アッシュさんレベッカたんと出会う
クリスタルレイク。
かつては貴族の避暑地として賑わい1000人ほどが暮らす大きな街だった。
だが戦乱の最中、敵国の襲撃を受け壊滅。
貴族の別荘や商店は焼かれ、住民は散り散りに逃げだし街は完全崩壊。
残ったのは廃墟と老人と女子どもだけだった。
現在では20人ほどが暮らしている湖畔の小さな村である。
好き好んで移り住もうという人間は誰もいないのがクリスタルレイクである。
アッシュはその村で……元気にやっていた。
そのクリスタルレイク村のエルムストリート。そこにアッシュの屋敷がある。
エルムストリートはかつて村のメインストリートだったが戦乱で焼け現在は何もない荒れ地である。
それでもアッシュは満足だった。
アッシュは怪我の療養名目で除隊した。
もちろん体はどこも悪くない。
怪我も膝をちょっと捻った程度のものだった。
だがアッシュはこれ幸いとばかりに膝の故障を理由に傭兵を廃業。
報奨金の全額を使ってこのクリスタルレイクに畑と屋敷を買った。
貴族が放棄した屋敷付きの土地が激安で叩き売られていたのである。
買った土地は、広大な農地に大きな家、しかも湖に近いという素晴らしい土地だが全体的に荒れ果てている。
家は床が抜け、雨漏りもしていて、土地は何年も放置されていたようで雑草がぼうぼうに生えている。
井戸も職人を呼んで清掃しなければ使えないだろう。
まずは住環境を整備し、荒れ果てた農地を耕すのだ!
アッシュは燃えていた。
なにせ憧れのスローライフなのだ。
アッシュのテンションが上がる。
だがおかしい。傭兵程度に貴族の屋敷が買えるものなのか?
そこにはアッシュも気づかなかった罠があったのだ。
それはアッシュが屋敷に越してきた夜のことだった。
アッシュは廃墟と化した屋敷のベッドルームに藁を敷いて寝ていた。
そんなアッシュに近づくものがある。
「……出て行け」
がたがたがたがた。
地震でもないのに部屋が揺れる。ポルターガイスト現象である。
そして現れるのは半透明の人間。
かろうじてメイド服を着ているのがわかる姿のなにか、いわゆる幽霊だった。
それが寝ているアッシュにのしかかり脅しをかける。
「出て行け人間よ……さもなければ呪い殺してくれる……」
その時アッシュの目がぱちりと開いた。
幽霊はこの時点になってようやくアッシュの顔を見た。
「きゃあああああああああああッ! 悪魔!」
切り裂くような悲鳴を上げたのは幽霊の方だった。
アッシュの眼力は死者ですら恐怖させるのだ。
アッシュは重いまぶたをこするとベッド脇に置いたカバンから何かを取り出す。
『あくりおたいさん』
それは子どもの書いたような誤字だらけの雑な文字で悪霊退散と書かれたハリセンだった。
アッシュはハリセンを素振りする。アッシュが素振りするたびに聖属性の光がハリセンから漏れてくる。
「ちょっとなにをするの? そんなものが幽霊に効くはずが。ちょっとアンタ聞きなさいよ! ちょっと……なんで素振りしてるの!? なんで聖属性で光ってるの? ちょとやめて、やめえええええええええ! ひぎッ!」
すぱーん!
アッシュはハリセンを構えると容赦なくスイング&ヒット。
アッシュは屋敷が事故物件である事は承知の上だった。
そもそもアッシュは傭兵である。
戦争前はハリセン片手にアンデッド狩りをしていたこともあるのだ。
戦争中も戦死した幽霊が現れるたびにハリセンで叩いて廻ったので戦地が穢れることもなかったほどだ。
傭兵仲間に「なんで物理攻撃が通用するの?」と言われたこともあるが気にしたら負けに違いない。
しゅううううっという煙を出しながら幽霊は大の字になって気絶した。
駆除終了である。
あとは自分から出て行くなり成仏するだろう。
それでも言うことを聞かない悪い子にはさらにハードな「めっ!」が待っているのだ。
「よし。明日からは幽霊を駆除しなくちゃ」
アッシュは独り言を言った。
この言葉通りそれから10日ほどで屋敷の全ての幽霊は駆除されていったのだ。
そして幽霊の駆除から数日後アッシュは幸運をつかむ事になる。
それはアッシュが悪霊を駆除してから数日後の夜のことだった。
「たすけてー。誰かたしゅけてくだしゃーい」
敷地のどこからか声がする。
「くらいのー。こわいのー。だれかたすけてー」
すんすんと子どもの泣く声がする。
「出られないのー!」
アッシュにはどうにもその声は人間のものに思えなかった。
幽霊だろうか?
