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全てはカオスへ……

 アイザックは酒場の掃除をしていた。

 貴賓たちの夢の後とは言えども汚いものは汚い。

 アイザックはまずモップで水拭きをする。

 ちなみに幽霊メイドのメグがここでの使用を反対したので、一番汚いトイレ用の廃棄予定モップを使うことになった。

 水拭きしてもまだ臭いため、次に柑橘類の絞り汁で床をふく。

 昔からある消臭方法である。

 乾燥させてからから拭きし、今度は山羊の乳で床にワックスをかける。

 あとは椅子を洗えば店の掃除は終わりだ。

 仮設でオーナーはアッシュと言えどもアイザックの初めての店だ。

 手間はいくらかけても惜しくはない。

 アイザックは思う。

 今は人生が充実している。

 借金もなければ面倒な騎士の掟もない。

 今の上司であるアッシュは懐が深く、公平で、尊敬ができる。

 あれで年下なのだから世の中は不公平と言えるだろう。

 しかも、つき合っていれば次々と刺激的な出来事が起こる。

 少なくとも退屈はしないのだ。

 しかも軍師とかのわけのわからない手当が付いて騎士だったころより懐も温かい。

 毎月の実家への仕送りも負担にならない。

 これであのわけのわからないロリコン疑惑さえなければ完璧だろう。

 いや完璧などありえない。

 昔の偉い軍師は言っていた。

 完全勝利は敗北と同じだと。

 アイザックの心は晴れ晴れとしていた。

 とてつもなく機嫌がよかった。

 そう思うと自然と鼻歌が漏れ出してくる。

 だがそこに侵入者が現れた。


「おーっす。アイザック」


 それはロリコン疑惑の元凶だった。

 いつもの『兄ちゃん』じゃなくて、とうとう呼び捨てだ。


「どうしたクリス」


 アイザックはクリスを観察する。

 なんだかやたらめかし込んでいる。

 行商にでも行くのだろうか?


「あのな、父ちゃんがあとで挨拶に来るって」


「なんの話だ?」


 意味がわからない。

 するとクリスはモジモジしている。


「私との祝言だよ」


 「ぴしり」と頭の血管からヤバめの音がした。

 最近多い偏頭痛である。


「えっとな。寝言は寝てから言えよな」


 どうしてこの村の連中はクリスとアイザックをくっつけようとするのだろうか?

 アイザックは思い悩んだ。

 年齢的に釣り合いが取れてない。

 それに少女の初恋など風邪のようなものだ。

 すぐに同年代の恋人ができるだろう。

 なぜそんなに焦るのだろうか?


「あ、愛する……つ、妻だって……カルロスくんが……言ってたって。あのね、今度村総出で結婚をお祝いしようって父ちゃんが」


 クリスは顔を赤らめている。

 やはり女の子である。

 だがかわいらしいクリスをほめる余裕はアイザックにはなかった。

 これはカルロスの報復だ。

 置いていったのを根に持って仕返しをしやがったのだ。


「か、カルロスウウウウウウッ!!!」


 アイザックの心の叫びがクリスタルレイクに響いた。



 第三皇子セシルの不幸は出生にさかのぼる。

 当時、見栄を張っていた第三婦人。

 皇帝からすれば数多くいる女の一人が妊娠した。

 ただそれだけの話だし、それはめでたいことだ。

 だが第三婦人は焦っていた。

 すでに第一皇子、第二皇子までが出生をしていた。

 皇位継承のおこぼれに預かれるのはせいぜい第三皇子までなのだ。

 特に皇帝の血を引いた子どもたちに女子がやたらと多い場合は特に。

 そこで第三婦人は男を産むことにした。

 そのために男子が生まれやすくなるありとあらゆる手段をとった。

 だが生まれたのは女だった。

 だから少し正気を失っていたのだろう。

 第三婦人は生まれた子が男であると発表した。

 本来なら処刑されてもしかたがないほどの大罪である。

 だが幸いなことに嘘は露見しなかった。

 それには理由があった。

 皇帝は我が子に興味を示そうとしなかったのだ。

 いや婦人たちにも……正妃にすら興味を示さなかった。

 帝国の行事にも呼ばず、外交の場にも連れて行かず、それどころか食事をともにすることも話しかけることもなかった。

 だから皇子たちは半ば放置されて育った。

 さらに長男が体が頑丈で優秀だったことも幸いした。

 セシルは放蕩者の変人でいることができたのだ。

 そしてセシルは母親の名誉のために男として生き、誰とも交わらず死ぬことを運命付けられていた。

 一人で生き、一人で死ぬ。

 それがセシルの運命だった。

 だがその日セシルの運命は変わった。

 魔人アッシュの舞台。

 それを見たセシルはこの国の終わりを突きつけられた。

 そして同時に自分の傀儡になれという脅迫だった。

 劇場にいる間から行っているささやかな抵抗も長くは続かない。

 セシルはとうとう酒場で完全に意識を失った。

 なにをされても文句は言えないだろう。

 だが次の日セシルは驚いた。

 なにもされていなかったのだ。

 いや正確に言えば着替えさせられていたのだが、それだけだった。

 しかもそれを誰かに言いふらした形跡もない。

 何もなかったこととして処理されていたのだ。

 セシルは思った。


 ……こんなことはありえない!


