次男はこうするしかなかった……
話は少し遡る。
第二皇子ヨハンは実に聡明だった。
悪党であるが、謀略戦を仕掛けるだけの知性も知識もある。
机上のものとはいえ軍事にも詳しく、経済にも明るい。
自分の派閥を作るだけのコミュニケーション能力もあり、話術と駆け引きも心得ていた。
ただ人間性だけが人の上に立つものとしては残念だっただけである。
そんなヨハンは先帝の死によって正気に戻った。
戻ってしまった……。
そう、今まで気づくことのできなかった事項に気づいてしまった。
ノーマンとの戦いは詰んでいた。
バカな指揮官が兵を殺し、国土を疲弊させ、民を飢えさせた。
唯一勝利を続けた海軍を軽く扱い、大商人の横暴まで許してしまったのだ。
そのことを先帝が死んだ瞬間、自覚した。
すぐにヨハンは記録を読みあさった。
巧妙に偽装されていたが、どう考えても詰んでいた。なのに勝利していた戦場がいくつもあることに気づいた。
そして少数の資料の中に同じ名前を見つけたのだ。
【甲冑潰しのアッシュ】
戦場で伝説となった傭兵の名前だ。
なんでも奴隷上がりらしい。
(なぜそんな英雄をわが国は捨て置いたのだ! 爵位を与え宣伝に使い倒せばいいではないか!)
そして別の資料を見つけた。
甲冑潰しのアッシュがアイリーン・ベイトマンの庇護下にいるとの報告書である。
(またあの毒婦か!)
ヨハンの胃がキリキリと痛んだ。完全にストレス性の胃炎である。
そして胃の痛みのおかげか全てが一直線につながった。
(ベイトマンが庇護しただと……それはライミだ。ライミ侯爵が甲冑潰しのアッシュなのだ……なぜそんな名家の跡取りが傭兵なんかに! 父上だ! きっと父上が余計な事をしたのだ! 父上はなんということをしてくれたんだ!)
気づいた瞬間、恐怖で膝が震えた。
自分の人生が知らない間に完全に終わっていたのだ。
自分だったら、皇族を一人残さず殺すだろう。
いや皆殺しにしないようなやつがいるはずがない!
もうヨハンにできるのはなるべく苦しまないように殺してもらうことだけだった。
アッシュへの恐怖でさらに思い出した。
「たしかライミは……セシル派だ……海軍も……セシル派……あはははは。終わった。完全に終わった。そうかセシルは命乞いをしてライミの旗下に入ったのか……ずるいぞ!」
ヨハンはどこまでも自身の価値観でしか見ることができなかったのである。
ヨハンはジェインにこのことを報告した。
悪党であっても血を分けた兄弟である。
意味もわからず抹殺されるのはしのびなかった。
「兄上、ライミが殺しに来ます。やつこそ【甲冑潰しのアッシュ】その人でございます!」
「ほう、この報告書によるとライミは救国の英雄のようだな。勲章を用意しよう」
「兄上、なにをのんきな! 父上はやつの両親を抹殺し、奴隷として売り払ったのです! 復讐のためにセシルと手を組んだに違いありません!」
「ならば謝罪して誠意を見せねばな。と言っても私は国を代表する立場ではない。この首で許してもらえるだろうか」
「兄上、なにを弱気な! われらの知恵を合わせればどうにかなりましょうぞ! いっそセシルを毒殺すれば……」
ジェインは眉をひそめた。
「無駄だ。相手はノーマン軍三万を一人で倒した男ぞ。そんな小手先の手を使うくらいなら、私は素直に彼らと話してみようと思う」
ジェインはそう言って覚悟を決めた顔をしていた。
さすが堅物。真っ正面から運命を受け入れるつもりなのだ。
(だめだ話にならない!)
