神という名の弱者
アッシュたちがやってきた。アイリーンもあわてて駆けつける。
ドラゴンたちは目を輝かせた。
「にいたん、にいたん!」
「レベッカ、俺は何をすればいい?」
アッシュに抱っこされたレベッカは満面の笑みで答えた。
「みんなのパパとママを解放するの!」
「パパとママ? どこにいるの?」
「お城の下。あのね、ドラゴンライダーさんになれなかったお化けがいるの! お化けがママを捕まえちゃったの!」
レベッカは手をバタバタと振った。レベッカの説明では、その場にいたものはよくわからなかった。するとアッシュの背後に瑠衣が現れる。
「その先はレベッカ様に代わって、私が説明いたしましょう。ジェインさん、あなたにも関わることです。まず、現在の皇室は初代皇帝の直系ではございません」
ジェインは特に驚くことはなかった。セシルの方が驚くほど冷静に事態を飲み込む。
「永い歴史の中ではそういうこともあるだろう。……セシル、アッシュこそが神祖の直系なのか?」
帝国では初代皇帝は神であり、その直系は神の子という設定である。本山などの宗教団体はその設定を受け継いでいる。
だが地方に行くと大きな蜘蛛や、たぬきを信仰しているところもある。特段信仰に対する取り締まりもしていない。
そういうゆるい体制のため、ジェインもセシルも自分たちを神の子だとは思っていないのだ。
「ええ。我々は皇位の簒奪者の側。先帝がアッシュの両親を殺害したのもそれが理由でしょう」
「忠臣を殺す理由としてはいささか弱いが……父ならばあり得るな。あの男は権力に固執していた。私には理解できんがな。皇帝など、そう名乗っているだけで神の子でもなんでもない。臣下に支えられねばなにもできぬものだ」
神の子として指導者の権威を演出するのはよくあること。
だがそれを信じるのは愚かなことだ。とジェインは考えている。
すると瑠衣がほほ笑む。
「皇帝になられますか?」
ジェインは首を振った。
「お断りだ。私はこれから、かわいいものを愛でる生活をする予定なのだ」
すると「ふふふ」と瑠衣が笑みをもらす。
「やはり人は最高に興味深い。悪魔には真似ができませんわ」
アッシュは瑠衣の手を握る。すると瑠衣は目を見開く。
「あの……アッシュさん?」
「最近思うんだ。瑠衣さんは俺たちとそう変わらない。泣くし、笑うし……案外表情豊かだ。俺たちはいい友人だと思う。たぶん瑠衣さんは、俺たちよりずっと長く生きる。俺の子の友人にもなってほしい。だから……卑下するな」
アッシュの言葉に瑠衣は、にこりとほほ笑んだ。
それはいつものような不自然な笑顔ではなく、とても自然な、心からのものだった。
「ええ……そうですね。アッシュ様の言うことが正しいです。……では話を戻しましょう。われわれ悪魔は人の不幸を食料に、いえ、正確には不幸がもたらす、負の感情のエネルギーを魔力に変換して生きています。われわれは小食ですので、わざわざ人間を不幸におとしいれる必要はありません。ですが、人を管理しようという一派が現れました。それが神族です」
「……では神は存在しないのか?」
ジェインはごくりとつばを飲み込んだ。セシルのような芸術家の価値観は「なんでもあり」なので神も悪魔も大差ない。
「いるんじゃね? たぶん」ですまされる。
だがジェインは真面目な男だった。さすがに自分が神の子だと思わないが、人を含む世界を作った人知を超えた存在は存在すると考えて生きてきた。
その価値観の根底がひっくり返されてしまう危機にあったのだ。
「われわれの研究では人間の言うところの【神】を発見することはできませんでした。ただ、それは神を否定する理由にはなりません。ですが神に一番近いものは存在します……それがドラゴンです」
「なるほどな……幸せを呼ぶ存在。たしかに神そのものだ」
