逃げる男たち
アイザックは機嫌が良かった。
おかしいくらいに機嫌が良かった。
もちろんそれは世を忍ぶ仮の姿。
実際は怒っていた。
激怒していた。
はらわたが煮えくりかえっていた。
だからアイザックは逃亡することにした。
もう知らねえ。
つき合ってられるか!
結婚式なんてあげねえからな!
アイザックはクリスを嫌いなわけではない。
クリスは美少女であるし、自分が好かれているのも理解している。
騎士の家系に生まれた以上、恋愛結婚など望めないこともわかっている。
王侯貴族や騎士にとっては結婚は家に対する義務である。
それは騎士ではなくなった今でも同じである。
だが、アイザックは気に入らなかった。
いつの間にか外堀が埋め尽くされたのが気に入らなかったのだ。
アイリーンが結婚させようとしたのはいいだろう。
クリスとの友情に違いない。
だが、なぜセシルまで出張ってくるのだろう。
皇子など反則である。
クリスを傷つける気はないが、一矢報いなければ気がすまない。
アイザックは悪魔に戦いを挑むほどの負けず嫌いなのだ。
アイザックは屋敷から出る。
騎士の部屋には「旅に出ます。探さないでください」との置き紙をしてある。
アイザックは二階の窓から外に出る。
そこから裏庭に下りる。
「よう待ってたぞ」
裏庭にはカルロスがいた。
「どうした相棒……」
「俺も逃げようと思ってさ」
カルロスが手を差し出す。
アイザックはその手を握った。
結婚は嫌でゴザルと書いて友情。
絶賛現実から逃亡中。
そのまま二人は逃げ出した。
二人が逃げて2時間後。
最初に異変に気づいたのはアイリーンだった。
アイザックもカルロスもなんだかんだと言って優秀である。
その二人がいなくなると仕事が進まなくなる。
そしてアイリーンは騎士の部屋で置き手紙を見つけた。
置き手紙を読んだアイリーンはふるふると震えた。
そしてアッシュのいる食堂へ走る。
食堂でお菓子を作っていたアッシュを見つけるとアイリーンは言った。
「バカ二人が逃げた! 山狩りするぞ!!!」
「ど、どうした?」
アッシュは困っていた。
「逃げたのだ……バカ二人が……特にアイザックのバカは結婚式が嫌で逃げやがった……」
「お、おう……」
「捕まえるぞ」
「お、おう……」
「さあ行くぞ!!!」
「おう」
こうしてアッシュは巻き込まれたのである。
アイリーンの動きは速かった。
アッシュを巻き込んだのを皮切りに、村人たちや、面白がって参加した蜘蛛やカラス、それに犬人まで味方に引き込んだ。
こうして最強の山狩り部隊が組織されたのだ。
その時、アイザックたちは樹海に逃亡していた。
エルフの村へ逃亡する。
それが二人のプランだった。
絶対に逃げ切ってやるのだ。
そんな二人が樹海を走っているとどこからともなく音が聞こえてくる。
ぽんぽこぽんぽこぽんぽこ。
カルロスもアイザックも嫌な予感がした。
明らかにろくでもないものが近づいてきている。
「親分のたーめーなーら♪」
歌が聞こえてくる。
複数の男女の歌声だ。
「「えーんやこーら♪」」
カルロスの目に飛び込んできたのは腹太鼓を叩くタヌキたち。
それはタヌキの集団だった。
「ちょ、お前らマジで殺しにかかってきやがったな!!!」
アイザックが叫ぶ。
「逃げるぞアイザック!」
カルロスがアイザックを引っ張る。
次の瞬間、狸たちが炎の玉を発射する。
火の玉はアイザックが立っていた位置に着弾すると周囲を巻き込んで爆発する。
ちゅどーん。
当ったら死ぬ火力だ。
アイザックは叫んだ。
「ざっけんなー! 殺す気か!」
「いいから逃げるぞ!」
カルロスはアイザックを引っ張って逃げ回る。
幸いなことにタヌキ軍団は足が遅いし瑠衣のようにワープもしない。
普通に逃げるだけで、はるか後方に置き去りにできた。
「くっそ、アイリーンめ! 殺すつもりだぞ」
アイザックが石を蹴る。
カルロスは頭を抱える。
「ガウェインさんへの態度を見て容赦ないとは思ってたけどガチだ……」
言われたい放題だがアイリーンにそこまで悪意はない。
「捕まえたらアッシュのケーキをプレゼント♪」と言っただけである。
だが村人はともかく、悪魔たちはこの言葉に本気になった。
悪魔が本気を出してしまったのだ。
一息ついたアイザックの耳に鳴き声が聞こえてきた。
「カアカアカア……」
カラスだ。
伽奈のカラス軍団だ。
アイザックは指をさす。
その手は震えていた。
「ちょ、おま、ざけ……」
「ぴぎゃああああああああッ!」
カラスが炎を吐く。
「「ざっけんなー!!!」」
アイザックとカルロスは叫びながら逃げる。
人生の中で五本の指に入るほど本気になって走った。
炎が後ろから迫ってくる。
二人はさらにスピードを増していく。
ひどすぎる。
鬼か! この人でなしが!!!
二人は泣きながら逃げた。
だが追跡者は容赦しない。
二人の前に蜘蛛の大群が現れた。
「「やりすぎだろが!」」
二人が叫ぶ。
そして蜘蛛たちが一斉に糸を吐いた。
◇
瑠衣は正直言って驚いていた。
タヌキにカラスに蜘蛛。
それだけの追跡を受けながらこれだけ逃げまわった二人。
すでに人類としては上位1パーセント以内の強さだ。
化け物じみていると言っても過言ではないだろう。
はっきり言って二人の戦闘力はガウェインにも迫るところまで来ている。
ほめられこそすれど、怒られるいわれはない。
だが二人はアイリーンに怒られていた。
「あのな、アイザック。いくら結婚式がいやだからって逃げることないだろ……」
「いや結婚がいやなんじゃなくて、自分の知らないところで結婚を決められるのがいやなんですって!」
「カルロス。セシルのことをもっとかまってやれよ。あれだけ美しい女性に好かれたんだ。嫌なら嫌で、はっきりしてやれよ」
「嫌いじゃないし、うれしいんですけど、ほ、本能が肉食動物怖いって言うんですって」
二人は弁解するがアイリーンは聞いていない。
「まったく結婚が怖いって、お前ら乙女か!」
アイリーンはプンスカと怒る。
それを聞いたアイザックがキレた。
「そういうアンタはなんなのよ! 悪魔けしかけるとか鬼か!」
「なんでだよー。いいじゃん怪我しなかったし」
「普通なら死んでたって! ねえ、マジで手加減してよ!」
「だめーでーす!」
子どものようなけんかが続く。
瑠衣はアッシュのケーキを口に運ぶ。
相変わらず絶品だ。
ケーキを食べながら瑠衣は考えていた。
これほどまでに人間は強くなることができる。
やはりドラゴンライダーの影響が出ているのだと。