 彼女の中で男とは自分の父親のような生き物である。

 下品で野蛮で女を抱くことしか考えていない。

 それが泥酔する女を前になにもしない。

 果たしてそんな男がいるのだろうか?

 セシルは自分の価値観が崩れるのを感じた。

 そしてこれをなした男、アイザックを呼び出したのだ。

 だがアイザックと会ってセシルはがっかりした。

 権謀術数を駆使する宮廷によくいるタイプの男だったのだ。

 女より金が好きな輩だ。

 しかもセシルより数段上手だ。

 だが肉食動物であるセシルは同時に妙な気配を感じていた。

 アイザックの横にいるウサギのような愛らしい顔の少年。

 いや騎士の軍服を着ている。

 成人しているだろう。

 調べさせた経歴では海軍提督の婚外子だ。

 なぜか親近感のわく身の上だ。

 その表情に邪気はない。どうにも善意のような気がする。


 しかも、見れば見るほどぞくぞくする。

 追いかけたい。

 捕まえたい。

 組みしだきたい。

 剥きたい。

 なんだか変態じみた妄想で頭がいっぱいになってくる。


 それが一目惚れであるということを自覚できるほどセシルは素直ではなかった。

 こうして「子どもを産む」宣言に繋がったのである。

 不幸な人生がそうさせたのか、屈折しまくった愛情表現である。

 さて、セシルは正体を知っているごく親しいメイドを残して他を帰らせた。

 なぜなら、生まれて初めて女装(・・)をしてみようと思ったのだ。

 思いっきり派手なドレス。

 クローディア・リーガンが舞台で着て流行した最新ファッションである。

 着てみたらいろいろなところがスースーする。

 顔もいつもの厚塗りではないため違和感がある。


「姫様……まさかこんな日が来るとは……うっ」


 母よりも親しいメイドが涙を流した。


「うむ。股がスースーするぞ」


「くれぐれも大股で歩かぬよう。クローディアの舞台と同じように歩きなさってくださいませ」


「うむわかった」


 観劇マニアだけあってセシルはエレガントな動き方というものを理解していた。

 セシルはウサギ攻略に向けて全兵力を投入することにしたのだ。

 セシルは馬車でカルロスの元に向かった。

 カルロスはアイザックへの報復として村で嫁発言を言いふらしていたところだった。


「まあ、カルロスちゃん本当?」


「本当本当。アイザックは本当はクリスちゃん大好きっ子なのに騎士じゃなくなったから嫁に迎えられないとか言ってやんの」


 大嘘である。


「あらやだ。でもアッシュの旦那の店手伝ってるんだろ?」


「酒場の責任者だって、結構稼いでるってさ」


 わざとカルロスは稼いでいるという情報を流す。


「んもー。若いもんはじれったいなあ。それならおばさんにまかせなさい」


 おばさんが自分の胸をドンと叩いた。

 それを見てカルロスは「うけけけけけ」と暗く笑う。

 これで村のおばちゃん網は完全制圧したのだ。

 それはまるで情報工作のプロのような手腕だった。

 だが無駄スーパーエージェントカルロスも自分の背後から近づくものに気がついてなかった。


「カルロス」


 それは美しいご婦人だった。

 横に並んだらカルロスは、モブどころか背景どころか世界に溶けてしまいそうなほどの存在感のある美女だった。


「あ、あ、あ、あ、あ……」


 カルロスは驚きすぎて声が出ない。

 あの白塗り残念美女がバージョンアップして帰って来たのだ。

 しかもなぜか幸せのにおいをかぎつけたのか子ドラゴンたちまでやって来る。


「ちょ、ちょ、ちょ」


「どうした褒め言葉の一つもないのか?」


「あが、あが、あが……」


 カルロスが引きつけを起こしそうになっていると子ドラゴンたちがなぜか喜んでいる。


「カルロスにいたんがんばれー!」


「がんばれー!」


 そして言葉を失ったカルロスは……逃げた。


「うみゃー!!!」


 カルロスの脳の処理が追いつかなかったのだ。


「あ、ウサちゃん……」


 露骨に残念そうな顔をするセシル。

 これが女子力のなさなのかと少し落ち込んだ。

 実際は女子力がないどころか、カルロスがビビるレベルの女子力の爆弾を投げ込んだのである。

 肩すかしを食らったドラゴンたちは思った。

 「そうだ魔法をかけよう」と。

 レベッカはそこにいなかったが子ドラゴンたちはシャキッとする。


「みんなー。しゅうちゅう!」


「あーい!」


「魔法かけます!」


「あーい」


 子ドラゴンたちは手をあげる。

 その効果はごく小さなものだった。

 近くにいた悪魔を呼び寄せただけの効果だった。

 ただしその悪魔が問題だった。

 その悪魔は昼間っからワインをかっくらっていた。

 そしてつまみをもとめ村を徘徊していた。

 人間の姿で。

 クローディアである。

 そのクローディアはなぜか子ドラゴンたちのいた方向へ足が向いた。

 そして落ち込んでいるセシルを見つけてしまった。

 見つけてしまったのだ。

 そしてクローディアは心の中でガッツポーズをした。

 この村はなんという人材の宝庫なのだと。


「お嬢さん。女優になる気はない?」


 クローディアはセシルに話しかける。

 セシルは目を見開いた。

 憧れの女優の言葉。

 それが何度もセシルの頭に響いた。

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