ジェインはドラゴンを抱っこしてなで回す。ジェインとクリスタルレイク勢の理解度は全く違う。クリスタル勢はドラゴンが幸せをばらまいているのを知っているが、ジェインは「かわいいから一緒にいたら幸せ♪」という認識である。
だが、誰もツッコミを入れなかった。面倒だからだ。
「最近知ったことですが、どうやらドラゴンから対の存在として産み出されたのが我ら上位の悪魔……のようです。それ以外の悪魔の誕生方法も存在するので気が付きませんでした。その我々悪魔の中に思い上がったものたちが現れました。人間を支配し、家畜にしようとする勢力。それが神族です」
アッシュたちには既知の情報だ。だがジェインは驚いていた。
「……なるほど。だから不合理な教義で自由を制限していたのか」
「ええ。神族は人間を都合よく管理し、不幸にするためのシステムを構築しました。そのための障害になりそうな人間を排除し、都合の良い人間に社会を統治させるように動いてました。普通、悪魔はそんなにマメな性格ではないのですが……」
アッシュたちはうんうんと同意した。瑠衣にせよ、花子にせよ、専門分野以外ではいい加減で大ざっぱだ。
あまり真面目に考えるのに向いていないのだろう。
それに比べて神族はあまりに執拗だ。
「そして、神族の人類支配の先兵が現皇帝……いえ、ほぼ全ての国の首脳です。彼らは各地にドラゴンを封印し、悪魔を狩り続けてました。人間の悪魔討伐に紛れ込んでの不意打ち。成功例は少数ですが、守っているドラゴンを封印されてしまう被害が相次いだのです」
ジェインは額にしわを寄せる。
「時系列がおかしい。この子たちはまだ小さい子のように見えるが」
「小さいですよ。レベッカ様のお母さまが封印されたのはアッシュ様と出会う一カ月ほど前ですから。他の子たちも同じです」
「新大陸に封印されていたのでは? どうやって新大陸に行って封印したのだ?」
「悪魔には私たちと同じように空間を操作するものがいます。やつは子竜をさらい、女王様を封印しました」
「なぜいまさら? 初代皇帝の時代は何百年も前の話だ」
瑠衣は目を細めた。
「先代の女王様。レベッカ様のお母さまはこの世界での使命を終え、渡りの準備をされてました。他の世界に渡り、幸せを運ぶ存在。その隙を突かれて封印されてしまいました」
「なるほど、ではその悪魔は何者だ?」
「皇位を簒奪し陰で操っていた男……ジェインさんのご先祖を皇帝にした男。魔道士ウォーデンです」
ジェインはその名前を聞いて黙った。するとアッシュが瑠衣の前に出る。
「それはいったい誰なんだ?」
「神族の中でも最悪の存在です。人間から悪魔に生まれ変わる方法を発見した天才。その人間らしい手腕で数百年かけ貴族を懐柔し、支配し、操り、国を支配する勢力を作り上げました。私が気が付いたときにはすでに手遅れ。皇位を簒奪されてました。そればかりか神を自称し、自分たちの存在に不満を持つ悪魔を懐柔し神を名乗りクルーガー帝国に……いえ世界に神として君臨しました。本山の悪魔たちはウォーデンの手先、いえ、その自覚もなかったのかもしれません。自分の存在を見失った悪魔を取り込むのがウォーデンの手です」
アッシュが疑問を投げかける。
「ちょっと待って……悪魔って、瑠衣さんのように子どもを育てまくったり、おばちゃんみたいに全寿命を演劇に捧げていたり、伽奈さんやカラスの人たちみたいに職人やっていたりとか、とにかく悪魔ってなにかをやっている印象なんだけど」
瑠衣はアッシュの顔を見つめる。
「そうですね……アッシュ様はそう思うでしょう。でもほとんどの悪魔は、自分がなぜ生まれたのか? なんのために生きるのか? なにをすればいいのか? それがわからないのです。人間と同じですよ」
驚くアッシュの肩にそっと手が置かれた。アイリーンだ。
