貴族たちの反省会……
初公演の後、設営したアイザックの仮設食堂は貴族たちの貸し切りになった。
アイザックはバーテンダーとして酒を出している。
メイクを落としたため、つい今し方まで舞台にいた男だとは誰も気づいていない。
しかも借金を返すために酒場で働いた経験がここで生かされていた。
まさかアイリーンが信頼をよせる軍師の本職が料理人で、今バーテンダーをやっているこの男だとは誰も思わないだろう。
貴族たちは高級品の酒を前にしても酒に手を出そうとしなかった。
しかたなくアイザックは気分の落ち着くハーブティーを出した。
ちなみに配膳のアルバイトをしているのは人間に化けられる上位の蜘蛛たちである。
上位悪魔だけあって全員が貴族相手の接客ができるほど所作が上品である。
貴族たちが言いがかりをつける隙が全くない。
アイザックはこの状況についてすでに考えるのをやめていた。
アッシュのやることなのだ。人知を越えているのはしかたない。
アイザックは喜怒哀楽全てに当てはまらない微妙な顔でバーテンダーをこなしていたのだ。
貴族たちの中で異国風の羽根つき帽子を被っていた男が帽子を脱ぐと全員に話し始めた。
「ここにいる上級貴族の皆は私の顔を知っていると思う。だから今日は本当の私を名乗ろうと思う。クルーガー帝国第三皇子のセシルだ」
貴族たちは驚きもせずセシルを見つめていた。
セシルならこの状況をどうにかしてくれるかもしれないと淡い期待があったのかもしれない。
「正直に言おう。もうクルーガー帝国は終わりだと思う」
セシルの発言に全員が下を向いた。
わかっていた。
すでに帝国からはドラゴンの加護は失われた。
まさにノーマンとの戦争がそれを証明していた。
「ドラゴンの契約者はクリスタルレイクに現れた。我々を呼んだのも意味があるだろう」
いやねえよ。
誰もなにも考えてねえよ。
アイザックは思った。
アイザックがなるべく顔に出さないように気をつけていると立派な体格をした壮年の貴族が言う。
「そうですな。本山、砦、帝都、国内三箇所への急襲と破壊。ただの噂だと思っておりましたが、クリスタルレイクの仕業でしょう。我々を呼んだのは『いつでも殺せるぞ』という意思表示に違いありません」
アッシュの旦那がやるはずねえだろ。
アイザックは思った。
話が斜め上の方向に転がっている。
今度はセシルが話を続ける。
「だから諸君……私は……本来なら許されないことだろうが……クリスタルレイクの旗下に入ろうと思う……勝てる気がしない。武力ではもちろん、謀略においてもこんな手を使う恐ろしい相手に勝てる気がしない」
アイザックの手からグラスが滑り落ちた。
幸いなことにグラスが割れなかったので気がつかれなかった。
事態はアイザックの予想を超えていた。
とんでもない方向に転がったのだ。
その場にいた貴族たちもセシルに同調する。
「我々もクリスタルレイクの旗下に入ろうと思います。万が一にも勝てる見込みはありません」
悪辣と評されるアイザックだがタヌキの手腕には勝てる気がしない。
ここまでやりながらなにも考えていないのだ。
タヌキの恐ろしさにアイザックは息を呑んだ。
そんな中、青白い顔をした貴族が静かに口を開く。
「あのアッシュという俳優ですが……今まで言いませんでしたが……あれは甲冑潰しのアッシュです」
「甲冑潰し?」
セシルは初めて聞く名に面食らった。
まだなにかあるというのだ。
「皆さんも百剣のガウェインはご存じでしょう。甲冑潰し、不死の、無敵、アンデッドバスター、変わったところではハリセンのアッシュ。屈強な肉体と圧倒的な武力を持つ戦場の伝説です。言葉通り一騎当千、傭兵どもの間ではあのガウェインすら足下にも及ばない帝国最強の男だと言われています」
「な、なぜそれほどの有名人が役者になど……貴族に叙勲されてもおかしくないではないか!」
セシルは不思議でしかたない。
ライミ伯爵家の忘れ形見だ。
なぜ武功が中央にまで轟かなかったのだろうか?
「すべて手柄を横取りされたのでしょう。そしてここの代官はあのパトリック=ベイトマンの娘で戦争を終わらせたと評判の女傑です。両名とも不正義の犠牲者……我が帝国は自ら破滅へ向かっていたのでしょうな……」
「英雄の周りには英雄が集うと言うことか……」
さらにもう一人が口を挟む。
「恐れながら……殿下……劇場の切符もぎりをしていた男が百剣のガウェインだったような……」
ガウェインはいつものようにアイリーンにこき使われている。
悪役をやりたがっていたが「あんたの声汚いのよねえ。ちょっとイメージに合わないわ」とクローディアに断られてしまったのだ。
「な、なんだとあのガウェインまでもが代官の下にいるのか……勝てない。絶対に我々は勝てない」
貴族の中ではなぜかガウェインの評価は高い。
クリスタルレイクについてからはいい所なしのガウェインも本当はできる子なのだ。
ちなみにここまで貴族たちは少なくとも悪魔の三氏族、蜘蛛、カラス、タヌキまでもがアッシュたちについていることを知らない。
それでもこの絶望感なのだ。
「私は皇帝の後を継ごうなどと言う野心はなかった。兄の家臣として一生を送ろうと思っていた……だがこのままでは内戦になるだろう。それは民のために避けたいと思う。私は民のためになるのなら傀儡でもなんでもつとめようと思う。皆、力を貸してくれ。頼む」
セシルは頭を下げる。
するとパチパチと拍手が起こる。
「我らも殿下と運命をともにしようではありませんか!」
「そうだ! 民のために!」
本当に民のためを思っているかはあやしい。
自己保身の末の決断だろう。
だがそれでも帝国はその身中に敵を飼うことになったのだ。
アイザックは手慣れた様子でカクテルを作る。
そしてそれを自らセシルに運んだ。
「お疲れでしょう。これは当店からのサービスでございます」
この行動は特に裏が存在したわけではない。
あくまで好意である。
なんだか可哀想になってきたのだ。
「ありがとう。キミはどう思うかね?」
セシルはアイザックの目を見つめていた。
それは値踏みだろう。
当然のようにアイリーンの配下だとわかっているのだ。
「私はただの料理人ですが……」
いきなり嘘である。
「この店のオーナーのアッシュさんは話せばわかる人ですよ」
「そうか」
一見すると大人しいやりとりだった。
だが内心は双方とも穏やかではなかった。
セシルの方は「やっべえ、マジでアッシュの手下かよ! ちょ、マジありえねえよこの村。怖え、マジ怖え。こいつらマジ怖え。下手したらこの村出られねえよ!」と思っていたし、アイザックの方も「ちょ、マジで皇帝とか影のフィクサーとかになっちゃうんじゃねえのうちの旦那! マジありえねえ!」と内心焦りまくっていたのだ。
そして……両名は知らなかった。
楽しい舞台をこなしたドラゴンたちのテンションが上がりまくっていたことを。