上位悪魔には逆らえない
皇帝たち一行がさも当然であるかのように町に入っていく。
皇帝は馬車に乗って姿を現さない。
高貴な身分ゆえ直接姿を現すことをしないのだろう。
それは代官の任命を受ける予定のアイリーンも例外ではない。
アイリーンはまだ親が偉いのであって、自身が偉いわけではない。
身分も令嬢でしかないのだ。そこは割り切るしかない。
皇帝の姿を見ることもなくアイリーンは侍従長の後ろをついていく。
(めんどくさい……)
イライラするほどではないがアイリーンはこの儀礼というものにめんどうくささを感じていた。
すでにアイリーンには皇帝への忠誠心はなかった。
王位の簒奪者の子孫というのもあるが、なにより時間稼ぎのために父親を殺そうとした男である。
それにドラゴンの保護や悪魔たちとの契約も放り出した存在だ。
もはやアイリーンは皇帝を見放していたのだ。
実は歴代皇帝と国民には服従の魔法がかかっており、悪魔との新しい契約の効果でアイリーンたちには服従の魔法が効かないのだが、それを自覚しているものはまだいなかった。
やがて一行がエルムストリートの広場に出ると馬車が停止する。
すると侍従長がアイリーンに恩を売るように耳打ちする。
「皇帝陛下をここで歓待されますように」
「痛み入ります」
アイリーンは侍従長に頭を下げる。
それは完全に武官の挨拶だった。
(言葉遣い間違えた!)
と思ったときにはすでに遅い。
侍従長は「まったくこれだから田舎者は」と言わんばかりの顔をしていた。
でも侍従長程度ならまだ挽回は可能だ。
なにせ失敗するのを見越して侍従長用のお土産には金貨を入れておいたのだ。
次回に会うときには事前にもっと細かいところまで教えてくれるようになるだろう。
いまやアイリーンはそのくらいの経済力があるのだ。
「軽食を用意しろ」
アイリーンはあらかじめ用意したハンドベルを鳴らす。
すると瑠衣と人間に化けた悪魔たちがカートを押してやって来る。
瑠衣たちはそれは美しい所作でカートを侍従や騎士、魔術師たちがいるところへ押して行く。
(瑠衣殿に頼んでよかった……宮廷の作法に慣れている悪魔を連れてくると言ってたが完璧だ!)
アイリーンは心の中でガッツポーズを決めた。
実際、揚げ足をとられるほどのミスはなかったのだ。
田舎の代官がここまで完璧に仕上げたとすれば充分すぎるほどの点数なのだ。
だがその時だった。
「ひ、ひいいいいいッ! ギリアン団長!!!」
近衛騎士団から悲鳴が上がった。
それも化け物を見たかのような声だった。
嫌な予感がしたアイリーンは下品と叱られない程度の大股で声の方に近づいていく。
アイリーンが現場に行くと豪華な鎧を来た壮年の騎士、おそらく近衛騎士団団長が腰を抜かして悪魔を指さしていた。
悪魔からカートを受け取った侍従はぽかんと口を開けていた。
悪魔の方はというと恥ずかしそうにポリポリと頭を掻いている。
「参りましたね。クライブくんがまだ現役だったとは」
明らかに参っていない態度で悪魔は言った。
アイリーンの嫌な予感は当っていた。
アイリーンは悪魔の前に行くと小声で問いただす。
「もしかしてギリアン殿は元騎士団長なのですか?」
「あはは。昔、剣のマイブームがありましてね。つい調子に乗って50年ほど近衛騎士団の団長などをやっていました。お恥ずかしい話です」
「宮廷の作法に詳しいわけだ……」
もはや笑うしかない。
宮廷にいたのだから詳しいのは当たり前だった。
悪魔の体感時間では100年の修行が『ちょっと最近~にはまってるの』というレベルらしい。
アイリーンは失敗を確信した。
ところがそれだけではなかった。
さらなる悲鳴が響く。
「お、お師匠様! ひいいいいいッごめんなさい! ごめんなさい!」
その声の主はアイリーンにもわかった。
宮廷魔術師長のエドモンドだ。
その涼しい頭髪と威厳のある髭。
