善良にして最良の友たちよ
魔王と聞いて貴族が驚いた声を出す。
「な、神に逆らうものがいるのか!」
それをオデットは強く否定した。
「違う。いるのは昔から存在した生き物と神を詐称する本当の悪党! それがあいつ!」
そう言うとオデットはドンッと弦をはじく。
「さあ、師匠! 一世一代の名演説ぶちかましてください! あんた世界最高の女優でしょ!」
オデットに激励された瞬間、クローディアはとても穏やかな顔になった。
そして次の瞬間、その顔はかつての妃のものになる。
「妾こそ始祖の第二王妃。ドラゴンとの盟約を反故にし、わが子たちの魂を捕らえた邪悪。それがあやつだ!」
オデットは演奏を続ける。
アドリブなのにまるで狙ったかのような演出だった。
「ま、まさか……初代皇帝の妃が……いや、だが」
信じないものたちが大勢いた。
だがもう準備はすんでいた。
セシル派の貴族たちが膝をついた。
そしてセシルもクローディアの前に膝をつく。
クローディアを使い倒すつもりだ。
「偉大なる祖先にして我が義母上、クローディア様。
我が義弟を助けるにはいかがすればよろしいのですか?」
クローディアも本人役を演じきるつもりだ。
演劇用の発声で声を上げる。
「レベッカ、それにアイリーン。我が義娘セシルの問いに教えてくれ。
どうすればアッシュは勝てる?」
偉そうな態度のクローディアにも、よい子のレベッカは元気よく答える。
「あのね、ママとそれにおじさんたちを解放するの!
それには『たのしい』が必要なの!
人間さんも悪魔さんも、ドラゴンも!
楽しいことをするの!」
アイリーンは恭しく膝を突き頭を垂れる。
「レベッカの言うとおりにございます。
今こそ悪魔やドラゴンとの盟約を復活させる時です
どうかご同輩の皆様にもご助力を」
セシルは貴族たちを真っすぐ見据え、大きな声で言った。
「皆の衆! これから悪魔を市街地に呼ぶ。
決して攻撃してはならん。兵に厳命せよ!」
そう言った後でクローディアは「まあ攻撃しても悪魔だから怪我もしないけどね」と小さくつぶやいた。
セシルは苦笑いする。
実はこの戦いがなくても悪魔の行進は予定していた。
悪魔の存在を既成事実化して今までの「悪魔」と言う呼称ではなく、「妖精さん」と呼ばせようと思っていたのだ。
名前さえ変えてしまえば怖いものはない。
あとは本山とも交渉し、人質にしている悪魔たちと交換で悪魔を妖精として認めさせる。
それがクリスタルレイク勢の計画だったのだ。
「さあ、善良にして最良の友たちよ! 街を歩くのだ!」
セシルの言葉が届いたかはわからない。
最初の変化は街で起こった。悪魔たちは宮殿を目指し、庶民の住む区画に入る。
彼らを初めて見た大人は恐れを抱いた。
だが子どもたちは手を振る。
悪魔たちが怖くない存在だと察知したのだ。
悪魔たちも手や触手をふり返す。
それを見て大人たちも恐る恐る近づく。
そして危険はないとわかったら、悪魔たちの行進をただ見ていた。
古くから世界にいた生き物たちは、この日、人間の前に出てきたのだ。
悪魔たちの胸は希望に満ちていた。彼ら悪魔は人間の天敵だ。
だが同時に人間がいなければ、文化を創造できない彼らが生きていくことはできない。
だから悪魔は人間とは仲良くしたい。
積極的に不幸におとしいれたり、支配したりする必要はない。
生きていくための不幸は足りている。
不幸を生み出す悪人もまた人間なのだから。
レベッカを抱っこするとアイリーンは力強く言った。
「帝国に忠誠を誓う同輩たちよ!
我が婚約者アッシュ・ライミの戦いをセシル様もジェイン様も見守ることにした。
我らでお二人を守ろうではないか!
我らには始祖の妃にして伝説の魔道士クローディア様、この国の建国に力を貸した賢者瑠衣様。
それに始祖と契約したドラゴンたちがいる!
