地方騎士団で2番目を狙う男
レベッカと子どもたちは追いかけっこをしていた。
「いっくぞー!」
クリスが鬼になって追いかける。
男の子たちは威厳を示そうと必死になって逃げるが次々とクリスに捕まる。
男の子たちは涙目でなんとも言えない微妙な顔をしていた。
「こりゃ男の子が勝てないわけだ」
あっというまに男の子はすべて捕まる。
あとはレベッカなのだが、クリスはレベッカだけゆっくり追ってあげている。
どうやらクリスは面倒見がいいようだ。
気が強くて親分肌で腕っ節も強いのだから男の子も子分になるしかない。
アイザックはうんうんと男の子たちに同情した。
「兄ちゃん、お前も男だろ! なんとか言えよ!」
子どもがアイザックに助けを求める。
「男ってのはなそういう悲しい生き物だ。今のうちになれとけ」
一刀両断。
死刑判決である。
「うわああああああん! 兄ちゃんのあほ!」
男の子たちは泣きながらアイザックを叩く。
アイザックは男泣きしながらそれを受け止める。
「泣くなら泣け。その涙が尻に敷かれる根性を養う」
「そんな未来は嫌だああああああ!」
「なあに、屈辱は一瞬だ。じきなにも考えられないようになる」
「いやああああああああああああ!」
アイザックは子どもたちにトラウマを刷り込む。
そうそれが漢の生き様なのである。
「なに盛り上がってんだお前ら」
「どうしたのー?」
遊んでもらって満足しているレベッカを抱っこしたクリスが男の子たちの方へやって来る。
「だってようクリス。兄ちゃんが男の現実ってやつで俺らを追い込むんだよ」
「なにを言ってる……」
ギロっとクリスがアイザックを睨む。
アイザックは素知らぬ顔をした。
「まったく男ってバカねー」
クリスはレベッカをくすぐる。
「あーい♪」
レベッカは大喜びしていた。
いつまでもこのゆるい生活が続くと誰もが思っていたその時だった。
エルム街に特徴のない顔をした男が歩いているのが見えた。
無造作に歩いている。
だがまったく足音がしない。
アイザックはそれが警戒をした騎士や暗殺者のものだと瞬時に理解した。
「みんな代官の家に逃げろ! アッシュ殿を連れてくるんだ!」
そうアイザックが叫ぶと男が「にいっ」と笑うのが見えた。
「アイザックお兄ちゃん!」
「レベッカ行くよ!」
後方のレベッカたちの声が遠ざかっていくのを感じながらアイザックは剣を抜いた。
すでに男はアイザックの間合いにいた。
「くッ!」
アイザックはひらりとバックステップをしながら牽制のために剣を振り回した。
その後は子どもたちに近づかせないように相手を煽りながら逃げればいい。
実際、アイザックの判断は正しかった。
相手は銃や弓矢は持っていない。
ナイフも現時点では手に取ってない。
だから近づけないはずだった。
それは拳だった。
何度も皮膚が裂けて治った箇所が固くなった拳ダコのついた拳だった。
それが大砲のような音を立ててアイザックへ向かっていた。
アイザックの剣をすり抜けた拳がアイザックの腹に打ち付ける。
脂肪の少ないアイザックの腹が波打った。
息とよだれががむりやり吐き出される。
アイザックはそのまま飛ばされ木にぶち当たる。
「がッ!」
地面に横っ腹を打ち付けたときアイザックは自分の意識が完全である事に気がついた。
胃液を逆流させながらアイザックはこの異常事態の原因を考えていた。
クリスタルレイクは悪魔が守っているはずだ。
ここは安全なはずだ。
なぜ悪魔がいない?
いやそれよりも事態を解決すべきだ。
ここからアッシュの家まで1分。
だから往復で2分。
用意に1分かかるとして自分は3分時間を稼げばいい。
いや1分だけでもいい。
それだけで子どもたちは助かるはずだ。
アイザックは胃液をはき出した。
「素晴らしい! 人間としてはなかなかの使い手のようですね」
胃液をはき出しながらアイザックはむりやり立ち上がった。
「やめておいた方がいい。今のはあなたへ敬意を示したのです。これ以上続けたら死にますよ」
アイザックはふらつく意識で剣を構える。
半身、正中線を隠して脇を締める。
左手は防御のために上げておく。
「まだ戦うのですか。実に良い根性です」
それは雷のような踏み込みだった。
間合いの外にいたはずなのに男はすでに手の届く位置にいた。
アイザックはまだ動けない。
男の次の攻撃は横蹴りだった。
アイザックの胴体目がけて蹴りを放つ。
それは明らかにアイザックの命を狙った攻撃だった。
アイザックはそこでようやく踏み込んだ。
そのまま向かってくる蹴りの軌道に剣を置く。
剣は足をザックリと切り裂いた。
だが、剣ごとアイザックは蹴り飛ばされる。
アイザックは剣で迎撃したせいで死なずにすんだのだ。
アイザックは口から血を流していた。
今何秒戦っただろうか?