「アッシュはわからないかもしれない。ずっと奴隷として戦場を歩んできたし、クリスタルレイクについてからもいろいろ大変だった。誰もがアッシュを頼っていたし、気が付いたら侯爵にまでなっていた。考える暇もなかったと思う。でもな、私は悪魔と同じなんだ。自分のことがわからなかった。いや、アイザックもカルロスも同じだと思う。誰にも期待されず、自分が何者かわからず、ただ漫然と私の世話を焼く日々を過ごしていた。ベルだって同じだ。でもなアッシュ、アッシュに会えたから私は自分を見つけられた。クリスタルレイクに居場所を見つけられた。それはセシルも同じだと思う。ああ……そうか……みんな悪魔と同じなんだ。自分の居場所を見つけられなかった私たちがたくさんいるんだ」
アッシュは本当の意味で理解できてなかったかもしれない。だが、居場所がないというつらさはよくわかった。
「瑠衣さん、どうやったら人間は悪魔になるんだ?」
「人間が悪魔になるには、この世の理からはじき出されることが必要です。魔術の真理を見つける。そうですね。賢者の石を作るくらいでしょうか。私も作れませんのでこれは仮の話です。それと……現実的な線では大量殺戮。数万人の生け贄を世界に捧げると、世界が存在を人間ではなく、人間の天敵とみなすのです。このアイデアは幾人もがたどり着きました。ですが、実行、本当にやってしまったのはそう多くありません。前に戦ったネクロマンサー、ゼインは動く死体を使ったごり押しを得意としてました。生と死を操るゼインは、実力以上の真理にたどり着いてしまった。おそらく……運もあるのでしょう。そういう存在が神に……いえ、この世の理に生け贄を捧げたとき、人間から悪魔に。人間の天敵になることができるのです。そして悪魔になった人間のほとんど、ごく少数の例外を除いては悪魔の実態を知って絶望し、破滅する。実に愚かなことです」
瑠衣は下を向いた。人間の中でも、人間を滅ぼしたいと思う不幸な存在。誰よりも人を憎む存在だけが悪魔になることができるのだ。
だがそれはシステムの欠陥だった。悪魔は人間と手を取り合うしかない。
人間の天敵であれど、人間がいなければ存在もできず、永遠にも思える生に意味を持つこともできない。
いや……もしかすると罰なのかもしれない。
悪魔が捕獲し損ねた悪。いや悪ですらない。
ただ、弱かっただけだ。
戦場で名を馳せたとしても、兵士や騎士とは違う。
任務でも名誉でもなく、自分のための人殺し。
そこにあるのは他者への恐怖。
どうしようもなく弱い心。
弱いから人殺しになるのだ。
人殺しだけが存在理由だった哀れな存在に人と手を取り合うことを強制するなんて。
なんて愚かなことだろうか。
もっと速く捕獲して地獄に送ってやればよかった。
そうすれば、人として終わることができたのに。
だから瑠衣はゼインに、いや、人間から悪魔になったものたちを気にかけた。
助言も直接手を差し伸べることもあった。
だが、その思いが届いたことは一度もない。
みんな一様に破滅を選び、壊れていく。弱いからだ。どうしようもなく彼らは弱いのだ。
瑠衣にできることは、人間を滅ぼそうとする不幸な人間を生み出さないことだけ。
だから瑠衣は親のいない子どもの親になる。
親になって人生を選ぶ年齢になったら、人間の群れに返す。
人として生きられるように。人間を憎まないように。破滅に突き進まないように。
あるものは人間の社会で成功し、あるものは破滅した。
その思いを表現することはできない。冷たい言い方しかできない。それが蜘蛛だ。
不器用かもしれない。でもそれしか瑠衣にはできなかった。
そして瑠衣の前には強者が、強者たちがいた。
運命に逆らい自分の人生を自分で選んだものたちが。
「瑠衣さん。わかった。アッシュ、やるぞ」
「ああ」
アッシュはアイリーンの手をそっとつかんだ。
ドラさび最終巻7月発売予定です。
それに合わせて完結いたします。がんばるぞい!