最強の魔道士
その歌と呼応するかのように、宮殿の一角ではドラゴンたちが踊っていた。
新しく仲間になった妖精たちも一緒に踊っている。
アッシュたちはただそれを見守る。
「たのしいの♪ たのしいの♪ たのしいの♪」
きらきらとした光がドラゴンたちを包み、神聖な空気をまとう。
クリスタルレイクの人間にはおなじみの光景だ。
だがジェインはひたすら驚いていた。
「母を解放すると言ったが……一体なにをしてるんだ?」
アッシュが答える。
「仲間を助けるために封印を壊してます。殿下」
「ジェインでいい。正当な皇帝の血族は卿だ。……それに卿の両親を殺したのは我が父と聞いている。殺されないだけマシというものだ」
「ではジェイン。私もアッシュと呼び捨てにしてください。私たちの親や先祖には不幸な歴史がありましたが、私たちがそれを継ぐ必要はありません。現に妹君は私にとって姉のような存在です。私たちも友人として新しい関係をはじめましょう。もちろん私は、セシル様のもう一人のお兄さんとも友人になりたいと思ってます」
アッシュは手を差し出す。
「私を友と言ってくれるか……アッシュは心の大きな男だな。正直言って、私はアッシュが怖かった。首を落とされるかと思っていた。友として聞く。私はこれからどうすればいいだろうか?」
ジェインがアッシュの手を握った。アッシュはほほ笑む。
「心のおもむくままに生きればいいかと。自分を偽るのは疲れますので」
「ふふふ、そうか。私は自由になっていいのか。アッシュ、君は、なんて……君は」
ジェインは涙していた。
今は気にしなくてもいつか殺されると思い込んでいた。
セシルもいつか殺されるに違いない。
それも運命なのだと思っていた。
死ぬならせめて皇族として誇り高く死のうとさえ思っていた。
だがアッシュの決断は罰するのでもなく、許すのでもなかった。
ジェインには関係ないことだと言ってくれた。
それどころか親の仇の息子に友になりたいと言ってくれた。
「そうか、そうなのか。君は……本当に英雄なのだな」
「ただの未熟者です」
ジェインの心の奥でくすぶっていた霧が晴れた瞬間、ドラゴンたちはさらに光を増した。
レベッカが両手を挙げる。
「みんな! 出てきてー!」
光の柱が立つ。だがそれは一瞬でかき消えた。
「なにがあった!」
ジェインが叫ぶ。するとレベッカの悲痛な声が聞こえた。
「封印……解けないの。なにかが邪魔してるの……」
次の瞬間、アッシュと瑠衣が戦闘態勢に入る。
アイリーンがレベッカを抱き。ベルはドラゴンたちを避難させるために誘導する。
「なにかが接近してます!」
「アッシュ、なにが起こった!?」
アイリーンが叫んだ。
「アイリーン! レベッカとドラゴンを連れて逃げろ!」
すると廊下から、カツカツカツと靴の音がしてくる。
「無駄だ。封印を解くことはできない。その封印は代々の皇帝の命を使ったものだ。ドラゴンライダーの血も入っている。ドラゴンの魔法では解けんよ」
男は古くさい衣装を着た男だった。
革の靴に薄い布の服を着た男。
頭には月桂樹の冠を載せている。
数百年前には一般的だった格好だ。
「悪魔か?」
「いいや神だ。お初にお目にかかる。ウォーデンだ。やあ、憎きドラゴンライダー、それに我が子孫よ。はじめまして」
「……瑠衣さん」
アッシュはウォーデンを相手にせず、瑠衣にたずねる。するとウォーデンは口角を上げた。
「その男は……ジェインさん……それにセシルさんの先祖です。賢者ウォーデン。歴史の闇に消えた英雄です」
賢者ウォーデン。
アッシュの先祖である初代皇帝とともにドラゴンを守るために戦った男とされている。
だがその生涯は不遇そのものだった。
ウォーデンは少数民族の生まれであった。
貧しいながらも親兄弟と幸せに暮らしていた。
だがある日、草原で馬を捕まえたところからウォーデンの地獄が始まる。
当時、持ち主のいない馬は捕まえた場合、捕獲者の所有物になるのが当たり前だった。
今の帝国周辺ではそれに誰も疑問を持たなかった。
だが土地を治めていた領主は馬を自分の持ち物だと主張した。
