撃を放つ。
だがアッシュのスピードは雷撃を上回っていた。
雷撃ごとヴェルダインの腹に拳をねじ込む。
ヴェルダインの体が持ち上がる。
そのままくの字に曲がった体が打ち上げられる。
射出。
ヴェルダインは劇場の屋根を突き破り空高く舞い上がった。
「あ、やべ。劇場壊しちゃった……」
アッシュの放った小さい声。
それがアッシュの素だった。
観客が笑う。
ロープで引っ張り上げたのだろう。
なんという斬新な演出だ。
そう都合良く解釈していた。
それこそレベッカたちがお腹いっぱいになる魔法の効力だった。