お前は神ではない
アッシュは拳を振るい続ける。
畑を爆破できる攻撃力、槍で地形を変えられる男にしては珍しく追い込まれていたように見えた。
相手が気体だから? 酸だから? 滅ぼすことができないから? 違う。
アッシュは待っていた。最高のタイミングを。
死霊との戦いになれたアッシュは知っていた。
恨みを残した魂を浄化するのは難しい。
なぜなら、鍋にこびりついた汚れのようにこびりついてなかなか取れないのだ。
強力な攻撃で消滅させるか。恨みの元を絶つか。
そしてもう一つ。祭りをすることだ。
人間は他人の死に対して儀式を執り行う。
ここで死んだんだと理解させ、あの世に送り出す。
生と死に線を引かなければならないのだ。
そういう意味ではいままで戦ってきた悪魔たちは楽だった。
ゼインですら生に執着してなかった。
ゼインも同じように人間を憎んでいた。
だが悪魔になって人間を超越した瞬間……たとえ結果が残念なものになろうとも願いを叶えていた。
少なくとも自らの優秀さを証明することはできたのだ。
コンプレックスの一部はそこで解消できた。
認められたのだ。
だがウォーデンは違う。
最初から人間を滅ぼすのが目的だった。
悪魔になるのは手段でしかない。
仇を殺そうとも。
国を滅ぼそうとも。
人々を憎み合わせ殺し合いをさせようとも満たされることはなかった。
ウォーデンに利用されているのはアッシュにつながらない歴代皇帝たち。
それに各国の首脳たち。
彼らがアッシュの両親を抹殺した。
だがアッシュは彼らを解放してやりたかった。
同情や憐憫からではない。
もうここで終わらせるのだ。
クルーガー帝国の歴代皇帝と初代皇帝の血族との悪縁をここで絶ち切り、セシルたちと新しい関係を築くのだ。
もう二度と犠牲者は出さない。
ドラゴンと人間、それに悪魔の未来のために。
外から歌が聞こえてくる。
悪魔たちと人間が歌って踊る。
酒を振る舞い。
楽しそうに笑い歌う声が聞こえてくる。
遠くではレヴィンやガウェインたちの戦う声が。
そして近くからは男たちの勇猛な声が聞こえてくる。
そして鳴り響く爆発音。アイザックの手製爆弾の音だ。
「カルロス! 結界を張れ!」
カルロスは手を合わせ神に祈る。
結界が発動し霧を防ぐ。
「人使いが荒いな! おっし、アイザック結界張ったぞ!」
それほど長く効果を維持することはできない。
だがそれで充分だった。
アイザックが声を張り上げる。
「おっしゃ、死ねや霧野郎!
クルーガー騎士の根性見せるぞ!
全軍突撃ぃッ! オラアアアアアアアッ!」
「うおおおおおおおおおおお!」
騎士たちが突撃した。
「死んだらテメエらの伝説は未来永劫語り継いでやる!
今こそ海軍の根性見せてやれ!
野郎ども突撃いいいいいいいいいいぃッ!」
「へい! 兄貴!」
今度は海軍の海賊が突撃する。
聞き慣れた声のやりとりが聞こえ、もう一度爆発が起こった。
爆発に負けない勢いでクローディアの歌とオデットの演奏、それに歌も聞こえて来た。
戦っている騎士や貴族たち、海賊たちまでも笑っていた。
どこまでも誇らしく、胸を張って。
たとえ傷つこうとも弱きものを助け、勇敢に戦っていた。
彼らは自分に酔っていたのかもしれない。
だがそれでもよかった。
彼らはいつもより何倍も勇敢だった。
相手は霧だ。
剣も爆弾も効果はないように思えた。
霧は容赦なく盾を溶かし、肌を焼く。
彼らは痛みに顔を歪める。
無駄かもしれない。
みんなその自覚はあった。
だが、そんなことは関係なかった。
ただ戦い、傷つき、それでも霧に立ち向かった。
笑いながら。
傷ついた騎士が歌う女性や子どもたちを避難させる。
男たちはただ勇敢に立ち向かった。
アッシュは思わず笑みをもらした。
「なにがおかしい!」
ウォーデンが叫んだ。
絶対的に優位な立場にあるはず。
そのはずなのにウォーデンには余裕がなかった。
ウォーデンは自分が負けるかもしれない。
なんの根拠もなくそう思い始めていた。
「最高のタイミングだ。
神様ってのは、案外いるのかもしれないな」
「我こそが!」
「違う。お前のような小さい存在じゃない。
お前はどこまで行っても人間だ。悪魔ですらない」
「ふざけたことを!」
「悪魔は人間と仲良くしたいと思っているが、あがめられたいとは思っていない。
悪魔と人間は対等だ。
たとえ悪魔が人間の天敵だとしてもだ!
だけどお前は人間の目を気にしている。
神だと! 違うな。お前は皇帝になりたかっただけだ!
人間を超えた存在が皇帝になりたいだと!?
笑わせるな!」
人間と悪魔の混成軍も必死に戦った。
瑠衣もクローディアも、カラスたちも参戦し、霧を焼き払った。
それでも霧に一撃を与えるのは難しかった。
霧はつかみようなく、不定形で、漂うものだった。
だが男たちの勇猛な姿を見た人々は、心に希望が生まれるのを感じた。
絶望はそこには存在しなかった。
「喰らえオラァッ!」
とうとうアイザックが酒で作った火炎瓶を投げ始めた。
酒だけじゃない。
松明に使う油の入った樽に火をつけて霧の中に蹴り入れる。
轟音とともに炎が上がる。
「ぬははははははー! 喰らえやー!」
今度はたぬきとカルロスがいつぞやに作った花火を放り込む。
爆発。轟音。炎上。
煙が晴れると壁が崩れていた。
まさに暴挙。
だがその暴挙こそが一緒に戦う貴族たちを奮起した。
なぜなら霧は、ウォーデンは二人の攻撃から逃げた。
その霧は全体からしたらほんの一部だ。
だがそれでも皆は確信した。
人間、ただのちっぽけな人間でも戦えるのだ。
神は、神を自称する存在は絶対に勝てない相手ではない。
自分たちと同じ生き物なのだ。
勝てる。
皆は確信した。
薄ぼんやりと思っていたことが、いま確信に変わったのだ。
人々の抱いた希望。
それがドラゴンたちに力を与える。
レベッカが叫んだ。
「にいたん! 準備できました!」