アイザックはたった一分が永遠にも思えていた。
「きゅう!」
なにかの泣き声が聞こえる。
アイザックがあたりを見ると糸でグルグル巻きにされた巨大な蜘蛛がもがいているのが見えた。
「なるほど。これで来れなかったのか……」
アイザックは一人納得するとフラフラと立ち上がる。
「なぜ気づいたのですか!」
男が怒鳴った。
男の足からは血が流れていた。
なぜか足は黒く変色していた。
「なぜ銀で攻撃したのです! どうして私が悪魔だと気づいたのですか!」
気がついたわけではない。
たまたま持っていた武器で攻撃しただけだ。
「悪魔に銀は効くんだな……」
瑠衣も毒だとは言っていた。
確かに殺すことも可能だろう。
……当ればだが。
アイザックは瑠衣から銀の話を聞いた時から考えていた技があった。
今こそ試すときなのだろう。
「来いよ」
「その曲がった剣で、ですか?」
アイザックは剣を見た。
折れ曲がっている。
「……細けえことは気にすんな」
アイザックは剣をポイっと捨てナイフを取り出す。
「ほう、ミスリルですか!」
アイザックはミスリルのナイフを逆手持ちする。
「騎士の構えではないようですね」
「うるせえ」
震えるひざを引きずってアイザックはゆっくり間合いを詰めた。
「素晴らしい闘争心です」
「ただのやせ我慢だ」
「さぞかし名のある騎士なのでしょう。お名前をうかがいましょう」
「アイザック・クラーク。地方騎士団の2番目を狙う男だ」
アイザックは空元気を見せた。
じつはもうとっくに限界を超えている。
気力だけがアイザックを支えていた。
「ファンと言います。武僧にして悪魔、暗殺者でもあります」
名乗るや否やファンが神速の踏み込みで間合いを詰める。
アイザックはミスリルのナイフを振り回す。
「どうやら反撃する力もないようですね!」
ファンはアイザックのナイフを持った手をさばいていく。
アイザックのナイフは虚しく弾かれていく。
そしてファンがアイザックの手に蹴りを入れる。
ナイフが弾かれ宙を飛んだ。
「ふん、つまらないな!」
そう言うとファンはアイザックの喉に親指を突き立てた。
ゴリッとアイザックの喉に親指が入っていく。
「せめて楽に死なせてあげましょう。一つ教えてあげましょう。あなたは私と戦った誰よりも強かった。あの世で自慢してもいいですよ」
親指が皮膚に食い込む。
だがその時奇妙なことが起こった。
アイザックが笑ったのだ。
「ぶあーか」
アイザックがファンの手首をつかむ。
そしてブーツのつま先をファンの脇腹に突き刺した。
「な、なん……だと……」
悪魔に人間の蹴りが効くはずがない。
だがこの時、ブーツのつま先には刃が突き出ていた。
それはミスリルの刃だった。
これがアイザックのとっておきだった。
自爆覚悟で相討ち上等。
アイザックが最後に頼ったのは喧嘩殺法だった。
ファンの顔色が変わる。
「こ、この人間が私を……倒す……だと」
よろよろと今度はファンがよろけた。
「あ、あはは! 人間が! 人間がやりやがったな!」
ファンの顔が歪む。
次の瞬間、服が破けファンの体が膨らんでいく。
体はぶよぶよ。
その体の大きさのわりに足は短く、それでいて何本も何本も無数に生えていた。
それは芋虫だった。
巨大な芋虫がアイザックの前に出現した。
「くっそ、反則だろが」
勝てるはずがない。
生命力に差がありすぎるのだ。
もはやアイザックには抵抗の余地はなかった。
あるのは死だけ。
だがアイザックには恐怖はなかった。
悪魔は見慣れている。
今では変わった見た目の人間という程度の認識だ。
それよりもアイザックは子どもたちが無事に逃げられたかの方が重要だった。
カチャリカチャリと不快な音を立て芋虫がにじり寄ってくる。
もうアイザックは限界だった。
指の先すらピクリとも動かない。
アイザックはすべてを覚悟した。
もう終わりだ。
だがたとえ自分が倒れようともアッシュも百剣もいる。
瑠衣や伽奈もすぐに来るだろう。
守り抜いたのだ。
騎士としては合格点だろう。
アイザックは目をつぶる。
芋虫の吐く生臭い息のにおいがした。
そして、その時だった。
「だっりゃあああああ!」
それは蹴りだった。
巨体が飛び蹴りを芋虫にぶちかましていた。
あまりの蹴りの威力に今度は芋虫が吹っ飛ばされる。
アイザックは見なくてもそれが誰だかわかっていた。
「……もう遅いっすよ」
『俺は弱いって言ってるでしょ』と言いたかったが言葉が出せなかった。
「悪かったな」
巨人はなにもかもわかっていると言わんばかりだった。
それはクリスタルレイク最強の男。
悪魔殺しのドラゴンライダー。
アッシュその人だった。