セシルは草食動物が気に入ったのである
第三皇子。実は女性であるセシルは焦っていた。
着替えさせられた。
つまり自らが女性と言うことが露見したのだ。
だが陵辱された形跡はない。
酒場にいたのはおぼえている。
おそらく何らかのミスで自分は酒場で気を失ったらしい。
つまり相手には敵対の意思はなくあくまで好意であると言うことが想像できた。
あの日はストレスの絶頂にあった。
もしかしたら悪酔いして吐いたのかもしれない。
セシルはもっとクリティカルな状態だったのだが、それを知ったら自ら命を絶ったかもしれないのでこの場合、アイザックの判断はベストだったと言えるだろう。
つまり悪酔いして服を汚した自分を高貴な身分であることをわかったうえで全てを隠蔽してくれたということだろう。
逆に言えばその紳士……おそらくあのバーテンかその仲間の胸先三寸で自分は社会的に抹殺することができるのだ。
セシルは恐ろしかった。
秘密を知っている誰かがやろうと思えば、自分を陵辱して子を産ませ国を乗っ取ることも可能なはずだ。
どんどんと悪い考えが浮かんでくる。
ちなみにアイザックとカルロスの両名は関わりたくなかったので一生黙っているつもりだったし、アイリーンやアッシュに至ってはそういう下劣で卑怯なことは大嫌いだ。
もしアイザックが提案したら死ぬ寸前レベルの「めッ!」が炸裂しただろう。
つまりセシルの懸念は全て杞憂だった。
だがセシルにその判断ができるはずがない。
だからセシルは直接問いただすことにした。
セシルに残っている手はもうこれしかなかったのだ。
それは直接攻撃だった。
第三皇子と名乗ったセシルはアイリーンを通じて「世話になった礼がしたい」とアイザックとカルロス両名を呼び出した。
権力の前ではカルロスの逃げ足は役に立たなかった。
というわけで今、アイザック&カルロスは、とてつもなく嫌そうな顔をして宿のソファーに座っていた。
そして部屋に白塗りの顔に派手派手しい服を着た伊達男が入ってくる。
念入りにつけヒゲまでつけている。
「やあ、世話になったようだね。私は第三皇子セシルだ」
笑っている。
だが口の端がひくついている。
相当焦っているようだ。
カルロスはアイザックに全てを任せようと思った。
アイザックはカルロスの目を見た。
「俺にまかせておけ」
その目は雄弁に語っていた。
「殿下。私はアイザック・クラーク。こちらはカルロス。両名ともアイリーン様にお仕えしてます」
「ほう、お二人とも騎士なのですかな?」
「いいえ。私は許されぬ罪を犯し騎士をやめました」
「そうですか。もし騎士に戻られる気があるのなら私にお力添えができるかと思いますが」
セシルのこの発言は「私の騎士になれ」という意味である。
部下にさえしてしまえば生かすも殺すもセシルの胸先三寸だからだ。
「いえ、私には騎士の身分を捨てても惜しくないほど愛している妻がいますので」
(おんやー?)
カルロスは違和感とともに危機感を感じた。
「それは残念」
セシルは首に噛みついてやろうという表情をした。
「ですが、このアイザック、それに私の上司であるこのカルロス様はセシル様と男と男の友情の契りを結びたいと思います」
訳すると「絶対言わないから許してよ」である。
「男と男のか?」
「男と男のです。このアイザック、落ちた身とはいえ魂は騎士。約束を違えることはないと誓いましょう」
誰々に誓うと言わないところがアイザックのずるいところである。
だがこの発言は確実にセシルの心をつかんだ。
「そ、そうか! 今では失われた騎士道の心を見た。私はとても感動している」
「それでは我が身はただの平民。妻クリスの元へ帰るとしましょう。カルロス様。あとはまかせましたよ」
アイザックはさりげなくクリスを妻と言い張って変態ロリコンであることもアピールする。嫌らしいくらいに抜け目がない。
ここでようやくカルロスはわかった。
(この野郎! 逃げやがった!)
