火龍のお披露目
テラスから広場に集まった市民を前にしてセシルは心を落ち着けた。
その美しさに市民は固唾を飲んだ。
喪服姿のセシルはまるで、物語から出てきたかのように優美だった。
後ろにひかえる海軍の男も絵画の如き男前に見えた。
市民たちはドキドキと胸を高鳴らせた。期待せずにはいられなかったのである。
そのセシルはというと、自分の姿が服と演劇的演出によって作り出されたものだと自覚していた。
だから緊張はしない。これはクローディアの芝居と同じなのだ。
本来、セシルは演説をする立場にはない。兄は二人とも壮健だ。セシルの出る幕などない。
演説が必要となる軍事をセシルに任せようという人間はいなかったし、セシルも文化関連の仕事をしている方が楽しかった。
だが、もう代わりはいないのだ。悪魔や新大陸の住民とのコネクションを持っていて、偽りの家系と言えど皇帝の直系はセシルだけなのだ。
セシルは覚悟を決めると、演劇のように観客に訴えかけた。
「私はセシル。前皇帝の第三子にして炎竜コリンの契約者だ」
ある意味有名人であるセシルの登場でどよめきが起こる。
「おい、セシルってあの白塗りお化けかよ。なんで女の格好してやがるんだ?」
「男じゃなかったっけ? つか、なんだあの美人!」
「しゅてき……」
ただ、そのどよめきはセシルが女性であったことというよりは、美しい喪服を身に纏ったセシルへのどよめきである。
セシルの装いは群衆を圧倒した。
貴族たちはもうなにも言わなかった。
もしかすると法を盾に差し違えることはできるかもしれない。
だがそこまでする利益も気力もなかった。
「今日、私は父へのはなむけとして炎竜を皆に披露したい!」
さらにどよめきは大きくなる。
「おい、炎竜ってどういう意味だよ」
「また白塗りお化けがなにかやるのか? おもしれえ!」
「あいつ、クローディアの芝居小屋を燃やしたって話だぜ。どうせまた芝居だろ?」
などと言葉は悪かったが、みな期待していた。
良くも悪くもサプライズが多いのがセシルなのだ。
「コリン! おいで!」
セシルが天を仰いだ。
すると巨大な羽音がしてくる。
市民たちはその音の方、近づいてくるなにかを見つめた。
それはドラゴンだった。
想像していた緑色のトカゲとは違う。
赤い毛の生えた巨大な物体が超高速で飛んでくる。
「ぎゃおー!」
……少し迫力には欠けるがコリンは吠えた。
市民は度肝を抜かれた。
コリンは帝都の城門の前にバッサバッサと羽を鳴らしながら降り立つ。
そのときだった。ドンッと音がした。おまけにバキッという音も。
「きゅう?」
城門の前はコリンを出すためにあらかじめ空けてあったのに、誰かが馬車を置いたのだ。
馬はコリンを見てすでに逃げていて、コリンは空の馬車を踏み潰してしまった。
「あぎゃ?(あ、いけない)」
すっとコリンは足を引く。
どごん。違う馬車を踏んでしまった。
コリンは固まった。あまり運動は得意ではないのだ。
いいのか悪いのか? 怒られないか?
コリンは困った顔で宮殿のテラスを見つめた。
「コリン……どうしたの?」
セシルがカルロスを見た。
カルロスは冷や汗を流していた。
「あれは馬車を踏んづけて困っている顔だ」
「もう、あんなの壊してもいいのに! コリン! がんばって!」
「そうそう、馬車は気にするな!」
セシルとカルロスが応援するが、遠すぎてコリンの耳には届かなかった。
コリンはとりあえず「あとで持ち主に謝ろう」と心に決めてさらに飛ぶ。
打ち合わせでは、まず門の前に出てから広場に着地する予定なのだ。
広場にはコリンの着地地点が設けられていた。
そこ目がけてコリンは飛んでいく。
「いっけー!」
カルロスの声とともにコリンが着地した。
(ふう、なんとかなった)
まだ飛ぶのになれてないためコリンは安心した。
今度は被害はない。
一方、市民たちは固まった。
伝説の獣がいきなり自分たちの前に現れたのだ。
コリンの目をじっと見る。
まん丸の目でじいっと様子を見ている。
尻尾がパタパタと揺れる。
ここで、なんとなく市民たちは思った。
(あれ……安全なんじゃね?)
だが次の瞬間、尻尾がボコンと家に当たる。
コリンは振り返ってただひたすら悲しそうな顔をしていた。
コリンは他のドラゴンと同じように悪意はない。
基本的にはぼけーっとしている。
年長のドラゴンとして、犬人族の戦士としてやる時はやるが、それでも皆が思っているような怖いドラゴンを演じるのは無理である。
市民たちの一部はその空気を感じ取ったのだ。
そんなコリンに小さな子どもが近寄っていく。
「きゃあああああああ! 危ない!」
まだ危険だと思っている母親が叫び声を上げた。
コリンはしゃがみこむ。
子どもはコリンの足に抱きつく。
コリンは子どもをじいっと見ている。
子どもは大喜びでバンバンと叩く。
それでもコリンは微動だにしない。
ただニコニコしていた。
「お、おい。安全なんじゃ……ねえか?」
「そ、そうみたいだね?」
「なんだ大人しいじゃねえか」
大人たちは好き勝手なことを言っていたが、子どもたちはうずうずしていた。
みんなコリンで遊びたくなったのだ。
母親が来て子どもが引き剥がされる。コリンは手を振る。
コリンは宮殿に歩いて行く。
もう誰も恐れなかった。やや巨大なゆるキャラだと思っていた。
「セシル……ずるいぞ」
セシルの後ろでひかえていたジェインがぼそっと言った。
「貴様だけもふもふしていたとは、あとでもふらせるのだ」
「兄上……、コリンはうちの子です」
不毛な会話がされているとは思わず、コリンはテラスの前に来る。
「市民たちよ! 彼が火龍だ!」
市民たちが割れんばかりの歓声を上げる。
セシルはおとぎ話に出てくる初代皇帝の再来ではないか。
クルーガーの守り神がようやく現れたのだ。
そう皆は思っていた。
このお披露目によってセシルは女帝への階段を上がることになる。