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たぬきのレッスン

 クローディアの要請でやって来た楽団が曲を奏でる。

 最速で連行されてきたのだ。

 彼らによりホールにタンゴの曲が流れる。


「アッシュ、この曲は姫をさらわれた騎士の怒りを表現した曲よ。わかる?」


「は、はい」


 じつはよくわからない。

 アッシュは困った。

 アイリーンをとられたら悲しいだろう。

 怒り……なんだろうか?

 アッシュはやはりよくわからなかった。

 だがやるしかない。

 アッシュは丹田に力をこめて声を出した。

 迫力のあるバリトンが響く。

 楽団の演奏家たちは思わず息を呑む。

 それは才能の胎動だった。

 アイリーンたちもそのあまりの迫力に驚愕した。

 これは凄い新人だ。

 顔も体格も声までも迫力に満ちている。

 これなら個性的な顔までも長所にできる。

 そこにクローディアの指導がつけばどうなるのかわからない。

 全員が期待に胸を膨らませた。

 だがクローディアだけは不満を爆発させた。


「はい曲止めて! 違う! 違う! 違う! それはムカつくよ! この曲は怒り。わかる?」


 ガウェインを投げ飛ばしたときくらいの心の波である。

 それでは足らないらしい。

 アッシュは困ってしまった。

 怒ることはあっても怒りというものを真面目に考えたことはない。

 圧倒的な武力を持つアッシュは人に怒りを持つことは少ない。

 いつでも命を奪えるが故にあの皇帝にすら怒っていなかった。

 まるでその感情だけが抑えつけられているかのごとく。


「……わかり……ません」


 アッシュは完全に困ってしまった。


「彼女もちなんだからわかるでしょ。絶望よ。この曲は絶望からの再起なの」


 どうにもしっくり来ない。


「なにその顔。じゃあ悪魔にアイリーンちゃんを奪われたらどうする? 考えてみて」


 これには即答である。


「滅ぼします」


「え?」


 予想外の答えである。


「あー、クローディア。アッシュ様はすでにゼインを滅ぼしています」


 瑠衣が補足説明を入れる。


「確か……ゼインってあんたの弟子よね?」


「1か月ほどで破門しましたが」


 瑠衣はニコッとする。

 クローディアは渋い顔をした。


「……じゃあ皇帝に奪われ」


「そちらもすでに実力行使で黙らせました」


「……なんで皇帝にならないの?」


「畑とケーキ屋とレベッカの世話で手一杯なので」


 アッシュは真面目に答える。


「……どうやらレッスンの前の問題ね」


 クローディアは頭をかきむしった。

 まさか心の方に問題があったのだ。

 アッシュは聖人すぎる。

 欲がなさすぎるのだ。

 宗教家や騎士ならそれは美徳だろう。

 だが芸術家としては致命的である。

 愛欲、憎悪、嫉妬。その全てを見つめ、表現することが重要なのだ。


「いい? 表現ってのは自分を見つめ直す事よ。アッシュちゃんはそこがまるでできてないの」


 自分で強制的に参加させておきながらこのセリフである。


「自分……ですか……」


「そう、まずは怒りね。内なる怒りを表現しなさい。テクニックなんかは二の次」


「怒り……」


 強すぎる生物は首をかしげた。

 理不尽な目には星の数ほどあっているがそれに怒りを感じたことはない。

 しかたのないこととあきらめていたのだ。

 ガウェインの安い挑発に乗ってしまったことの方が例外なのだ。


「怒り……」


 やはりわからない。


「……いいのよ。ちょっと休憩するわ。瑠衣、来て」


「あらあら、どうしたのクローディア……花子」


 ピタッとクローディアの足が止まる。


「瑠衣。いいから来て」


 顔中に血管を浮き立たせながらクローディアは言った。

 そして瑠衣の手をつかんでホールから出て行く。

 そして瑠衣を開いている部屋に連れ込む。


「瑠衣ちゃん……」


「なあにクローディア?」


「花子って言うな」


 クローディアはプンスカと怒っていた。


「あらあら」


 この「あらあら」は挑発である。


「確かにクローディア・リーガンもあと20年も使えないけどさ。それでも本名の花子はやめてくれない?」


 クローディア・リーガン。

 本名「花子」。

 女優業を生業とし、ある程度の年齢になったら引退。

 名前と顔を変えて地方劇団に入り直して女優生活をリスタートしてきた超絶キャリアの大女優である。


「それで何か怒らせること言った?」


「アッシュ様への態度が少し厳しすぎるのではないかと。怒れと急に言われても困るだけです」


「あのね! 瑠衣だってわかってるでしょ! ドラゴンライダーは感情をエネルギーに変えるって。だから俳優にならなくても無駄にはならない……って、もしかして言ってないの……?」


「ええ。あの状態でもアイリーン様が戦地に赴くことになった時はさすがに激怒されたようです。それに今の状態でも地上最強クラスです。感情の力は必要ありません」


「だめ! それはダメ!」


 クローディアが瑠衣にダメ出しをした。


「なぜ……です?」


「まったく……人間を育てたことがあるくせに人間がわかってないのね。アッシュちゃんは今まで感情を押さえ込んできたの。それは人間としてはすごく無理があるの! わかる? いまのアッシュちゃんじゃ不自然なの!」


「そう……なのですか?」


「そう! アッシュちゃんは抑圧されすぎてるのよ。少なくとも自分が『怒ってる』とか、『悲しんでる』とかわかる程度に育てないとダメ! ストレスで死んじゃう」


「そ、そうなんですか」


 さすがの瑠衣も自信がなくなってきた。


「そうです! まったく瑠衣はそういうところが抜けてるんだって。とにかくアッシュちゃんのことはまかせて。自分の感情を表に出させるから」


 クローディアは拳を突き出す。

 まるでアッシュの成長は自分の責任だと言わんばかりに。


「さて戻るか。次のラウンドは死ぬほど歌わせてみようっと♪」


 鬼である。


「お手柔らかに」


 瑠衣はそれしか言えなかった。


「もちろん。これでも手加減は得意よ。ああ、そうそう瑠衣。劇場用意してくれる? 土木はあんたのところの蜘蛛が得意だし」


「いいですけど。気が早くないですか?」


「いいの。ああいうボケッとした子はさっさと舞台に立たせないと今の生活に満足しちゃうわ」


 瑠衣は「なるほど。当っている」という顔をした。


「それに皇帝や貴族も俳優と同じよ。今のうちに経験を積んでおく方がいいわ」


「私には理解し難い世界です」


 瑠衣がため息をはく。


「あんたも貴族だったでしょうが。なに言ってるのよ」


 クローディアは呆れていた。


「まあ私は蜘蛛ですし」


「……悪かったわ。とにかく徹底的に感情を外に出す訓練をするわよ!」


 クローディアは自信満々にそう言った。

タヌキの本名は花子です。

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