ウォーデンの家族は領主と揉め事を起こす気はなかった。
理不尽だと感じながらもそれに従った。
だが領主はウォーデン一家を盗人であると糾弾した。
返却したから、おとなしく馬を返却した事実こそ盗人の証明であると主張したのだ。
さらに村までも盗人の村と言いがかりをつけた。
そしてある夜、騎士たちが村に火を放ち、村人はひとり残さず殺された。
そこまでした理由はくだらなかった。
領主は馬泥棒の賠償として、ウォーデンの姉を妾として差し出せと要求していたのだ。
ウォーデンの両親はそれを拒んだ。
ただそれだけで一族は、村人までも虫けらのように殺された。
だがウォーデンには才能があった。
ウォーデンは半死半生で森に逃げ込んだ。
そして一族に伝わる魔術を独学で身につけた。
そして十数年後、領主の一族を抹殺。
街を焼き払い、住民を皆殺しにして面白半分にアンデットにした。
そう、彼こそゼインの使った魔法の祖である。
ウォーデンはさらに八つ当たりで周辺の村を襲撃し住民を焼き殺した。
とっくに彼を認め受け入れるもの、家族はもう死んでいた。
彼は、もうそのときすでに怪物だったのかもしれない。
そして彼は財産を奪って逃亡、旅の途中で出会った初代皇帝とともに旅をした。
彼は死者を弄ぶ行為を封印し、光の魔法の使い手として振る舞った。
いつの間にかウォーデンは英雄とたたえられるようになった。
だがウォーデンは名声の陰で憎しみの深い沼にはまっていた。
どうしても許せなかった。人間という存在が。
殺して殺して殺して殺して……皆殺しにしてやりたかった。
そんな内面を隠すことはできない。
結局……露見した。
長い旅の終わりに人殺しの瞬間を見られ、初代皇帝の前から逃げるように消え去った。
ウォーデンは自身の中で起こった変化をわかっていた。
人間への憎しみが初代皇帝への憎しみになってしまったことを。
いや、皇帝だけではない。ドラゴンへも憎しみを募らせていた。
だからウォーデンは決断した。
この国を乗っ取ってやると。
ドラゴンライダーを滅ぼしてやると。
ドラゴンを世界から追い出し、人間を……絶滅させると。
世界が滅びようが関係ない。
人は、人間はウォーデンの敵だった。
だからウォーデンは悪魔になった。
かつて存在した国の民すべてを世界に捧げて。
悪魔の滅亡まで望んでいたウォーデンに破滅は訪れなかった。
森羅万象を憎む怪物。
それがウォーデンだった。
「やあ瑠衣。久しぶりだね。どうだ? 伽奈の一件は楽しかったかな?」
ウォーデンは笑顔で瑠衣に声をかけた。その顔は優越感で歪んでいる。
そうカラスの悪魔にして魔王の一人である伽奈は、ウォーデンに服従を強いられていたのだ。
「あなたが伽奈を何百年も契約を盾に縛っていたのは知っていますよ。あなたを見ていると胸がムカムカする。ええ、これが怒りなんでしょうね」
珍しく瑠衣は怒りをあらわにした。それは自分に向けた後悔だったのかもしれない。
「くくく、楽しんでもらえたようでよかった。それにアイリーンだったかな? どうだね、無能な家族に振り回された気分は?」
「どういう意味だ?」
「君らの家系は代々中央勤めの文官なのだよ。君らは中央でこそ輝く宮廷貴族だったのだ。だが初代皇帝の血族は邪魔だったので新興貴族として領地を与えてみた。多少邪魔をしたとは言え、三代で身を持ち崩すとはな! なにをしてもうまくいかない君たちの焦り、それに女として扱われなかった君の苦しみは実に美味だった!」
ウォーデンは目をつり上げて笑った。
「ぷッ!」
だがそのウォーデンを見てアイリーンは笑いを漏らした。
「なんだ。そんなことか。私は気にしてないぞ。私にはアッシュがいればいい。過去など知らん。ただ言えるのは苦しみがあったから今は幸せなのだ」
アイリーンは無敵だった。
ただ心の底から笑っていた。
もうアイリーンにはウォーデンは小さな子どもにしか見えなかった。
クリスタルレイクの子どもたちとなんら変わらない。
ただ駄々をこねているだけだ。
アイリーンの中には恐怖も怒りもなかった。