クリスタルレイクのケーキ屋さん
一行は半日をかけて逃げるようにクリスタルレイクに戻った。
今度はアッシュも一緒だった。
クリスタルレイクの入り口に到着すると一行はアッシュの屋敷に急ぐ。
待っている家族がいるのだ。
アッシュの屋敷の前でレベッカが待っているのが見えた。
「レベッカ!」
アッシュは荷物を放り出して走る。
「にいたん」
アッシュに気づいたレベッカも走り出す。
レベッカはなぜかヒラヒラフリフリの小さなドレスを着ていた。
レベッカがアッシュに飛びかかる。
「にいたーん!」
アッシュがレベッカを受け止めるとレベッカはそのままアッシュにしがみつく。
「あのね。あのね。幽霊さんがこれをくれたの!」
レベッカは尻尾をふりふりしている。
服も尻尾と一緒にヒラヒラと動く。
どうやら幽霊メイドのメグによってファンションショーが開催されていたようだ。
「うん、かわいいな」
アッシュはニコニコする。
「あい♪」
ほめられたレベッカはご機嫌である。
それを見たベルも鼻血を出す。
「なんてかわいいの! レベッカたん。私と結婚してください」
「やー♪」
「おいベル、だんだん発言が危なくなっているぞ」
アイリーンがツッコミを入れるがベルは聞いていない。
ひたすらレベッカを愛でていた。
そんな一行は背後から声をかけられる。
「おかえりなさいませ」
幽霊メイドではない。
幽霊メイドは夕方からしか外を出歩けないのだ。
そこには瑠衣がいた。
「なんでいるのかな?」
アイリーンは笑顔で聞く。
瑠衣は兵士の救出作業をしているはずである。
こんな早く着くはずがないのだ。
「なぜでしょうね?」
「わかりませんわ」と瑠衣はとぼける。
「おおーい嘘つくなー」
「うふふふ。実は作業が終わりましたのでご報告をしに参りました。お父上は無事にクルーガー軍に保護していただきました。クルーガー軍は重傷者700人。行方不明者185人。避難していただいたので死者はありませんでした」
砦の残存兵力は推定で800~900。
つまり全滅である。
それでも生き残ったのでパトリックの武勇は知れ渡るだろう。
あとはどうにでも話を捏造してくれるはずだ。
アイリーンは安堵した。
「それで……敵側は?」
一応聞いてみた。
「全滅です♪」
「そ、そうか」
瑠衣の表情が薄ら寒いものだったのでアイリーンは追求をやめた。
聞いてはならないという自制心も理由だったが、それよりもアイリーンには気になることがあったのだ。
「行方不明者とは? 埋まってしまいわからないのか?」
「いいえ。盟約に従って殺人犯をこちらで預からせていただきました」
悪魔が捕まえるのだから戦争での殺人ではないだろうとアイリーンは納得した。
「それで……瑠衣殿の目的は報告だけではないだろう?」
「はい。アッシュ様にお約束のものの材料を届けに参りました」
ケーキの材料である。
「それで……数は……?」
「部下全員と考えると300ほどでしょうか」
アッシュがずっこける。
アイリーンたちもずっこける。
200柱分のお菓子セットでも戦場のようになったのだ。
ホールケーキ300個は数字がおかしいのだ。
「あらあら」
「あらあらじゃなーい! 瑠衣殿、300だぞ! 300! カットケーキ200用意するのにもあの騒ぎだぞ! 無理だ!」
「あらあら。なにも一日ですべて用意しろなんて言いませんよ。少しずつでいいのです」
「それでも多いわッ!」
アイリーンがツッコミを入れる中、一人燃えている男がいた。
当然のようにアッシュである。
「ふ、ふふふふふ! 相手にとって不足なし!」
明らかにゼインと対峙したときよりも燃えている。
アッシュにとってはケーキ300個の方が強敵だった。
成層圏突入を成した筋肉が唸りを上げる。
「さあケーキ屋さんとしての力を見せてくれる!!!」
「にいたん凄いです!!!」
「アッシュ殿が力を見せたら都市が滅ぶわ!」
