伝説の幕開け
ジェインは二人に暖かい視線を送っていた。すると青いドラゴンがやって来る。青龍だ。
「セシルが来るぞ」
青龍がため息をつくと消えてたことに誰も気づかなかったセシルがやって来る。
「お、おい、走るなって。ホントお願いだから妊婦なんだから! ねえお願いだから!」
カルロスの悲鳴が廊下にこだまし、コリンを引っ張りながらズカズカと大股でセシルがやってくる。
「兄上! うちの子をお呼びだそうで!」
着ぐるみサイズに小さくなったコリンを発見すると、ジェインはそのまま抱きつく。
「幸せ……尊い」
「ちょっと、ジェインさん。コリンくんが困ってますので離れてください」
ベルが止めるがジェインはコリンを離さない。
「やだ無理」
「ちょっと! ほら離れて!」
ベルに襟をつままれ、ようやくジェインは離れる。
セシルは指をさす。少しショックだったらしい。
「あの兄が叱られてる……」
「セシル……放っておいてあげなさい」
カルロスに言われてセシルは目をそらす。青龍はアッシュのそばに寄った。
「ドラゴンライダーよ。クローディアとオデット、それに悪魔たちも待機している。あとはお主がやれと言うだけじゃ」
セシルは腕を組んで胸を張る。
「クリスタルレイクの常連貴族もスタンバイしたぞ!」
「ああ、やろう! レベッカのお母さんを助けよう」
レベッカはアッシュの胸に顔を埋める。
「にいたん大好き!」
「うん、一緒にがんばろうな」
青龍は「ふふふ」と笑う。
「さあ、皆の衆。クリスタルレイクのお祭り騒ぎを見せてやろうぞ!」
「えい、えい、おー!」
その場にいたみんなの心が一つになる。そして会場ではアイザックとクリス夫妻がいた。なぜかアイザックの肩には小さなカラスがとまっていた。アイザックは最高に悪い顔をする。
「くくくくく。とうとう伝説級の悪魔が出てきたか。やはりアッシュさんは最高だぜ!」
カラスはアッシュたちの声を流していた。
それを聞いて悪役笑いを隠しきれないアイザックをクリスが笑顔のまま肘でつつく。
「アイザック。……もしかして爆弾持ってきてる?」
「ハニー、モッテキテナイヨ」
「まあいいけどさ。使うときはちゃんと周囲を確認するんだよ!」
「無論。なんせ俺は騎士だからな。弱きものを守るのが騎士だからな」
「不良で婿養子の?」
「そ、婿養子の不良騎士な」
そう言うと二人は笑う。
「俺たちはここの人たちをアッシュさんのところに連れて行く。人間と悪魔、その精鋭騎士の力を見せてやるぜ。クリスは盛り上げろ。世界を救うのは……たぶんお前とオデットだ」
「救う? あたしたちが?」
「ああ、そうだ。俺はドラゴンや悪魔が大好きだ。俺はあいつらと共に歩む未来が見たい。いつか生まれるかもしれない俺たちの子どもも、ドラゴンと悪魔と共に育ってほしい。クリス、お前がその未来を俺と一緒に作ってくれ」
それはアイザックが初めて口にした、未来の姿だった。今まで自分のために戦ってきた男が初めて人のために戦うことを口にしたのだ。
「おう! やるぜ! 私も見たい! クリスタルレイクみたいに混沌としてるけど、みんな楽しい場所を守りたい!」
二人は決意を固めた。
◇◇◇
セシルは会場に戻る。するとアイザック夫妻と人間に擬態した悪魔の騎士たちが出迎える。アイザックはわざとらしく膝をつく。
「セシル様。クローディア、オデット両名の準備が整いましてございます」
セシルは苦笑いした。セシルにとってアイザックは、親友であるクリスの夫で。自身の夫カルロスの相方。そしてセシル自身の飲み友だちでもある。普段からばか話をしている男にかしこまられると笑うしかない。
「卿。任せたぞ」
なんとか笑いをこらえてセシルは偉そうに言った。
「はは!」
忠臣を装いながら、セシルにアイザックはウインクする。
アイザックのこういうモテそうなところがセシルは苦手だ。
嫌ではない。むしろ好ましく思う。友人としては。
だけど決して恋愛対象にはならない。
カルロスの方が誠実だからだ。
それは単に好みの問題だ。
やはりカルロスとは出会うべくして出会ったのだろうとセシルは思った。
これからはセシルの戦いだ。セシルが手を上げると、給仕がベルを鳴らす。視線がセシルに集まる。
「諸君、ライミ卿があのクローディア・リーガンと弦楽器の名手オデットを呼んだそうだ」
