長兄
それは美しさと気高かさを兼ね備えた喪服だった。
セシルは女性の姿で宮殿に現れた。
服は黒のドレス。それはヒゲも白塗りもない。本当の姿。
道化のようなわざとらしい歩きもない。
ただ父を亡くした娘として葬儀におもむいた。
彼女がセシルだとはわからない姿だった。
だが貴族たちはざわついていた。
共として後をついていくアッシュたちの姿を見て、彼女がセシルだとわかったのだ。
そしてセシルの手を取って先導するのは海軍の礼服に身を包んだカルロス。
後ろにはセシルを守るように腰に剣を差し、礼服を着たアッシュとアイザックがひかえる。
さらにその後ろには礼服に身を包み、海軍旗をふりながら行進する海賊たち。
それにアイザックの実家であるクラーク家の騎士たちが完全武装で警備をしていた。
最初にセシルの姿を見て貴族たちは驚いた。
セシルを失脚に追い込もうとすら考えていたのにもかかわらず、騎士たちを見て貴族の大部分は邪な考えを捨てた。
騎士たちが着ていた鎧。それは何十年、何百年も前に失った貴族たちの家宝だったのだ。
記録だけは残っている伝説の宝具の数々を悪魔を滅したはずの家宝をなぜか桃龍騎士団が着用していた。
その瞬間、古い家柄の貴族たちのほとんどは負けを認めるしかなかった。
悪魔に負けた家には必ず伝わっているのだ。悪魔とは戦うなと。
悪魔を仲間にしたのか、それとも悪魔に打ち勝ったのか。
どちらにせよ化け物に違いない。
ここでセシルの旗下に入っても今さら利益はないだろうが、敵に回れば名誉も命も失うだろう。
新しい貴族たちはキョトンとしていたが、彼らは皇族の跡目争いには縁がない身分だ。
だが新旧の違いなく貴族たちは不思議な感覚が自身からわき上がるのを感じていた。
今までなら女帝など許してはおけなかった。
だが今では、そう、皇帝がこの世を去ったあのときから貴族たちは不思議なことに古い因習の鎖から抜け出していた。
女帝への嫌悪感も、ノーマンへの憎悪も消えてしまったのだ。
まるで、今までなにものかに操られているようだった。
一方、宮殿を警備していた騎士たちは怯え、膝が震えていた。
桃龍騎士団の中に死んだはずの騎士が何人もいるのだ。
その正体は公式には死んだことにした悪魔たちである。
「い、一体……なにが……」
騎士がつぶやいた。
なにかとてつもない事が起こっている。それだけはわかった。
カルロスに先導されたセシルは宮殿に入っていく。
入り口には背の高い金髪の男が待っていた。
真面目と評価される第一王子、ジェインである。
セシルたちが宮殿に入ると、門がしまった。
外から様子をうかがうことはできない。
セシルは兄をしっかりと見据えた。
「兄上、このセシル。参上いたしました」
「セシルは弟のはずだが……いや、そんな小さなことはどうでもいい。なぜ貴様は今さら女だと言い出した? 私の知っている貴様ならもっと上手く立ち回ったはずだ」
ジェインは不機嫌そうな顔をしていた。
いや違う。威嚇である。
そんなジェインにセシルはほほ笑んだ。そこには怒りも反発心もない。
母にならんとする強さがそこにあった。
「この国に危機が迫っているからですよ。兄上は戦争の原因を知っておられますか?」
「数百年前からの領地紛争。それが通説だ」
「違います。帝国と共和国の戦争を望むものがいるのです」
「ふむ。昔からある陰謀論だな。そんな説を持ち出すからには証拠があるのだな?」
「ええ、あります。いくらでも」
「ならば証拠を見せよ。証拠がさえあれば貴様の罪も何もかも許し、私も貴様の旗下に入ろう」
「では……先に注意を。絶対に攻撃をせぬように」
「勝てぬのはわかっておる。その大男……いや、ライミ侯爵よ。お前一人で我らを滅ぼすこともたやすいのだろうな……なぜか父上が隠れてから気づいたのだ。これまでは、まるで頭にもやがかかっていたかのようだった。今になって貴様の活躍が頭に入るようになった。なぜ我らはこんな重要な事を見逃していた? 貴様のような英雄の存在になぜ誰も気づかなかったのだろうか? どうしてセシルだけが貴様に気づいたのだ?」
アッシュは困った顔でセシルを見た。
セシルはうなずくと、アッシュの代わりに答える。
「まず……先代ライミ夫妻を殺害したのは……殺害する命令を出したのは父上です」
「無敵の力を持ち、初代皇帝の時代から別格扱いだった武勇の名家、ライミ家のものを殺せるものがいるものか! ……だが、それすら忘れていたのだ。いや、忘れていたのではない。知識が結びつかなかったのだ。私は怖い。いったいどんな恐ろしい陰謀が裏で行われていたのだ!」
