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タヌキの公演

 夜になり公演が始まった。

 急ごしらえで建設した劇場は客であふれかえる。

 アッシュたちのように悪魔を見慣れているクリスタルレイクの住民なら劇場の客の中に何人もの悪魔がいるに気づいただろう。

 観客たちは開幕を今か今かと待っていた。

 そして開幕を知らせるベルが鳴り響く。

 幕が上がるとまず最初に真っ赤なドレスを着たクローディアが現れる。

 クローディアの役は歌姫。

 彼女の視点で物語は描かれる。

 狂言回しの役であり第2の主人公である。

 観客はゴクリとつばを飲み込んだ。

 今日のクローディアは鬼気迫る雰囲気だった。

 静寂の中クローディアが歌い始める。

 観客たちは会場の空気が震えるのを感じた。

 圧倒的声量で物語の導入部分を歌う。

 それは一人の騎士と歌姫の物語。

 流浪の旅を続ける騎士一行と歌姫はとある街で出会う。

 騎士と歌姫は意気投合。

 いつしかその感情は恋愛へと発展する。

 そんなある日、歌姫は邪悪な代官にその身を差し出せと命令される。

 それを聞いた騎士は歌姫を助けようと奮闘する。

 それが大まかなストーリーだ。

 舞台裏では次のシーンに出るためアッシュが待機していた。

 奴隷だったアッシュは学こそないが愚かではない。

 セリフの心配はない。

 ただ人前というプレッシャーはいくらかあった。

 そんなアッシュの後ろにいつの間にかいた瑠衣が話しかける。


「懐かしいですねえ。我々が出会った時の話ですねえ」


「クローディアは昔からああだったんですか?」


「ええ……まあ。初めて会った時は泥酔して酔っ払いと喧嘩してましたね」


「昔から変わらないんですね」


「まったく変わりません」


 酷い話だ。

 アッシュはくすりと笑った。

 すると不思議なことに緊張の糸がほぐれた。


「ではそろそろですね」


「ええ。がんばります」


 アッシュは舞台に出る。

 歌姫役のクローディアの歌のパートの途中で現れたアッシュに観客は度肝を抜かれた。

 クローディアの相手役として充分な身長と体格。

 顔は舞台映えする顔だ。なにより目にとてつもない力がある。

 それが50代に20代の役をやらせるのを可能にする、帝都中央劇場秘伝超絶厚塗りの化粧のおかげだとは誰も気づいていなかった。

 クローディアがアッシュに視線を合わせる。

 それを合図にアッシュも歌い出す。

 低くよく通る声が会場に響く。

 その瞬間、劇場にいた観客はこの公演の意味を知った。

 クローディアの秘蔵っ子は本当だった。

 そこには荒削りながらもダイヤの原石がいたのだ。

 アッシュが声量を大きくする。

 それを聞いた観客はさらに度肝を抜かれる。

 圧倒的な声量と声質。

 その迫力に観客は飲み込まれた。

 そもそもアッシュは歌が下手なわけではない。

 その圧倒的な運動神経で音程とリズムは完璧にこなしていた。

 ただ歌い方を知らずにその凶悪なまでに圧倒的パワーを持つエンジンを空ぶかししていたのが問題だったのだ。

 そしてそのエンジンが正しく使われた。

 感情問題こそ棚上げになっているが新人としては圧倒的な実力だった。

 なにせ筋肉である。

 魔術と見分けがつかないほどの筋力が本気を出したのだ。

 師匠がクローディアだったこともあるが、このアッシュの異常スペックを前にしたら普通の歌手なら死にたくなるだろう。


 そしてクローディアはさらに凄かった。

 歌う筋肉をテクニックで圧倒する。

 観客たちは全員が思い知らされた。

 これはたいへんなことになったと。

 クローディアは十年に一度の才能を持った役者である。

 歌も踊りも演技も極限の努力の末に身につけたものだとわかっていた。

 だが目の前の原石は桁が違う。

 磨けば光るどころではない。

 そして演劇通、特にクルーガー帝国の演劇通は完成された女優より未来の才能に興味を引かれるのだ。

 その場にいた誰もがアッシュを厳しい目で見つめていた。

 一挙手一投足を注意深く観察していたのだ。

 それこそあら探しとも言えるほどに。

 だがアッシュは完璧だった。

 その感情表現の拙さまでもが完璧だった。

 それはクローディアの計算だった。

 アッシュの感情表現の拙さまでもがクローディアの手の平の上だったのだ。

 アッシュとクローディアの歌が終わる。

 すると割れんばかりの拍手が彼らを包んだ。

 アッシュは歌の余韻を味わいながら舞台裏へ戻る。

 するとクローディアが満面の笑みでアッシュの背中を叩いた。


「おうっし。つかみはOKだ」


「はい……緊張で死にそうです」


「あははは。少し休んでな。次はアイリーン嬢ちゃんとドラゴンの出番だ」


 そしてアイリーンの出番が来る。


(どうしてこうなった?)


 アイリーンの頭の中は混乱の極みにあった。

 おかしい。

 なぜ代官自らが女優などやっているのだ。

 しかもがさつな女騎士の役ではない。

 実に女性らしい女魔法使いの役だ。

 なにかが間違っている。

 だがここで震えているわけにはいかない。

 やるしかないのだ。

 肩までの赤いロングヘアーに白いドレスを着たアイリーンは笑顔を作りながら舞台に出る。

 アイリーンの役は爆炎のエスメラルダ。

 瑠衣とともに初代皇帝に仕えた魔法使いの一人である。

 『皇帝の物語』を通しての重要人物である。

 アイリーンのパートはエスメラルダが妖精と出会い魔法の力を授かる場面である。

 妖精は子ドラゴンたちである。

 まずはアイリーンが舞台に出る。

 それを見た観客たちはほっと息をついた。

 顔はいい。抜群にいい。

 だがその歌は「少し上手」という新人女優としては並の演技力だったのだ。

 観客たちは安心した。安心しきっていた。

 それすらもクローディアの手の平の上だった。

 アッシュは香辛料の大量に入った刺激的な味だ。

 クローディアも同じ刺激物だ。

 次も刺激物は避けたい。

 だからクローディアは刺激の少ない癒やし枠をわざと用意したのだ。

 だからわざと演技を見られる程度に調整した。

 それがアイリーンだ。

 だが観客は気づいていない。

 アイリーンの本当の魅力を。

 アイリーンは自然と周りを安心させる。

 心地のよい空間を作り出す能力があるのだ。

 アイリーンの歌も癒やされる効果があるようだ。


 アイリーンが歌っていると、今度はレベッカを先頭にした子ドラゴンたちが踊りながら舞台に現れる。

 エスメラルダに魔法を授ける妖精の役だ。

 子ドラゴンたちはクルクルとまわる。

 それを見て観客は固まった。

 特に軍属でドラゴンという生物の存在を知っている貴族達は口を開けたまま固まった。


(この村にはどれほどのドラゴンがいるのだ……)


 それは「世界征服できるよー♪」という宣言に他ならなかった。

 彼らは心臓をつかまれているような気分だった。

 一部の貴族は顔面蒼白になっている。

 子ドラゴンたちはそれを知らずに大喜びで歌って踊っていたのだった。


 ちなみにこちらはタヌキの計画の範囲外であった……なにも考えてなかったのだ。

 そう。少し抜けているのがタヌキなのだ……

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