アッシュさんと木苺のパイ、それとレベッカたんとベル姉さん
アイリーンが起きると手を握るベルの顔が見えた。
アイリーンはベッドに寝かされていた。
アイリーンはベッドのある部屋に見覚えがある。
確か屋敷のゲストルームだ。
「アイリーン様」
「ベル。ここはアッシュ殿の屋敷だな……どうなった」
「それが……アッシュ殿は……」
「アッシュ殿は?」
ベルが目に涙を溜める。
「な、なにがあったベル! もしかして辱めを受けたのか!?」
家臣とは言えベルは血縁上はアイリーンの従姉妹にあたる。
辱めを受けるなどという不名誉を受けさせるわけにはいかない。
そうだとしたら名誉のためにアッシュを殺さねばならない。
たとえそれが高い確率で返り討ちにされるとしてもだ。
「そ、それが……」
ベルは目に涙を溜める。
「それが?」
「もの凄くいい人でしたー!」
「ほえ?」
アイリーンは貴族の子女には許されないような間の抜けた声を出した。
そう言えばアッシュは出てきただけでなにもしてない。
それなのにベルはアッシュに剣を向けてしまったのだ。
そのことをアイリーンは思い出して顔を青くする。
「わ、わ、わ、私はなんてことをしてしまったのだ……」
本来なら平民のアッシュにそこまで気を使うことはないのだが、アイリーンは自分がお願いをする立場だとちゃんと理解していたのだ。
これでは交渉する前から失敗している。
だがベルは冷静に主に意見する。
「あ、いえ、そちらは問題ありません。アッシュ殿はいつものことだから気にするなと仰っておりました」
アッシュは女性と子どもには怯えられてしまうのだ。
「いつものことなのか!」
アイリーンがたまらずツッコむ。
そんな日常は嫌すぎる。アイリーンは思った。
だが瞬時に頭を切り換えて冷静にアッシュという男を値踏みする。
どうやら相手は肝の据わった男のようだ。
これではまるで神話の英雄ではないか。顔以外は。
アイリーンは最高に失礼なことを考えながらゴクリとつばを飲み込んだ。
この大ポカを超える問題とは一体何だろうか?
「そ、それで問題とは……?」
「アッシュ殿は」
「アッシュ殿は?」
「ものすごくお料理が上手なんですー!」
ズルッっとアイリーンがコケた。
何とか踏ん張って体勢を整えるとアイリーンはため息をつく。
「なんだそんなことか」
アイリーンは貴族の令嬢である。
料理など自分でやったことはないので残念ながらアッシュの凄さがわからない。
「料理人には男も多いんだしそのくらい珍しくなかろう……」
だがベルは熱く語る。
「そんなレベルではありません! あの料理は別格です。それをあんな筋肉の塊が作ったかと思うと女として負けた気分になるんです! これを見てください」
ベルがゲストルームのテーブルに乗った皿をアイリーンに差し出す。
皿にはかわいくディフォルメされた動物や果物のマジパン菓子が鎮座していた。
「ずいぶんかわいいな……戦時でなければ帝都でも話題になっただろうな」
「アッシュ殿の作品です」
「ほう素晴らしいな」
アイリーンは素直に感心する。
同時に思った。
(あのナリでこんなファンシーな造形をどこからひねり出しているのだろうか?)