「聞けば気分が悪くなるような卑劣な手段で、です。それが父を操っていたやつらのやり方です。では兄上、我が友たちをお見せいたしましょう! さあ、本当の姿を見せてくれ!」
セシルの合図と共に、悪魔たちが元の姿に戻った。
ジェインを守っていた騎士たちは腰を抜かし、ジェインも呆然としていた。
「絶対に攻撃はしないでください。ここの警備では彼らに傷一つつけることはできませんが、彼らは友人なのです。彼らは伝承にあるような化け物というわけではなく、我らと同じ生き物です。遙か昔から人間と共に生きてきた古い種族、善なるものとでも言いましょうか」
セシルは悪魔と言う言葉を使わず、わざと誇張した。だが間違ってはいない。ドラゴンや悪魔は人間に比べれば善と言えるだろう。
「善なるものか。なのにどうして我らは恐怖している? なぜこれほど恐ろしいのだ!」
「彼らは我らの天敵として創られたものたちです。ですが小食かつ、食事は罪人の不幸のみ。知能も我らより高く、我らのような邪な心もありません。尊敬を持って友人として接すれば恐れることはありません」
「ふ、ふふふ……。私は間違っていなかった。帝位を継ぐことが出来るのはセシル、貴様だけということか。私は彼らや人間を超えた力を持つライミを恐れるべきなのかな?」
「いえ兄上、ライミはクリスタルレイクでも特に安全な生き物です。それに私にとっては弟みたいなものです」
「弟か……仇の子である私には、ライミを弟にする勇気はないな」
「ライミは仇である前皇帝にすら報復しなかった男です。それにライミが私に刃を向けたとしたら、仕事をすべて押しつけてやりますよ」
「私には貴様のような勇気はない。貴様……いや、勇気ある妹よ。どうかこの国を継いでくれ。これからこの国は……いや、この世界は変革の時を迎える。人と人以外のものが入り交じる世界になるのだ。もう……お前にしかこの国の舵取りはできん」
「兄上、私は新大陸を正当な持ち主であるライミに返そうと思っているのですよ。それでもいいのですか?」
「ふ……なにものかに操られていたことすらわからなかった我らには、管理をする資格などない。ライミに渡せばいい」
するとジェインは震える膝でアッシュに近づいていく。
そして目の前に立った。
アッシュとの身長差があまりにもあったせいで、ジェインはアッシュに見下ろされている。
「ライミよ。私が憎いか? この場で殺したいか?」
「いいえ。あなたが殺したわけではない。それにセシルの子から伯父を取り上げる気はありません」
「え? 子ども」
ジェインはセシルの方へ振り返った。
その顔は驚きで歪んでいた。
「あー……えっと、私の夫」
セシルはカルロスを前に出す。
カルロスは膝を落とし、片方を自身の胸に当て、もう片方の手を前に差し出した。騎士風の礼法である。
「そうか、その方が夫か。海軍には父がすまないことをした。……今ならわかる。なぜ戦勝貢献者である海軍にあのような仕打ちをしたのか。何者かは戦争を長引かせたかったのだな」
「恐縮です」
「セシルよ。ヨハンに気をつけろ。やつはまだ戦争に囚われている。やつは貴様を殺すつもりだ」
ヨハンは小狡い悪党とうわさされる第二皇子である。
「兄上、ありがとうございます。でも大丈夫です。これから私たちはこの宮殿の封印を解きます」
「封印?」
ジェインが疑問を口にした瞬間、なにかがズボンを引っ張った。
下を見るとなにか小さな生き物がいた。
「うわ!」
「こんにちは」
緑色のドラゴンだった。しっぽをふりふりしている。
「彼らはドラゴン。この国を邪悪なものから守っていた存在です」
ジェインはその場にしゃがむ。
そして高い声を出す。
「こんにちはー。セシルのお兄ちゃんですよー♪ ちゃんと挨拶できるんでしゅかー♪ えらいでしゅねー♪」
ズルッとセシルがコケた。
「あ、兄上えッ!」
だがジェインはドラゴンをなで回す。
そして必死な顔でセシルの方を見る。
「セシル……この子を俺の跡継ぎにする!」
その目は本気である。
「兄上ぇ……」
そんなセシルの肩をカルロスはポンと叩く。
「なにを言っても無駄だ。ベル姐さんと同じタイプだ」
「そんな……兄上が独身を貫いている理由って……」
セシルは、今まで疎遠だった兄たちのことを知らないという事実に気が付いた。
「そうか……私も逃げていたのだな。家族から」
カルロスはそんなセシルの手を取る。
「セシル、次は真ん中の兄貴を知ろうぜ。な?」
「うん!」
目指すは宮殿の封印。
そしてヨハンをも救わねばならない。
できれば次兄の本性も「ドラゴンを見たら甲高い声を出すような男だったらいいな」とセシルは思った。