人が増えると村長さんはデスマーチ
もともと3000人もの人口があったクリスタルレイク。
本気になれば食料を得ること自体は可能である。
例えば湖。
数年間漁もされず放置されたその湖には資源があふれている。
森も同じだ。
戦乱のせいで数年もの間、人の手が入っていないため資源が回復していることが予想される。
……いや、人間が狩りや木の手入れをしなかったせいで森が荒れる寸前まで来ていたのだ。
そろそろ本格的に人の手を入れないとまずい状態まで来ている。
これも年寄りと子どもしかいないクリスタルレイクではあきらめていた部分なのである。
森からの採集や狩りの許可を出すのは形式的には皇帝であるが、直接的には代官であるアイリーンの裁量である。
アイリーンは難民の人材調査を開始した。
なにができてなにができないか。
それを知る必要があったのだ。
農夫はかなりの数がいた。
もちろんかなり有望な人材である。
アッシュ一人ではすぐに限界が来るだろうからだ。
猟師は数人、魚の方の漁師も十人ほど。
難民の生命線は彼らにかかっている。
さっそく働いてもらうことにしたが漁師の方の道具は余っているが、猟師の道具はない。
しかたなくまだ売っていないミスリル製や魔法の武器の中から弓矢を渡す。
「こんな高級なもの借りてもよろしいので?」
「他にないからそれを使ってくれ」
新しい村人たちは腰が引けていたが代わりがないので押しつける。
あとで狩人が使うようなものを買わねばならない。
痛い出費だが必要な金だ。
鳥獣を減らすのは森のためにも必要なのだ。
それと同時に森の採取維持のために木こりを育成する。
ただこればかりは山に縛られているものなので元木こりであっても使い物になるのは時間がかかる。
しばらくはアッシュのチェーンソーに頼ることになるだろう。
最近ではアイリーンですらもケーキを作る姿以外のアッシュを想像できなくなっていたほどだが、しばらくは別の作業に専念してもらうことにする。
それほど森の生産力の維持というのは大切なのだ。
領主や代官の生命線とも言える。
そのためには枯れかかった木や育ちの悪い木を間引きして、木を食害する鹿などをある程度駆除しなければならない。
もちろんモンスターも人里に下りてくる前に駆除せねばならない。
湖も同じだ。
流れ込んだ枯れ木やゴミを除去してやらねば湖の水質も悪化してしまう。
モンスターも駆除せねば観光地に戻すこともできない。
要するにありとあらゆるインフラを復活させるためにも難民には全力で働いてもらわねばならないのだ。
それこそ数日間は山も湖もゴミの撤去に費やされた。
このゴミは乾かして冬の燃料にする予定だ。
さらに山に詳しい村人を使ってキノコや山菜を採取する。
湖の方はとりあえず残っていた網を修復して漁を開始する。
マスやドジョウやフナにナマズ、それに淡水エビやカニなどが網にかかる。どれも食用に適しているものだ。
驚くほど……とは言えないがそこそこの収穫があり、それを女衆や子どもたちで余った分を干物や漬けものにした。
アイリーンの計画はかなりの成功を収めた。
新しい村人となった難民たちは大いに喜んだ。
だが一方で死にそうになっている人材もいるのだ。
責任者には森や湖からの採集にかかる税金、道具の修理費の算定、収穫量やその種類、継続的な採集の可能性などの書類を作成が待っているのだ。
ここで言う責任者とは村長であるガウェインである。
「うおおおおおおッ! 聞いてねえ!」
ガウェインは頭を抱えながら書類作業に追われる。
脳筋には難しい作業だが、宮仕えの経験があるのでできないことはない。
それは嫌がらせのようなバランスだった。
いや、明らかに悪意が存在していた。
なぜなら前の村長に書類仕事をさせた記憶はないからだ。
書類が書けないことはないガウェインだからやらせているのである。