アッシュは孤児院にいた小さい頃から幽霊が見えた。
そして見つけ次第片っ端からハリセンで駆除していた。
霊感というものがあるのだろう。
馴れているせいか不思議とそういう怪奇現象に恐れはなかった。
アッシュは声の主を探して敷地の捜索を開始した。
どうにも声がするのは家の中ではないらしい。
アッシュはランタンを持って屋敷の裏へ回る。
職人を呼んで直すはずの井戸がある。
「誰かー!」
どうやら声は井戸からしてくる。
アッシュは井戸に身を乗り出す。
「誰かいるのか?」
アッシュはランタンをかざし井戸の底を見る。
どうにも暗くて見えない。
「たすけてくださーい!」
声が帰ってくる。
どうやら幽霊ではなく子どものようだ。
アッシュの勘は外れたようだ。
「今助けてやる。待ってろ」
「はーい」
アッシュはランタンを腰の金具に引っかけると目をくわっと見開いた。
「あちょー!」
アッシュは跳躍し井戸に飛び込む。
「アタタタタタ!」
井戸の壁を蹴り落下の勢いを殺しながら底へ突き進んでいく。
人外の侵入方法でものの数秒で井戸の底に着く。
そこは薄暗い。
「痛いのー……」
女の子の声がする。
きゃんッという泣き声も聞こえた。
アッシュはその痛々しい泣き声に心を痛めた。
「大丈夫か?」
アッシュは何者かに近づく。
その時、月の光が何者かを照らした。
それは人間ではなかった。
小さな翼。
それは四つ足の獣。
それはピンク色のドラゴンだった。
ただし小型犬くらいの大きさのチビだった。
(子どもなのだろうか?)
アッシュはドラゴンをまじまじと見つめた。
「水を飲もうとしたら落ちちゃってそしたら羽が痛い痛いなの」
舌っ足らずな声だった。
そう声の主はこのドラゴンだったのだ。
アッシュは固まる。
ドラゴンは生態系の頂点にいる生き物である。
なにせ全ての生き物を凌駕する身体能力と圧倒的魔力を誇る生き物なのだ。
それが人間の言葉で喋っていたのだ。
「えーっと……ドラゴン?」
ドラゴンがコクリとうなづいた。
「はいなの」
「お父さんかお母さんは?」
そもそもドラゴンって子育てしたっけ?
アッシュは自分で言いながらも混乱した。
さすがのアッシュでも人語を話す野生のドラゴンなど初めて見たのだ。
だがドラゴンの子どもはそんなアッシュにも真面目に答える。
「わからないの。ママにここで待っててねって言われたの。あのねドラゴンライダーさんが助けに来てくれるんだって。大昔にママが約束したんだって」
舌っ足らずのドラゴンがぴょこぴょこと跳ねながら真面目な顔をして説明する。
ドラゴンライダー。
アッシュはその単語に聞き覚えはあるのだが、それがなにかは思い出せなかった。
「ドラゴンライダーって?」
「あのね、あのね、強いの。どかーんばきーんなの」
ドラゴンの子どもはぴょこぴょこ跳ねながら一生懸命説明する。
だがアッシュは何を言わんとしてるかわからなかった。
ドラゴンは幼すぎて順序立てて話をするのは難しいのだろう。
これ以上聞き出すのは難しい。
そうアッシュは判断した。
アッシュは話を変える。
「上に出してやる。抱っこするぞ」
「はいなのー」
アッシュはドラゴンの子どもを抱っこすると、膝を曲げ、そして一気に跳躍し井戸を飛び出した。
「きゃー♪ すごいですー!」
ドラゴンの子どもはきゃきゃっと笑った。
井戸から飛び出し地面に着地するとアッシュはドラゴンの子どもを地面に下ろした。
アッシュはドラゴンに怪我がないか観察した。
小さな羽が痛々しく折れ曲がっている。
「羽が折れているな」
「いたいいたいなの……」
安心したのかドラゴンの子どもが痛みを思い出し目を潤ませる。
本当だったら「じゃあな」と別れたいところだが、アッシュはかなり悩んでいた。
このまま放っておいたらこのドラゴンは死んでしまうかもしれない。
アッシュもできればこの人なつっこい生き物がそんな悲惨な運命を迎えるのは可哀想なのでそれは避けたい。
かと言って相手は野生生物だ。
野生生物に余計な事をすると大抵は不幸な結果に終わる。責任がとれないのだ。
アッシュはドラゴンライダーのことを思い出した。
責任者がいればそこまで運んであげればいいのだ。
「それでドラゴンライダーだっけ? その人の居場所はわかるか?」
「わからないの……」
ドラゴンは尻尾を丸めてうなだれていた。
(かわいい)
その姿はどうにもアッシュの庇護欲を刺激した。
どうしたものか……アッシュは悩んだ。
アッシュは道に捨てられてた子犬を拾おうかどうか悩む小さな子どもの気分だった。
少し考えるとアッシュは決めた。
「怪我が治るまでうちにいたらいい。ドラゴンライダーってのも探してやろう」
それを聞いてドラゴンはアッシュの顔を見て目を潤ませる。
「あい! ありがとうなの!」
尻尾がパタパタと揺れる。
「俺はアッシュ。クリスタルレイクの……百姓? だ?」
まだ何も作業をしてないためアッシュも自信がない。
「レベッカなの。アッシュにいたんお世話になりますの」
ぺこりとレベッカが頭を下げた。
アッシュは無意識に頭を撫でる。
レベッカは目を細めて気持ちよさそうにしていた。
(ドラゴンってこんなに人なつっこい生き物だったのか……)
後にそれは大きな誤解があることがわかるのだが、それはまた別の話である。
人にも動物にもなつかれることがないアッシュはなんだか嬉しくなってレベッカをなで回す。
なでなでなでなでなでなで。
「あーん。やめてくださーい」
アッシュはつい調子に乗ってなで回してしまった。
そんなアッシュも折れた羽が目に入るとはたと我に返った。
(おっと治療しないと!)
「今から家に運んで治療するから」
「はーい♪」
こうしてアッシュはドラゴンの子どもを預かることになったのだ。
だがこういう保護はたいてい一生保護することになるのだ。