千の魔術を自由に操り、その戦力は一騎当千。
アッシュの足下にも及ばないだろうがそれでも魔術師の中の魔術師と呼ばれる男である。
魔術師としても政治家としても相当な実力者だ。
エドモンドはカートを押していた瑠衣を見て腰を抜かしたのだ。
「あらあら。エドモンド。お元気? お師匠様なんて他人行儀にいうのはおやめなさい」
「うふふ」と間延びした様子で瑠衣は答える。
その様子とは真逆にエドモンドはその場で土下座をした。
心なしかぷるぷると震えている。
「お、お母様……」
心臓でもつかまれたかのような声を出した。
なぜか瑠衣は嬉しそうに世間話をはじめる。
「エドモンド。お嫁さんはもらった? 子どもはいる? お母さん孫に会いたいわー」
「ひいい。お、お師匠さ……お母様。孫も元気でございます。いるならいると言って頂ければ私もちゃんとしたものを……」
ちょうどかけつけて、爆弾発言を聞いたアイリーンはその場で固まる。
「る、瑠衣殿? お、お母様?」
確かに年を経た悪魔だと思ってはいたがスケールがあまりにも違う。
「あらあら。アイリーン様。エド。こちらが今の主人のアイリーン様です」
宮廷魔術師長を呼び捨てである。
宮廷魔術師長エドモンドはガクガクと震えながらアイリーンに説明をする。
「アイリーン殿。る、瑠衣、お師匠様は……」
「お母様」
「……お母様は暗殺された両親のかわりに私を育ててくださりまして」
どうやらのエドモンドの育ての親で師匠のようだ。
悪魔は王宮に根を張っているというレベルではない。
好き放題入り浸っているらしい。
「エドモンド。アイリーン様と仲良くしてくださいね」
「も、もちろんです! ぜ、是非!」
「せっかくですからエドモンドのかわいい話をしながら軽食でも。昔は『お母様と結婚する』ってそれはもう可愛らしくて」
『うふふ』と瑠衣がうれしそうに笑う。
「お母様やめてー!!!」
涙目でエドモンドが必死に叫ぶ。
大の大人が哀れな姿である。
そこには宮廷魔術師の威厳など塵に等しかった。
そしてこのときの瑠衣は完全にお母さんだった。悪い意味で。
「それでエドモンド。盟約の履行はどうなりました? 子どもの頃から口をすっぱくして言ったはずです」
エドモンドの顔色が変わる。
「そ、それが私一人ではどうすることもできず……ごめんなさい!」
(どんな恐ろしい目にあわせたんだよ)
アイリーンは親とは疎遠なので実感はないが世の親子関係ではいろいろあると聞いている。
それに忘れがちだが瑠衣は怖い。
アッシュの顔の怖さや攻撃力ではなく本能を刺激されるような怖さが瑠衣にはあるのだ。
さぞ教育的指導は恐ろしいものになるだろう。
それこそ想像もできないほどに。
アイリーンは同情した。
エドモンドの顔は青白く額には脂汗を流していた。
よほどのストレスなのだろう。
アイリーンは少しだけ同情した。
するとエドモンドは意を決したように言った。
「実はここ10年ほど母様の捜索を命じられていたのです。ぜ、ぜひ、陛下のお話を聞いてくだされ。アイリーン殿、平に、平にお頼み申し上げます」
アイリーンに断る理由などなかった。
それにこの騒ぎをどうにかおさめて下がってしまったであろう評価を挽回しなければならなかった。
……と、勝手に悪い方に考えていた。
実際は『お前の頭の上がらない連中はみんな私の部下だ。わかったな!』というエグい脅しをあちこちにかけた形である。
この事件だけでかなりの人数がアイリーンに逆らうのは止めようと考えたし、後日アイリーン派という謎の派閥が出現することになったのだ。
こうしてアイリーンは、アッシュたち家族までも皇帝をめぐる事件に巻き込まれるのだった。
書籍化への温かいコメントありがとうございます!
次回は「教会どうしたの? 悪魔は敵じゃないの?」ってあたりをやります。
追記:元騎士団長の名前がわかりにくかったので変更しました。