だがヨハンにもこの状況を打開できる策はない。
どちらにせよ、もはやヨハンの人生は終わりなのだ。
そして現在……ヨハンは……。
「ふはははは! セシルよ俺はもうこの部屋から出ないぞ! 殺すなら殺せ! 命が尽きるまで立てこもってくれる!」
引きこもることにした。
ヨハンが部屋から出てこない。
セシルはそれを聞いてドッと疲れた。
もとより向こうが自分たちを害する気がなければ、なにもする気はない。
この非常時だ。皇帝はあきらめてもらうことになるだろうが、それでも殺す必要などないのだ。
前皇帝の子である三人はアッシュに償う必要はあるが、アッシュが命を差し出せというはずがない。
「兄上、ライミは命を取る気などありません」
「嘘だ! 俺を殺す気だな!」
セシルはアッシュを見る。
アッシュは無言でうなずくと声を出した。
「セシルのお兄さん。皇帝は悪いやつだったが、もっと悪いやつがいる。このままじゃ世界が危ない。手を貸してくれ!」
「……」
無言。
ヨハンはもうなにも言わなかった。
「実の兄とはいえ、ふがいない。アッシュ、放って置こう。外に出てパフォーマンスに移るぞ。兄上、テラスから私たちのやることを見てください」
セシルたちはヨハンを置き去りにして外に出る。
外では騎士たちが貴族の奥方たちと押し問答をしていた。
「あのステキな方は誰?」
「ねえ、ねえ、あの喪服の女性は誰かしら? あのステキなドレスはどこの作品?」
口封じされているのか騎士たちは困った顔をしている。
セシルは騎士たちの後ろから出ると、一番必死そうだった夫人の手を取る。
「クリスタルレイクの淑女亭という服飾店に作らせたものですよ。バーク伯爵夫人。私の顔をお忘れですか?」
「え? え? え? ま、まあ! まさかセシル様!? いったいどういうこと?」
「先帝に男装を命じられていたのです。今まで言えずすみませんでした」
「あ、あら、そうですの。気づきませんでしたわ」
「今日から女性として生きることを許可されました。今まで日陰者だった夫も喜んでくれるでしょう」
「ま、まあ! 夫! ええ、どなた」
夫人はセシルにかぶりつく。
最高の話題である。
これを逃す手はない。
「マルコ海軍提督の子息で、カルロスと申します。さあ、カルロスご挨拶を」
カルロスは精一杯の笑顔で挨拶をする。
歯などキラキラと輝かせ。爽やかそうにしている。
「カルロスでございます。お見知りおきを」
「まあまあまあまあ!」
夫人の鼻息が荒い。
本当ならスキャンダルであるが、セシルもカルロスもあのクローディアの舞台に立ったものたち。
その立ち姿は服の効果も相まって最高に美しかった。
普段はやや残念な生き物である二人はいまこの瞬間、超絶美男美女に見えたのである。
愛し合う二人。だがその前に立ちはだかるのは身分差、それに男装を命じられ、男として生きてきたという運命。
燃え上がる二人の愛。
もう誰も止められるものはいなかった。
そして皇帝の死によって二人は結ばれ、永遠の愛を誓う。
夫人はその迫力になぜか脳内で、妄想、いやドリームを膨らませた。
そうこれこそクローディアのレッスンの成果なのだ。
よく見ると夫人に付き添っていた数人も同じドリームを見たようだ。
「しゅてき……」
「どうされました? 夫人……」
「い、いえ、なんでも! 素晴らしいお話ですわ。わが家はセシル様を陰ながら応援しております!」
鼻息が荒くなった夫人の目は燃えていた。
よく見るとお肌がツヤツヤしている。
夫人は目を潤ませながらどこかに去って行く。
置いてきぼりになったセシルはつぶやいた。
「なあなあ、夫。なにがあったと思う?」
「奥さんよ。聞くな。まったくわからん」
「まあ、悪い反応じゃなさそうだからいいか。そろそろコリンくんを呼ぶぞ」
「わかった。コリンくんの晴れ舞台を帝都の連中に見せてやろう」
二人は手を取る。
広場は人でごった返している。
見せるなら今なのだ。
火龍となったコリンの姿を見せるのだ!