慰労会
火龍と契約した英雄。セシルの即位は民衆の中で確定した。
兄たちもセシルと争う気はない。
兄たちの派閥を支える貴族たちも戦意を喪失していた。
完全勝利と言えるだろう。
だがセシルにとってはその勝利はむなしかった。
かなわないと思っていた兄たちのイメージがガラガラと崩れたのも一因かもしれない。
葬儀はあっと言う間に終わった。
雑事は貴族たちが先を争って手配してくれたし、召し使いの手際も非常によかった。
手伝いをしてくれた貴族たちへの恩賞や墓の手配は兄がやってくれた。
あとは相続くらいだろう。
それでも疲れることばかりだった。
人の死というものは思ったよりも簡単なことではなかった。
セシルはそれをかみしめていた。
身内が死んだので悲しいことは悲しい。
アッシュというかわいい弟分の仇。最後は誰かに殺されたという自業自得、それでもなお身内だったのだ。
だが、やることが多すぎて泣く暇はなかった。
「もうすぐ母になるのだから……強くならなければならないのだろうな。この子を世界から守らねばならないのだから」
そうセシルは心に誓った。
つい数週間前まで『最後の手段は新大陸への夜逃げ』と本気で考えていた。
この心境の変化は進歩に違いない。
そこまで心の内を整理すると、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
セシルは夫がいることも、妊娠中である事も、貴族たちには隠さなかった。開き直ったとも言う。
だが……。
「たとえ貴女に子どもがいようとも私は貴女を愛してます」
それは昨夜開いた慰労会でのことだった。
セシルの好みと真反対の濃い美形が言った。
何代か前の王族が興した公爵家の当主。確か30代前半だろう。
「ええーっと、貴公は……たしか……」
名前が思い出せない。さすがにほとんどの貴族の顔は記憶しているので、彼は有力な貴族ではないだろう。
「リック・クロフォード男爵です。ごあいさつを」
その美形がヒゲを手の甲に近づけた。
セシルの手に鳥肌が立つ。だがここでキレるわけにはいかない。我慢した。
「……貴公も最近まで妾のことを男だと思っていただろう?」
イラついたためか『妾』で舌をかみそうになる。まだ偉そうな言い方に慣れない。
そもそもこのタイミングで言ってくるというのは致命的なまでに情報収集不足だ。
表向きセシルは、カルロスを夫にすることで海軍を手に入れたことになっているのだ。
だから誰も反対してない。それに賢い貴族はカルロスを養子にして提督に恩を売ろうと画策するもの。またカルロスの後ろ盾になってセシルに恩を売ろうというものたちまで入り乱れて策謀をめぐらせていた。絶対にこっちの方が正しい。
クロフォードがやっているのは、海軍にけんかを売るのと同じである。
「愛とは突然振ってくるものです」
セシルはカルロスに視線で助けを求めた。
だが……カルロスはすでに鬼のような顔をしていた。まずい。
「あ、あのな。夫が見てるからな。そういうのは自重してくれ」
「ふ、準男爵程度の家柄。私がその悲劇から救い出して進ぜましょう。おい貴様! 我がいとしのセシル様を解放しろ!」
クロフォードはビシッとカルロスを指さした。
そのとき、クリスタルレイクに入り浸っている貴族たちは思った。
((あ、あいつ死んだ))
クリスタルレイクには悪魔と戦える人間が四人いる。
一人はアッシュだ。救国の英雄にして戦場の伝説だ。戦う気も起きない。
もう一人はガウェイン。こちらも伝説の騎士だ。こちらも戦うのがバカらしい。
そしてもう一人がアイザック。騎士を輩出する名家の中でも最強の男にして戦闘狂。しかも男爵家の婿養子になったのだから、立志伝中の人物である。なぜこんな逸材が埋もれていたのかがわからない。(埋もれてた理由:せっかくエリートコースにいたのにカルロスと一緒に騎士学校を追い出されたから)