アイリーンのツッコミが炸裂するがアッシュは聞いていない。
「がはははははははは!」
アッシュは豪快に笑う。
徹夜明けのごとくテンションがおかしくなっていた。
「さあ、かかってこい! すべて生クリームにしてくれる!!!」
「アッシュ殿が壊れた! おーい戻ってこーい!」
アイリーンがアッシュを揺さぶりベルはレベッカを受け取って自分が抱っこする。
そこにはいつもの日常があった。
なんだかんだといいながらも全員が笑っていた。
それを見て瑠衣も「ふふふ」とつられて笑った。
和やかな雰囲気を感じ取ったのだ。
だから瑠衣は今なら言ってもいいだろうと思った。
「そうそう、アイリーン様。次のクリスタルレイクの代官に就任おめでとうございます」
アッシュを揺すっていたアイリーンがピタリと動きを止め、「ぎぎぎぎぎ」と首を鳴らしながら瑠衣を見た。
「なんだって?」
「ええ。アイリーン様、代官就任おめでとうございます」
「どうしてたった半日で中央に情報が漏れてるんだ?」
「間者がたくさんいましたから」
「なぜつかまえない!?」
「敵意はありませんでしたから」
「そ、そうか……」
悪魔に人間の常識を求めてもしかたがない。
「でもなんで私が……」
「ええ。なんでも国の首脳陣はアッシュ様を管理できるのはアイリーン様だけという結論に至ったようです。お父上の治療が終わり次第、就任式が予定されています」
「なぜ知っている?」
「我々はどこにでも誰の側にもいるのです」
「内緒ですよ」と瑠衣は唇に人差し指を当てた。
アイリーンはがっくりと膝をつく。
どうやらアッシュ憧れのスローライフはまだまだ先らしい。
ベルに抱っこされたレベッカが「やーん」ともぞもぞと暴れ下に降りる。
レベッカはてくてくとアイリーンの元へ近づく。
「アイリーンお姉ちゃん」
「あのね。あのね。アイリーンお姉ちゃん」
「うん? どうした」
「あのね。あのね。戻ってきてくれてありがとうです。アイリーンお姉ちゃん大好き♪」
アイリーンはたまらなくなってレベッカを抱きしめる。
「私も戻って来られてよかった! レベッカ大好き!」
「あい♪」
レベッカは尻尾をふりふりする。
それは仲の良い姉妹にも見えた。
◇
アッシュは生クリームを泡立てる。
アイリーンもベルも騎士二人も手伝う。
最近ではレベッカも簡単な手伝いをするようになった。
クリスタルレイク。
そこは湖があるだけの田舎の村。
崩れた建物は修復したけれど人間の住民はほとんどいない。
でもこの村には名物がある。
世界で一番強いパティシエが作るケーキ屋さんがある。
顔は怖いけど彼のケーキを目当てに悪魔が集ってくる。
村長は知らないけれどすでに人間よりも彼らの方が多い。
黄昏時にはケーキ屋さんに悪魔たちが並ぶ。
蜘蛛や目玉や骸骨たちが楽しそうに並んでいる。
看板娘は小さなドラゴン。
小さい小さい幸福のドラゴン。
彼女はみんなに幸せを運んでくる。
お代は古い古い昔の道具。
悪魔たちはそれだけじゃ悪いのでチップ代わりに壊れた村を直していく。
みんなみんな幸せだった。
こうしてケーキ屋さんとその家族たちはいつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし……めでたし?
「アッシュ殿!!!」
厨房に荷物を運んでいたアイザックが慌てて入ってきた。
完成したケーキの数を数えていたアイリーンが呆れた声を出す。
「なんだアイザック。こちらはようやくホールケーキを半分作り終わったところだ。瑠衣殿からクレームが来たらそう言ってくれ」
「ち、違います! こ、皇帝陛下が……」
「皇帝陛下がなんだ?」
「いらっしゃったのです! 新しい代官の様子を見に!」
「へ? まだ任命すらされていないぞ……」
「とにかく、近衛騎士団が責任者を呼んでます」
「えええええええええ!」
……幸せに暮らしましたとさ。
ごめんなさい!
紛らわしいですが続きますから!