仕掛け人はアイリーンである。
アイリーン的にはアッシュと付き合っているつもりである。
たとえそれが中学生の健全な交際レベルだとしてもである。
だから彼をバカにされて少しだけ腹を立てていたのだ。
ほんの少しだけである。
なにもホイホイと難民を連れて来て予定が狂ったことも怒ってはいない。
多少イラッとしたがまだギリギリ怒ってはいないはずだ。
なので騎士が一番苦手そうな罰を与えたのである。
限界まで放っておいて助けるつもりである。
ガウェインの体調をおもんばかってというわけではない。
ガウェインに倒れてもらうとアイリーンの仕事が増えるからだ。
こうして毎日深夜まで続くガウェインのデスマーチは村が発展するたびに続くのである。
その様子の報告を受けながらアイリーンは言った。
「別に怒ってなんかいないぞ」
「怒ってますよね? こんな地味で効果のある手段をとるなんて」
ベルは呆れたという声を出した。
「お前だってレベッカをバカにされたら報復するだろ?」
「まあ、それは……殺しますね」
ベルも意外に容赦はないタイプだ。
「だろ? それに私は優しいぞ。アッシュに謝ったら助けてやらんでもない」
アイリーンはそう言うとぷーっと頬を膨らませた。
やはり怒っている。
がさつと言うかデリカシーが致命的にかけたガウェインには謝るという選択肢は思いつかない。
悪いことをしたという自覚はないのだ。
こうしてガウェインは無限とも思える書類仕事の中で自滅に突き進んでいくのである。
◇
さて人知れず地味にガウェインがすり減る中、アッシュの出生の秘密は大きな問題になっていた。
ただでさえドラゴンライダーで悪魔のお気に入りでケーキ屋というよくわからない存在だったアッシュが貴族として表に出られるかもしれないのだ。
そのため悪魔のメッセンジャーによりエドモンドもアッシュの出生を調べることになった。
エドモンドの方も正当性や大義名分がある方が精神衛生上も実務上も楽である。
実際、「とある貴族の落胤の調査をしている」と言えば面白がって調査を手伝ってくれるものもいた。
初代皇帝の直系に連なる家系とあれば考古学好きまで手を貸してくれる。
エドモンドの家には関連資料が続々と届いていた。
すでにエドモンドは秘密裏に事を進めようという気はなくなっていた。
すでに皇帝にはすべて露見しているだろう。
だがそれは問題ではない。
エドモンドは現状で刺客の一人も送り込まれなければ、警告すらも受けていない。
つまりエドモンドの行動は織り込み済みということだろう。
実際にその通りだった。
戦乱のどさくさに粛正された貴族はやたら多い。
しかたないとは言え当主の死亡で断絶した家も多い。
だがエドモンドはそこに作為的なものを感じた。
「どういうことだ? 初代皇帝の直系ばかりが最前線で死亡しているではないか……戦争犯罪で裁かれた家も直系ばかりだ……」
それは初代皇帝の血を受け継ぐ名門貴族の粛正だった。
一見すると皇帝は古い有力貴族を保護しているように見えるが、実際には彼らの数は減り続けている。
それなのに誰もそれに疑問を持っていないのだ。
「もしかして……皇帝は、いや皇位の簒奪者はわざと盟約に反したのか?」
このカビの生えた古き国にはドラゴンの加護と悪魔との契約は必須だ。
でなければ今ごろ技術力を高めることに余念がないノーマン共和国に滅ぼされているはずだ。
もし悪魔やドラゴンを排除するとしたら、なにか別なものを用意する必要がある。
つまり皇帝は……
「瑠衣と並ぶような別勢力と取引をしている……?」
エドモンドは自分の出した答えに驚愕していた。
つまりこの帝国は何者かの侵略を受けている。
それも内部から。
長い時をかけてじわじわと侵略されてきたのだ。
この帝国はすでに腐った大木だったのだ。