今こそ我らの武勇を見せるのだ!
神如きを恐れるものなどクルーガーにはいないということを見せつけるのだ!」
このとき、貴族たちは正直言って恐怖していた。
戦場よりも、子ども時代の夜の闇よりも恐ろしかった。
だがドレスを着た年若い女性に、ここまであおられては引っ込みがつかない。
見栄で生きているのが貴族なのだ。
まずはセシル派の貴族たちが迷わず前に出た。
彼らはアッシュを信用していた。
次に会場警備に当たっていた海賊や騎士たちが前に。
そして最後にセシル派ではない普通の貴族たちが青い顔をして前に出た。
この時点で逃げ出したものは数人。
セシルは彼らを糾弾する気はなかった。
怖いものは怖い。
今では週の半分は悪魔と酒を飲みかわしているセシルだって、初対面では瑠衣を前にぶざまな姿をさらしたのだ。
優しいセシルとは違い、アイリーンはその先を理解していた。
この恐怖を乗り切った連帯感。
それは貴族たちの結束を強くする。
今ここで同じ体験、同じ苦境を乗り越えた仲間に貴族たちはなったのだ。
勝利すれば孫の代までこの体験を語り継ぎ同輩たちと昔話をするだろう。
だとしたら逃げ出した貴族が、果たして貴族社会で生き残ることができるだろうか?
仲間として扱われるだろうか?
未来永劫腰抜けとして扱われるのだろう。
セシルが許そうとも確実に悲惨な未来が待っている。
アイリーンはそれを考えると胸が痛んだ。
父が、公式には死んだことになっている父がこの場にいたら真っ先に逃げ出しているだろう。
逃げた貴族はかつての自分たちの側なのだ。
だからアイリーンには他人事には思えなかった。
だが今はそれは考えないでおこうとアイリーンは思った。
今はやるべきことがあるのだ。
アイリーンはクローディアの声に合わせて歌う。
オデットはアイリーンに合わせて伴奏を変える。
「さあ! ワタクシたちも続きますわよ!」
わざとらしい棒読みでクリスは言った。
こちらもアドリブだ。
演劇が、クローディアのレッスンが今まさに役に立ったのだ。
さすがに貴族の言葉はまだ慣れない。そしてクリスも歌う。
なんとなく貴族の妻や娘たちも歌い出す。ノリで押し切ったのだ。
これには貴族たちも従う。
実際にはなにをしていいかわからなかったのだ。
だが彼らの選択は正解だった。
その頃街では、変化が起こっていた。
伝令が街の市民たちに「歌え」と命令する。
悪魔たちと一緒に市民たちも歌い出す。
なにを歌っていいかわらなかったので、お祭りの曲を歌う。
一人が歌い始めたら他の市民たちもなんとなく同じ曲を歌いだした。
すると大声で歌う集団が現れた。
スラムの住民たちだ。
彼らは歌いながら市民に合流する。
先頭にいるのは廃騎士レヴィン、それに悪魔たち。
そしてガウェインと伽奈。
それは市民を守るための軍勢だった。
街が霧に包まれ、戦いが始まる。
「よっしゃあ! 突撃いいいいいいいいいいいッ!」
宮殿ではアイザック、それにカルロスたち、それに貴族たちの軍勢が霧に突撃した。
騎士も海賊たちもその背に浴びた歌が勇気を喚起した。
お調子者の悪魔たちも一緒に歌う。
同時に街でもレヴィンたちの戦いが始まっていた。
その中に一人だけ歌わないものがいた。
それは無口な女性。
許されないことをした悪魔。
その言葉は呪い。
口に出した声を聞いたものは死ぬ。
死を司る魔王。伽奈だ。
伽奈もまた自身の運命に決着をつけようとやってきた。
「いいのか? 逃げてもいいんだぞ。一緒にどこまでも逃げよう」
伽奈に付き従っていた大男、ガウェインが聞いた。
こくりと伽奈がうなずく。
「そうか……」
伽奈はガウェインの手を握る。
「わかった。お前の使命を果たしてこい」
伽奈は、ひとしずくの涙を流しすうっと夜の闇に消えた。