公演前
クリスタルレイクに続々と人が集まってくる。
老若男女誰もがクローディア・リーガン目当てにやって来たものたちだった。
アイリーンは素早かった。
エルムストリートの空き家を貸別荘として開放。
貴族達に好きに使わせたのだ。
商人たちもそれ以外の空き家に宿泊させた。
さらに村人たちを行商に出し、食料を確保した。
アイザックのカフェや屋台で布陣を組むのだ。
下準備で悪魔たち相手の商売で荒稼ぎした金は一瞬で底をついた。
でもアイリーンは絶望はしなかった。
だってすぐにお金ちゃんは戻ってくるのだから。
しかもアイリーンは浮かれていた。
心の底で少しだけ憧れていた女の子っぽいポジション。
舞台に上がるのだ。
しかも衣装はヒラヒラなのだ。
しかも背中まであるロングのウィッグまでつけるのだ!
アイリーンは年相応に舞い上がっていたのだ。
例えタヌキの陰謀だとしても。
だからアイリーンは利益予想を計算をし終わると喜んだ。
「よっしゃー! 儲けて儲けて儲けまくって次の公演もやるぞー!!!」
完全になにかが間違っていた……
でもアイザックと一緒に計算した利益予想は迷走するには充分だった。
しかも楽しい。
アイリーンはわりと楽しんでいた。
文化祭気分で。プチお姫様気分で。しかも大儲けができるのだ。
アイリーンが断る理由は日増しになくなっていた。
一方、アッシュはと言うとクローディア・リーガンのついでにアッシュを見に来ようという程度の興味しか持たれてなかった。
でも問題はなかった。
アッシュの期待値はそれほど高くないのだ。
それよりも大きな問題がアッシュにはあったのだ。
タヌキの意図である。
公演の前日になっても誰もタヌキの本当の目的はわからないままだった。
聞いてものらりくらりとかわしてしまうのだ。
このタヌキ、案外手強い。
演目は『皇帝の物語』。
無学なアッシュは知らなかったが鉄板の演目である。
初代皇帝の立身出世の物語で総上演時間は12時間にも及ぶ壮大なものである。
あまりにも長いため物語の全てを一度に上演するのは珍しい。
大抵は一部分だけの上演である。
その中でも人気の演目。
それが歌姫と皇帝の物語である。
流浪の騎士だった皇帝と仲間たちとの友情。
そして炎上する劇場での死神騎士との一騎打ち。
最後に訪れる歌姫との悲恋。
子どもでもわかりやすい勧善懲悪の物語である。
それを今回は歌姫視線での大胆な切り口で再構成。
演劇好きならば無理してでも見たいものとなっていた。
だがこれに疑問を持ったのがアッシュである。
おかしいのだ。
この物語のアイデアを出したのはクローディアだ。
だが悪魔は物語を作るのは苦手なはずなのだ。
稽古が進めば進むほどその疑問はアッシュの中で強くなっていた。
なのでアッシュは一番信用できる悪魔に疑問をぶつけてみることにした。
もちろんその相手とは瑠衣である。
アッシュは食堂でお茶を飲んでいた瑠衣を発見し疑問をぶつけた。
「瑠衣さん。悪魔は創作は苦手なはずですよね?」
瑠衣は「ああ、やはり疑問に思ったか」という態度でアッシュの質問に答える。
「ええ、その通りです。寿命が長すぎるせいで、我々は人間のように刹那的な感情の爆発や内心を表現するのが苦手です。こんな大作作れるはずがありません」
「ということは原作者がいるって事ですか?」
「いいえ。この規模ですと改編すらも悪魔の手には余ります。考えられるのは一つです。『実際に体験した物語』です。心理描写は脚本家に書かせたのでしょう」
実際に体験したこと。
つまりクローディアはこの物語の誰かなのだ。
「……歌姫がクローディア!?」
主人公の歌姫である。
確かにクローディアに一番近い役どころである。
「いいえ、花子は私と同じ魔術師でした」
「アイリーンの役?」
「そうです。爆炎のエスメラルダ。幻術と攻撃魔法の専門家です……まったく、あの子ったら昔から花子って呼ばれるのが嫌いで」
アイリーンは魔術師のエスメラルダ役である。
「ちょっと憧れかも」と喜んでいた。
真相を知ったら死にたくなるような気がする。
「そのころの瑠衣さんは?」
「私の専門は回復と支援魔法なので地味なポジションです。物語でもいなかったことにされてますし」
そう言うと瑠衣は「てへっ」っと笑った。
「初代皇帝……ジョニーは実に豪快な性格で悪魔とかドラゴンとかにはこだわらない人でした。そう、アッシュ様とアイリーン様はジョニーによく似てらっしゃいます」
「それで……クローディアの本当の目的はなんです?」
それが一番の問題だった。
クローディアはなにかを企んでいる。
だがそこに邪悪な意図はなさそうなのだ。
「うーん……これは花子本人に言ってもらう方がいいと思います。ただ一つ言えるのはアッシュ様が思っているよりずっと個人的で単純な目的ですよ」
「言えないんですか?」
「いいえ。本人から言わせた方がいいと思っているだけです。一つヒントをあげましょうか。花子は『おばちゃん』です」
「え? よく意味がわからないんですが……」
アッシュは困った。
まったく意味がわからない。
花子はつねに自分を「おばちゃん」と言っているはずだ。
「いいんですよ。今はわからなくても。さあ、公演まで間近ですよ。気を引き締めてください」
「あ、はい」
アッシュはどうにも釈然としなかった。
だが瑠衣がアッシュに言わないのだからそこには意味があるのだろう。
アッシュはそれ以上追求するのをあきらめた。
公演の前日になると子ドラゴンたちの演技も上手になっていく。
子ドラゴンたちは妖精の役である。
クローディアや演出家たちは子ドラゴンたちに遊びの延長線上で教えたのだ。
知性的で遊びと人間にかまわれるのが大好きなドラゴンは喜んで一生懸命演技を憶えた。
そのうちお芝居の楽しさに目覚め、どんどん上手になっていったのだ。
特に女の子のレベッカは妖精の役に大喜びしていた。
作ってもらった杖を振り回すその姿はドラゴンでありながら「もしかすると妖精ってこうかも?」と思わせるほどだった。
ドラゴンたちはくるくるまわる。
最初のドタバタと動くだけのものではない。
計算された美しい行進をする。
それはかわいいだけではなく、物語を幻想的にしていた。
レベッカはニコニコとしている。
アッシュに抱っこをされている時の喜びではない。
楽しい遊びを見つけた目だった。
レベッカは本当に楽しんでいたのだ。
そしてついに公演の日がやって来た。
『おばちゃん』が重要です。