失礼続行中。
「これは運命だと思いませんか?」
ベルの目が血走っていた。
「お、おう」
アイリーンは「またかよ」という顔をした。
ベルは普段は冷静で有能、しかも美人のお姉さんタイプで男にもモテるのだが一つだけ大きな欠点があった。
かわいいものを愛しすぎているのだ。
自分の部屋はぬいぐるみで埋め尽くし、猫がいると聞いたら追いかけ回す。それがベルなのだ。
「アイリーン様!」
ベルは真剣な顔、いや狂気に傾いた顔をしていた。
「お、おう」
「アッシュ様との婚姻のお許しを」
アイリーンは一瞬何を言われているかわからなかった。
「何を言っているのだ貴様は」
「うんもー、こんなかわいいものを出されたら結婚するしかありません!」
ベルがクネクネと身をよじる。
顔はなぜか紅潮している。
「顔が怖いんだろ!?」
アッシュ最大の欠点である。
「うん、もう、欠点の一つや二つ圧倒的な長所の前ではどうでもいいことです」
そう言うとベルはアイリーンの目を見つめる。
ベルの目は本気と書いてマジだった。
アイリーンは何を言っても無駄なことを覚る。
「お、おう。それで我が軍への加勢についてはどうなった」
アイリーンが軽くスルーして本題を切り出すと目が血走っていたベルが途端にシャキッとした。
「その前に大きな問題が発生しました」
「問題とは?」
「それが……」
「お姉ちゃん起きました?」
アイリーンの目に尻尾をふりふりする小さな生き物が見えた。
目が合うと首をかしげる。
アイリーンが固まっているとベルが小さな生き物をがばっと抱きしめる。
「レベッカたんかわいい!」
ベルの頬ずり攻撃。
「いやーん」
レベッカは身をよじる。
でもその顔は遊んでもらえるので嬉しいという顔だ。
「レベッカたん! お兄さんを私にください!」
「やー♪」
レベッカはノリノリな様子でバッサリと一刀両断にする。
でもそのわりには嬉しそうで尻尾が揺れていた。
「神よ! 私に死ねと仰るのか!」
ベルがオーバーアクションで悲劇のヒロインを演じる。
一向に話が進まない。
しかたないのでアイリーンはむりやり話を変える。
「それはいいから! なにが問題なんだ!?」
再びベルがしゃっきりとする。
レベッカを抱っこしながら。
「私も初めて見たので断言はできませんがレベッカはドラゴンです。それも原種に近いドラゴンです」
アイリーンが固まった。
「な、な、な、なんだと……」
アイリーンが驚くのも無理はない。
人間に飼われている飛龍とは違い、そもそも野生のドラゴンは会ったら即死亡クラスの生き物である。
あまりにも数が少なすぎて被害報告はないがとにかく危険な生き物とされているのだ。
調子に乗った王が軍を動かしドラゴンにちょっかいを出して国ごと滅ぼされた昔話はいくらでもある。
しかもレベッカは神と同一視される原種のドラゴンである。
「終わった……神聖帝国……完全に終わった……」
アイリーンが力を失い膝から崩れ落ちた。
「ベル……今に母親が取り返しに来るぞ……そして一瞬で我が国は消し炭にされるんだ……あはははは」
壊れるアイリーンが紡ぐ言葉をベルはニコニコとしながら否定する。
「あ、いえ、それは大丈夫です。ねー、レベッカたんがアッシュ殿のところに来たときのこと教えてくれるかな?」
「あい。ママがドラゴンライダーさんが迎えに来てくれるから待っててねって言ってました。それで待ってたら喉が渇いたので水を飲もうとしたら井戸に落ちちゃいました。それで暗くて怖かったので泣いてたら、にいたんが助けてくれました」
「よくできましたー」
「あい」
ベルがレベッカをなでなでする。
レベッカは尻尾をふりふりする。
ベルとレベッカはすっかり仲良しである。
「つまり今のところはドラゴンの意思であって危険はないということか……」
「そうだと思います。ですがこれは国の一大事です。優先すべき事柄だと思われます。……レベッカたんのぬいぐるみを作ったり。レベッカたんの絵を描いたり」
最初に正論を言いながらもベルは欲まみれの顔をして後半で台無しにした。
鼻血を出しながら。
「お、おう……それでアッシュ殿は?」
ダメな娘は相手にしつつ話を逸らすのが一番である。
「アッシュ殿は……」
「木苺のパイが焼けたぞー!」
空気を読まず巨人が押し入ってきた。
視線が巨人に集まる。
アイリーンは一度恐怖で気絶したためか耐性がついていた。
妙に機嫌がいいように感じられる。
「ね、料理がお上手でしょ」
ベルが感情のこもらない声でそう言った。
よほど悔しいらしい。
「え、なに? キッチンは絶対に譲らないからな!」
アッシュは強行に主張する。
いらねえ。
その場にいたレベッカ以外全員の冷たい視線が突き刺ささる。
「……こほん。アッシュ殿、軍に戻っては頂けないだろうか?」
アッシュの自信作のパイを完全に無視してアイリーンは言った。
「え、無理」
「なぜだ! 報酬はちゃんと払う。いや皇帝陛下にこのたびの活躍を報告すると約束しよう。爵位も夢ではないぞ」
「いやだってレベッカいるし。小さい子を一人にできないだろ」
アイリーンは再び固まった。
「姫様。これが一番の問題なのです……アッシュ様は動けません。それにドラゴンをないがしろにしたら確実に国が滅びます」
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」
アイリーンは一生懸命考える。
そして目を見開き宣言した。
「わかった、なにかいい手がないか考えよう! ええっとアッシュ殿、この部屋をお借りしてもよろしいかな?」
「え、ええ構いませんけど」
「よしベル。アッシュ殿を説得するぞ! わかったな!」
「ハッ!」
アッシュを遙か彼方に置いてけぼりにしながらツッコミが村に滞在することになったのだ。
村の人口 20人 → 24人(アイリーン、ベル、護衛騎士2人)