アッシュ VS イノシシ
アッシュは大カラスの背に乗っていた。
伽奈の眷属である。
アッシュが乗ったら重量オーバーのような気もするが、レベッカと同じように魔法のアシストがあるのだろう。
大カラスは普通に飛んでいた。
しばらく飛ぶと山が動いているのが見えた。
それは山ではなかった。
山ほどの大きさのイノシシが樹海を移動していたのだ。
なぎ倒される木々が上空からも見えた。
「うっわぁ。大きいなあ」
「くわッ!」
アッシュが独り言を言うと、カラスが「マジパネエッス!」と鳴いた。
アッシュたちはなぜか人語を話さない悪魔たちと普通に意思疎通ができる。
これも瑠衣に鍛えられたからだろう。
「悪いけどイノシシの上まで飛んでくれるかな」
「くわーッ!」
「了解ッス! アッシュの兄貴!」とカラスは答えた。
カラスたちはちょっとヤンキー気質のようである。
カラスはイノシシの上にアッシュを運んでいく。
アッシュはイノシシの上に来ると一気に飛び降りる。
アッシュはイノシシの上に飛び降りた。
イノシシは上機嫌で歩いていた。
「ぶもーぶもー」と鼻歌まで歌っていた。
自分は最強だ。
この大きさ、力、スピード。
どんな生き物よりも強いのだ。
イノシシは賢かった。
教育こそ受けていないが少なくともイノシシが蹴散らしたヴェルダインよりは頭がよかった。
己の身の大きさ、そしてスピードこそが最大の武器だと理解するほどに。
だからこそすぐに異変に気がついたのだ。
己の背からただならぬ気配がする。
なにか今まで会ったことのない恐ろしいものだ。
その何者かは言った。
「話し合おう」
「ぷ、ぷぎ?」
思わず変な疑問系の泣き声がイノシシから漏れ出した。
イノシシには意味がわからなかった。
強さを見せて言うことを聞かせればいいのではないだろうか?
なのにその何者かは「話し合おう」と言ったのだ。
イノシシは人語を解さない。
だがその何者かの言ってることは本能でわかったのだ。
イノシシの本能が危険信号を出した。
それが恐怖である事に気づく前にイノシシはブルブルと身を揺すり何者かを振り落とした。
それはシュタッと着地する。
「俺は動物をいじめたくない。こちらの言うことを聞いてくれれば安全は保証する」
やはり、なぜかその言葉は言葉がわからないはずなのに頭に響いてくる。
その声は低く、そしてどこまでも通る声だった。
実はこの現象はクローディアのレッスンの効果なのだがイノシシはそれを知るよしもない。
アッシュの方も犬にはなんとなく通じるので同じ事をやっているだけである。
さらに当のクローディアはこの魔法的効果のことはすでに忘却の彼方だった。
そしてイノシシは完全に焦っていた。
「やだ、なにこの人間。すごく変!」と焦っていたのだ。
「ぶもお! ぶもお!」
一応威嚇してみる。
示威として木を蹴り倒したりしてみる。
だがアッシュの態度は一貫していた。
まったく恐れなど抱いていない。
「めッ!」
怒られた。
イノシシは混乱した。
いきなり襲われたり、叫ばれたりはしたことがある。
でも怒られたのは初めてだった。
「ぶも……」
少しへこんだ。
そして……理由もなくムカついてきた。
「ぶも! ぶも! ぶも! ぶもおおおお!」
訳:「え、なに? どうして? なんで俺が怒られてるんよ!」
いい加減にしろと怒ったイノシシは攻撃することを選んだ。
最大にして最強の攻撃。突進である。
「ぶもおおおおおおおおおおおおおッ!」
土と木が宙に舞い、体全体に響く雄叫びがアッシュを直撃した。
普通ならアッシュはヴェルダインと同じ運命をたどるはずだった。
だがアッシュはその低い声で言った。
「めッ!」
ばっちこーん!
アッシュは混ぜかえされる土の中を飛び跳ね進み、イノシシのその横っ面をひっぱたいた。
イノシシがひっくり返り、その体に樹海の木々がなぎ倒される。
イノシシにはなにがあったかすらわからなかった。
とにかく痛かった。
生きているうちで一番痛かった。
「ぷ、ぷぎいいいいッ!」
「痛え。超痛え。マジおかしいだろこんなの」とイノシシはつぶやいた。
「かわいそうだが怪我するかもしれない。あとで瑠衣さんに治療してもらおう」
アッシュはあくまで態度を崩さない。
その態度にイノシシは今度こそ、完全に、恐怖を抱いていることを自覚した。
勝てない。勝てるはずがない。
この生き物はなにかがおかしいのだ。
「大人しくしなさい」
アッシュはあくまで警告した。
イノシシは己を奮起する。
なぜ自分がこんな小さな生き物に恐怖を抱いているのだと。
自分は地上の王者ではなかったのかと。
「ぶもおおおおッ!」
イノシシは起き上がりまたもや突撃する。
これはいじめられっ子に逆襲されたいじめっ子が泣きながら突撃するのに似ていた。
「とりゃあ!」
アッシュはその突撃を飛び上がってかわす。
そしてイノシシの頭の上に飛び乗った。
イノシシの頭は嫌な予感でいっぱいになった。
「めッ!」
そういうとアッシュはイノシシの頭に手刀を落とした。
どっごーん!
イノシシの頭に大爆発したかのような音が鳴り響いた。
イノシシはズササーと地面に突っ伏す。
そしてアッシュはイノシシの頭を押さえつける。
「ぶ、ぶも?」
それは恐怖以外のなにものでもなかった。
小さな人間に頭を押さえつけられているのだ。
しかもイノシシは頭を上げられなかった。
なんという力なのだ。
「このまま言うことを聞くまで押さえつける」
「だからなんでお前の言ってることがわかるんだよ!」とイノシシは泣きそうになった。
イノシシは身を揺らすが頭はビクともしない。
「ぷぎ! ぷぎ! ぷぎ!」
「ダメだ。言うことを聞くまで離さない」
イノシシは完全に理解した。
もうこの生き物に勝てる手はない。
絶対に勝てない。
この人間に出会ってしまったのが運の尽きだった。
そしてイノシシは選択した。
「ぷ、ぷきゅ?」
目をキラキラさせて尻尾などをふりながら精一杯かわいい声を出した。
するとアッシュは手を離しイノシシから離れる。
「ぷきゅ?」
イノシシは目をキラキラさせながらそのまま身をよじり、お腹を出した。
「おれっちの負けっす。もうどうにでもしてー」と。
王者としての貫禄やプライドなどかなぐり捨てたのだ。
山のような大きさのイノシシが尻尾をふりふりしながら媚びを売る姿はまさに異様の一言だった。
「さて引き渡そうか」
アッシュはイノシシを連行していった。
こうしてアッシュたちはエルフの街への土産を手に入れたのである。
アッシュはそれにまったく気づいてなかった。