アイザックはカルロスに全てを押しつけて逃げやがったのだ。
しかも交渉のラインをちゃんと引いて絶対失敗しないように道筋をつけた上で。
カルロスは牙を剥いたアイザックの卑怯さにブチ切れそうになっていた。
帰り際にアイザックはカルロスの耳元でささやく。
「いらなくても友情の証として剣か鎧をもらえ。俺には金な。俺らには必要ないものだが相手はそれで納得する。わかったな」
(こ、この野郎!!!)
「では私は失礼いたします。当劇場へまたのお越しを」
胸に手を当て手の平を差し出す騎士風の挨拶をし、アイザックは部屋を後にしようとした。
だがセシルが呼び止める。
「ああ、待ってくれ。アイザック」
「なにか?」
アイザックは焦った。
ここでひっくり返されてはシナリオが水の泡だ。
「いや、その……友情ついでにクローディアと主役のアッシュ殿、それにあの新人女優のサインを頂けたらなあと」
(案外乙女だなおい!)
アイザックは胸をなで下ろした。
「後でお届けいたします」
「ああ、すまない」
アイザックは笑顔で部屋を後にする。
アイザックはまんまと逃亡に成功した。
だがまだアイザックは知らない。
置いて行かれたカルロスのフルパワーでの報復を。
怒れる草食動物が一矢報いる様を。
草食動物の驚くべきコミュニケーション能力を。
だがまだカルロスは危機から脱していなかった。
今度はカルロスが逃げる番なのだ。
カルロスはアイザックに言われたとおり剣を下賜されようと思っていた。
だがそんなカルロスへセシルはにっこりと微笑む。
「ベイトマン地方騎士団カルロス・クエンカ。いや父方のメディナと呼ぶべきか」
カルロスは真顔になった。
明らかに動揺している。
セシルはアイザックとは相性が悪い。
アイザックの方が何枚も上手なのだ。
だがカルロス相手なら手綱を握ることもできるのだ。
急に元気になったセシルはニヤニヤしながら聞く。
「なぜ海軍に入らなかったのかね?」
「な、なぜそれを……」
カルロスは焦った。
絶対にバレるはずのない情報なのだ。
「隠蔽されてはいたが私の立場なら難しくはない、キミ……いや貴公はメディナ海軍提督の長男だな」
「相続権のない婚外子です」
カルロスは言い切った。
「ふふふ。貴公なら海軍に入隊すれば出世も思いのままだろう。それに海軍の方が給料はいいはずだ」
「父とは不仲ですので……いや会ったことがほとんどありませんので」
「そうか? 貴公は騎士の剣ではなく海軍剣術の達人だと聞いたが」
「まさか。弱いですよ」
これは完全に嘘である。
海軍の剣術は叩き込まれている。
カルロスの異常な足腰の強さも船で鍛えられたものだ。
なんだかんだでお坊ちゃん育ちのアイザックに海軍式のナイフの使い方を教えたのはカルロスである。
剣も達人というとさすがに誇張がすぎるが、どんな戦いにおいても逃げられる程度の腕はある。
実際に前戦に出てもほとんど怪我をしたことはない。
攻撃的な性格ではないのでアイザックよりは弱いが、技術そのものはアイザックより上だ。
とは言ってもやはりカルロスは気が弱いから実戦も弱い。
アッシュレベルの剣気を受けたらその場で気絶するだろう。
それにカルロスは逃げ足の方が得意だ。
「私は争いごとに向いてないんです」
カルロスははっきりと言った。
これは間違いではない。
性格的に喧嘩は苦手なのだ。
「そうか……ふむ。私は君が気に入った」
セシルは「ふふふ」と笑う。
「どういう意味でしょうか?」
「あのアイザックは軽薄なチンピラに見えるがあれはわざとだな。本当は後方勤務のインテリだろう。だが君はどんなに隠しても野性的だ。草食だがね」
「あの……」
