クリスタルレイクの本気
セシルは呆然としていた。
使者からもたらされたのは皇帝の死。
それも馬には赤い旗が舞っていた。
赤い旗は緊急事態を表す。
つまり皇帝の死は自然死ではない。毒殺ですらないだろう。
誰の目にも明らかな他殺だったに違いない。
もし二人の兄のどちらかが帝位を継げば、せっかくの講和はご破算になる。
皇帝を殺害したのは、おそらく神族。
セシルが帝位を継ぐことができれば、真犯人を暴くことができるはずだ。
親の無念を晴らしたいとは思わない。あくまで講和のために帝位が必要なだけだ。
セシルは父親への情はない。触れ合ったこと自体が少なすぎて他人よりも心の距離が遠い。
子どものころは愛して欲しいと思ったこともある。だが男装に違和感を感じるようになった少女時代からは、敵としか思えなくなった。
殺意を抱かなかったのは、それでも実の父だと思っていたからだろう。
ただセシルはわかっていた。皇帝は自分に対して毛ほどの興味もない。
いてもいなくても同じ。邪魔であれば容赦なく殺しただろう。
それでもなお、セシルは悲しかった。
あんな人でなしの死が悲しかったのだ。
もしかすると、もうすぐ親になるからなのかもしれない。
夫のカルロスはそんな彼女に寄りそった。
それだけでセシルは癒されるような気がした。
「これからどうする?」
カルロスの質問にセシルはビクッとした。
これは別れなのだ。
セシルは皇帝にはならない。
だが皇帝の跡目争いには飲み込まれる。それは避けられない。
カルロスやクリスタルレイクに迷惑をかけるわけにはいかない。
この村の戦力は国を滅ぼすことはできるが、統治するのは無理なのだ。
アッシュが本気にならなければ……。
「せめて、この子だけは自由にしてやりたかった……」
セシルは腹をなでた。
「自由にしてやる」
「え?」
カルロスはいつものどこか気弱な騎士ではなかった。
そこにいたのは海賊カルロス。
「俺の子を自由にする。そして女房もな」
「どう……するの? もう遅いんだ。もう……私の素性はすぐに白日の下にさらされる。よくてこの子とともに軟禁。悪くて処刑だ」
「俺が……俺たちがなんとかする」
「アッシュに頼るのはやめて。アッシュは……私の希望なんだ……。いつかこの腐った国を、いや世界を変えてくれる男なんだ。まだアッシュを皇帝にしてはだめだ。アッシュにはこの国を憎む理由はあっても、この国を救う理由はない」
「それは……違う。なあアッシュさん!」
戸が開いた。
その先に仮面をつけたアッシュがいた。
アッシュだけではない。
アイリーンやアイザック、クリスやベル、それだけじゃない。瑠衣やクローディアもいた。
「もちろんだ。俺にとってセシルは……姉さんみたいなものだ。カルロスは兄貴みたいなものだ。二人を助けるのに理由なんているのか?」
「いいのか? 菓子職人を続けることはできなくなるぞ。夢だったんだろ?」
「店はなくなっても、ドラゴンも悪魔も友人として食べに来てくれるさ。それよりも今は家族がいなくなる方が怖い」
「アッシュ……君も怖いものがあるのか……」
「ああ……レベッカに会う前は怖いものなど何もなかった。でも今は家族がいなくなるのが怖くなった。俺は弱くなったのかもしれない」
アッシュは仮面をつけたままだった。その表情はわからない。
ただ戦闘用の仮面は不気味に見えた。
怖いはずなのに、なぜかセシルは安心した。
「違う……。アッシュ、君は強くなったんだ。そうか、クローディア。あなたはそれを演劇を通して教えたのか……。アッシュを人間にしたのだね……」
セシルはクローディアを見つめた。
クローディアは小さく笑う。
「違うよ。私は手伝っただけ。アッシュちゃんはアイリーンちゃんやレベッカちゃん、それに村のみんなと出会って育ったの。演劇はただの授業の一つ」
アッシュはその場に座り込んだ。
こうやって目線をセシルに合わせたのだ。
「セシル、よく聞いてくれ。俺を雇わないか?」
「雇うってどういうこと?」
「俺は傭兵だ。雇われればどんな危険な任務もこなす。セシルとカルロス、それに二人の子を守る。そうだな、とりあえず帝位を奪おうか」
「君は元傭兵だろ。それに雇うとしたら報酬はなに? アッシュ、君はおそらく人類最強の傭兵だ。君に払えるだけのものは持っていない」
「報酬は新大陸。俺に新大陸をくれ。俺はドラゴンと悪魔と人間が共存する国を作る」
「元から新大陸は君のものじゃないか」
「人の法で俺のものにしてくれ」
セシルは自分の目から熱いものが流れているのに気づいた。
ようやくセシルは自分の欲しかったものに気づいた。
そう、セシルは家族が欲しかったのだ。
その欲しかったものをもう手に入れていたことに気づいたのだ。
セシルは感極まってえずいた。
えずきながら、なんとか声を絞り出す。
「……ふふふ。わ、私の弟はご、強欲じゃないか。……国を欲しがるなんて」
「ああ。姉さん、いや姉上。俺を雇ってくれ」
「そ……そうだな。グス、じょ、条件があるぞ」
「なんでも言ってくれ。力技で叶えてやる」
「ふふふ、私を女帝にしてくれ。私はこの子をちゃんと育ててやりたい」
セシルはここで決断した。
女であることを公表しようと。そして女のまま兄たちと戦おうと。
そしてちゃんと子どもの親をしてやろうと。
「だってさ、カルロス兄さん」
アッシュはおどける。
「アッシュさん。なんだかムズムズするからいつも通りで頼む。この海賊カルロス! 女帝をさらわせてもらうぜ!」
「もう……ばか……」
「それで、アッシュさん。なにか計画があるんですか?」
アイザックが口を挟んだ。
さすがにアイザックでもすぐには作戦を思いつかなかったのだ。
「コリンくんにがんばってもらう」
「は? え、どうやって?」
「ドラゴンの存在と、セシルの子がドラゴンに祝福された子だと公表する。それで真っ向勝負だ」
アイザックは口を開けた。
呆れているのかと思ったら、目が輝いていた。
「その案、最・高……」
その計画は不良の心を刺激した。
目はキラキラと輝き、顔にはつやが出ている。
「計画を詰めましょう。やばい、楽しすぎる。アッシュさんに挑むのも楽しいけど、これはこれで楽しい!」
「あーあ、うちの旦那が壊れた……」
クリスがため息をついた。
「でも私もセシル姉の味方だから。なんでも言って」
最後にアイリーンがアッシュの膝の上に座る。
「アッシュはかっこいいな!」
「そうかな?」
「うん。かっこいい。セシル、私も、いや、クリスタルレイクが手を貸すよ。まあ私が一番力がないんだけどな」
そう言ってアイリーンはアッシュの胸にそっと寄りそった。
「いや、アイリーンはすごいよ。一番最初にアッシュが凄いことを見抜いたんだ」
とうとうクリスタルレイクの人々が本気になった。
それを見ていたオデットは言葉を挟むことができなかった。
ただアッシュの敵に回ったものたちへ同情していた。