ザワザワと貴族たちが声を上げる。
「なんと! 実はそれがし……ファンでして……」
「いやこれは景気のいい。さすが飛ぶ鳥を落とす勢いのライミ卿。いや驚きました」
「ライミ卿は資金力がお有りのようだ。さすが終戦に導いた英雄。恐ろしい男です」
貴族の言葉を聞いてセシルはほほ笑む。ただし内心は苦笑いだった。
アッシュが動かせる資金は多い。
だがそれは経費のほとんどが研究開発に割り当てられているからだ。
だから最先端の技術の恩恵を受けられるし、さまざまな新商品を世に送り出すことができるのだ。
アッシュだからできることだろう。
それをセシルやセシル派の貴族は知っている。
いまさら感心している連中は表面しか見てないのだ。
「さあ、クリスタルレイクの誇る大女優クローディア・リーガン一行を拍手で出迎えてくれ!」
セシルの合図で扉が開きクローディアとオデットが会場に入る。
クローディアが会場に姿を現すと割れんばかりの拍手が起こった。
貴族の妻や娘たちが目を輝かせ、流行に疎い貴族たちも心の底から感心する。
クローディアとオデットは美しかった。
クリスが率いるブランド「レベッカ」の衣装に身を包み、自信がみなぎった表情をしていた。
それはまるで物語の女神の如き姿だった。
誰が二人を飲んだくれのタヌキと駄エルフだと思うだろうか。
それほどまでに人を引きつける魅力があふれていた。
「オデット。行くわよ」
「了解です」
そう言うと二人は会場で演奏をしていた楽団の横に行く。
オデットが楽器を取り出し構える。
二人の息が整った瞬間、オデットがバチで弦をはじく。
低音が聴衆の胸を貫き、体の芯が震えた。
貴族たちは言葉を発することもできなかった。
普段、宮廷で流れている音楽ではなかった。
シンプルな力、音をぶつけられる快感。
それは新世界のエルフの村という食料すらない極限の世界から生まれた生命力そのもの。
誰も聞いたことのない音楽だった。
今までのものとは迫力が違っていた。
駄エルフのオデットとてクリスタルレイクの住民。
このステージの意味を理解していた。
オデットは戦闘も商売も政治もできない。だけど自分のできることはわかっていた。
誰も聞いたことのない音を。
新しい文化を。
新生代の価値観を。
それをぶつけるのが自分の役目なのだと。
オデットの音が心臓を貫いた瞬間、セシルに最後まで敵対していた貴族たちすら理解した。
ただ物珍しいだけではない。
セシルの圧倒的な文化力を。
世界を変えてしまうほどの力を持つこと、その恐ろしさを。
価値観の転換点。
常識がひっくり返る瞬間に自分たちがいるのだと。
「我々は……なにをしていたのだ。セシル様こそ統治者にふさわしい。勝てぬ。何があろうとも勝てぬ。アッシュだけでも恐ろしいのに……セシル様は、殿下の周りにはなにが集まっているのだ……」
タカ派の軍人である貴族がつぶやいた。
貴族の多くが能力を測る尺度が間違っていた。
重要なのは賢さや強さではない。
リーダーシップでもない。
有能な仲間を作る能力だったのだ。
セシルの周りには……いやアッシュを中心とする輪はありとあらゆるものを飲み込んでいた。
貴族、騎士、海軍、学者、芸術家、商人、農民。
それだけじゃない。
スラムの住民、不良騎士、反逆者、難民、海賊、新大陸の住民、そして悪魔。
アッシュを恐れ反発するものもいたが、だがアッシュたちに命を賭けるものはそれ以上に多かった。
もうアッシュは孤独な傭兵などではなかった。
立派な王の一人だった。本人は気づいてないがそれでも王だった。
セシルもその輪の一部だった。
臣下にはなれないが、それでもアッシュのためなら、クリスタルレイクのためならなんでもする。
セシルはアッシュとともにドラゴンを守る。
セシルはクリスタルレイクを守る。
負い目や責任からではない。
自分の子や義兄弟、なにより自分自身のためにクリスタルレイクの自由を守る。
それがセシルの目的だった。
二人の兄たちは義務感や野心のために皇位に就こうとしたが、セシルは皇帝になった遙か先を見ていた。
悪魔や新大陸、それにノーマンとも共存することを望んだのだ。
例え無駄だとしても。いつかまた争いが起きるとしても、それでもなおセシルは共存を望んだ。
セシルは満足していた。
クローディアとオデットが歌い、演奏する。
それが伝説の幕開けだった。