「ヤツは言っただろう。道具か金を賜れと。それで私は納得する。なんと小賢しい男だ」
「い、いや……」
図星である。
「だがヤツはそれゆえ信用できる。行動がすべて打算の産物だからだ。金で解決してくれるだろう。だが貴公はどうだ?」
セシルはカルロスを指さした。
「……え、私?」
「貴公は全て善意だな」
「これでも騎士ですから」
カルロスは胸を張る。
一応は職務的なプライドを持っているのだ。
「だから信用できない」
「なぜですかー!」
もう面倒くせえなという態度をカルロスは出してしまった。
「担保がないからだ。考えてみたまえ、君は敵になるかもしれない勢力の騎士の胸先三寸で自分の生死まで決まるとしたらどう思う」
そりゃ生きた心地はしないだろう。
だが答えはそれではない。
「騎士の誇りにかけて口外いたしません」
「違うな。貴公の本性は海賊だ。本気になった貴公を私は見たい」
セシルははっきりと言った。
カルロスはあまりの言い様に言葉を失った。
そしてそこにセシルが爆弾を投げ込む。
「私は貴公が気に入った。子どもを作ろう」
「ほへ?」とカルロスは一瞬呆けた。
そして気の抜けた声で言った。
「な、なに言ってるのあんた……」
わなわなと震える指先でセシルを指さす。
セシルはニコニコとしながらつけヒゲを取った。
気の強そうな白塗り顔でカルロスを見つめる。
「なあに私ももう23だ。子どもの一人も産んでみたかったところなのだ。幸い貴公は若く顔は悪くなく血統も充分だ、そしてお人好しだ。自分の子を産んだ女を殺すことはできないだろう。妊娠したら2年ほどメディナ提督と貴公の元で姿を隠すさ。ほとぼりが冷めたら『愛人に産ませた子』を手に中央に戻ろうと思う。貴公を手に入れればメディナ提督……いやメディナ提督を足がかりに私は海軍を傘下に収めることができる。なにせメディナ提督は孫を足がかりに中央で権勢をふるえるからな。貴公は私の権力で一軍の将も夢ではないぞ」
実はセシルは必死だった。
本当なら観劇でもしながら老木になって消えるつもりだった。
だが事情は変わった。
『使える人材』にならねば国が滅んでしまうのだ。
このプランなら魔人アッシュも嫌とは言わないだろう。
「いやねえよ! 権力もいらねえっての! 誰にも言わねえからそれはナシで!」
完全にカルロスからは貴人への敬意が完全に消えていた。
それほどカオスな女性だったのだ。このセシルは。
「女を袖にするのか? 女は祟る生き物だぞ」
訳:断ったら殺す。
「そ、その条件だったら……あ、アイザックでもいいのでは?」
カルロスはアイザックになすりつけようとする。
「残念だが彼は少女趣味だ。だが貴公は……たぶん年上好きだな」
殺す。ぜったいにぶっ殺す。
カルロスはアイザックへ復讐を誓った。
年上の美女に性癖を見透かされることのなんたる屈辱よ。
「なあに私は重い女じゃないぞ。結婚しろとは言わないよ。貴公はなんだかんだでズルズルと関係を続けてくれるだろうがな」
セシルは立ち上がるとカルロスへにじり寄る。
「さあウサギちゃん。お姉さんと快楽と言う名の船出をしよう」
「うみゃー!」
カルロスの草食動物の本能が肉食動物に狙われる危機を感じた。
やばいよやばいよ!
その途端、カルロスは宿の窓から外に飛び出す。
「無理ー!!!」
それを見てセシルは笑う。
「あんなに恥ずかしがっちゃってウサちゃんったら……かわいい♪」
肉食動物セシルは完全に草食動物をロックオンした。
カルロスの苦悩は続くのだ。
カルロスは怒り狂った。
草食動物の報復は結構怖いのだ。
チンピラのようで、実は貧乏だけどいい所のボンボン → アイザック
いい所のボンボンのようで、実はチンピラ → カルロス
です。