最後にカルロス。元武僧で聖騎士にして海軍所属の船長。忍者という噂もある。もはや意味がわからない。何度も死ぬような目にあってるが生き残っている。一番恐ろしい使い手だ。しかもバックには海軍がついている。個人の強さと帝国最強の戦力を兼ね備えた戦闘マシーンである。
この四人は誰もが悪魔と戦って生き残った英雄だ。化け物なのだ。
それに喧嘩を売るなんて命知らずと言えるだろう。
「クロフォード卿。命がおしければやめておきなさい」
初老の貴族が割って入る。完全に善意である。クロフォードが死なないように止めてやったのだ。
だがクロフォードは勘違いする。
「ふふふふふ、よほど海軍が怖いとみえる。だが私は下賎の血が流れる準男爵など恐れはしない! 私は貴族なのだから! さあ、決闘しよう!」
(まずいことになったなあ)
と思ったセシルの目にアイザックの姿が飛び込んできた。
笑っている。最高にいい笑顔だ。
けんかがしたくてしたくてしかたがない顔だ。
セシルはアッシュを凝視する。
アッシュは演劇好きの夫人たちに囲まれて困った顔をしていた。
「失礼。セシル様のご用命のようですので」
アッシュはぺこりと会釈しその場を離れ、カルロスのところに行く。
それはごく自然で美しいものだった。ずいぶん貴族らしい物腰が身についてきたようだ。
アッシュはクロフォードとカルロスに割って入る。
「クロフォード卿、私がメディナの後見人のライミです。彼に対する苦情は私が受け付けましょう」
「ふ……お聞きましたぞ。なんでもライミ卿は奴隷出身だとか? そこなるカルロス・メディナとお似合いだな!」
クロフォードはわざと聞こえるように言った。最大の侮辱だろう。
だがアッシュはごく自然体で流した。
「それがなにか?」
「は?」
「私がかつて奴隷であったのは事実。そのおかげで帝国に奉仕し、セシル様やアイリーン嬢を守る技術を手に入れました。恥じる必要がどこにありましょうか?」
(勝った!)
セシルは心の中で拳を握った。
アッシュは涼しい顔をしていた。
人間の格が違う。セシルはそれを感じていた。
いやセシルだけではなかった。
クロフォードを擁護できるものは誰もいなかった。
セシルは満を持してアッシュとカルロスの元へ行く。
「クロフォード、アッシュは妾の剣だ。もちろんカルロスもな。それにアイザックも。我らは帝国を、いや帝国民を幸せにすると誓った同志だ。貴公に生まれだの奴隷だったのとさげすまれるおぼえはない。いいかクロフォード、私の同志への言葉は私に対しての言葉と心得よ。次はないぞ」
「ぐ……ですが!」
「クロフォード。父の葬儀が終わったことを慰労する場で、忠誠を誓う貴族に恥をかかせるわけにはいかぬ。どうか頭を冷やしてはくれないか?」
セシルの口調はあくまで優しかった。
それに寛大だった。それほどまでにクロフォードは失敗した。その場でアッシュに斬られてもしかたがなかったほどだ。
だがそれでもセシルはクロフォードの罪を不問にした。
一部には弱腰だと批判されるかもしれないが、それでも最良の対応だった。
「……くッ」
クロフォードはカルロスをにらむと立ち去る。
アッシュをにらまなかったところに小物感があふれている。
「みんな、すまなかったな。私がしっかりしないとな」
「いえ、私が助けますよ」
アッシュがほほ笑む。
このとき貴族の中でアッシュの評価は高まった。
評判通りの大物であると。武人の中の武人であると。
((恐ろしい男だ……))
セシルの派閥ですらも固唾を飲んだ。
ちなみに貴族のご婦人たちはアッシュの姿に妄想を加速させていた。
((やっぱ筋肉もいいわー! これはお芝居になるわー! キャーッ!))
……このときの様子はすぐにお芝居の演目になったのである。
さて、そのときクリスタルレイク。
「お友だちがお城で待ってます!」
レベッカがドラゴンたちに言った。
「「あい!」」
ドラゴンたちは整列している。
「にいたんの合図でお城に行きます!」
「「あい!」」
ドラゴンたちはピョコタンピョコタンとはねている。
「封印を解きます!」
「「あい!」」
こちらもやる気を出していたのである。