ノーマンの陰謀
ベルの言ったとおり、アッシュはノーマンとの和平会議に招集された。
アッシュは招集指令書を嫌そうな顔をして持っている。
アッシュの顔を見てアイリーンもなんだか不安になってくる。
「どうしたアッシュ? アッシュらしくない」
「いやさあ、どうも場違いな感じがしてさあ。俺は傭兵だったから上の方のことはわからないし。そもそも戦争の理由だってわからないしさ」
アッシュは心の底から困った顔をする。
「でも、クリスタルレイクだって、新大陸だって、ノーマンとの国境沿いなんだから行かないわけにはいかんのだ」
「だよねえ……」
などと人ごとのように話すアッシュたち。
だがそれを盗み聞きするものがいた。
ノーマン第十二潜入工作部隊所属、ジュリア・モラエス。
普段は薬種商としてクリスタルレイクに潜入している。
瑠衣に正体は知られているが、悪意はないので野放しにされているちょっと残念な工作員だ。
ちなみにセシルについては瑠衣たちに徹底的に邪魔をされているため気づいていない。
彼女の任務は国境を接する地、新大陸の実質的な領主であるアッシュ・ライミの調査である。
「やはり……休戦交渉に招集されたか……」
アッシュの評価はクルーガー帝国では正体不明の貴族である。
第三皇子の右腕であり、魔女と呼ばれる女伯爵と婚約している謎の存在である。
だが一方、ノーマン側はアッシュを詳細に分析していた。
ノーマン側の報告書によると、アッシュは傭兵から武功だけで貴族に成り上がった伝説の軍人。
数多くの魔道士を葬ったことから『魔道士殺し』、砲台を担いでいるため『人間砲台』、狙った砦は必ず陥落するため『砦壊し』などと評価は様々である。
他にも甲冑を握りつぶしたとか、人間を槍のように投げて武器にしたとか、その姿を見たオーガが蜘蛛の子を散らすように逃げたとか、軍用犬がおなかを見せて服従したとか、まことしやかにささやかれている。
どちらかというと人間よりは化け物と思われている。
歴史的にも敵国の優秀な軍人はたいてい尊敬されるものだが、アッシュの場合は『いい子にしないとアッシュが来るよ!』としつけに使われる存在である。
ノーマン共和国の常識では、そこまで優秀な軍人が出世しないはずがない。
ノーマンであれば、功績に見合ったポストに恩給、勲章などの名誉も与えられるはずだ。
奴隷契約の借金を返し終わったので厄介払いされたり、戦災で滅びた村に屋敷を買って農家をやったりなど、考えられないほど非常識なことだ。
戦況をひっくり返すほど優秀なのだから、侯爵という地位も、新大陸の総司令官に任命されたのも当たり前である。
さらに文化人としてもありえないほど優秀である。
芸術を愛し、劇場を誘致し、女優や文化人とも親交がある。
しかも領地内の劇場からスターも輩出している。
さらには領地の観光地化に成功し、戦災で焼けた村を一大観光地に押し上げた。
最近では飴細工などの芸術品も作り出すことに成功した。
さらには独自のコネクションを築き海軍を掌握し、ノーマン艦隊が全滅した新大陸の探索を行った。
残念なことに新大陸はクルーガー帝国のものになるだろう。
まさに救国の英雄である。
ノーマンであれば偉大な指導者になるであろう。
いや確実に次世代の指導者として担ぎ上げられるはずだ。
それほどノーマン側はアッシュを評価していた。
ゆえにノーマン側としてもアッシュの動向を注視している。
ジュリアは話を聞くと報告書をまとめた。
帝国の英雄アッシュが和平交渉団に加わる。
和平交渉団に報復のおそれあり。
注意すべき。……と。
要するに……ノーマン側も幾重ものバイアスがかかり、アッシュの真の姿を見ていなかったということである。
ちなみにこの件に関しても、瑠衣はわりとどうでもいいと思っているので放置している。
特に和平交渉の面々もアッシュを恐れていた。
なにせアッシュは遭遇イコール死と噂される最強の戦士である。
前回の和平交渉の使節団が殺害された件の報復で皆殺しにされる。
これは冗談ではなく、現実問題としてありえる展開だった。
「げふッ!」
ノーマン側使節団の会議中、老人が血を吐いた。
この老人、何を隠そう使節団長である。
あまりのストレスに胃潰瘍を患ってしまったのだ。
ノーマンの使節団長として殺される覚悟はしているが、人間としての尊厳もなくひねり殺されるのは嫌だった。
恐れがストレスとなり、使節団長の体を蝕んだ。
まるで呪いのように。
交渉の日が近づくにつれ、不眠、気分の落ち込み、極度の不安などが使節団を襲った。
怖い。アッシュが怖い。
ストレスと過労、そして恐怖によって、次々と使節団の面々が倒れていく。
「そ、そうか……これが……クルーガー帝国の新兵器なのか……」
責任問題をかわしたい使節団の一人が無理のある説を言い出した。
組織間の風通しの悪いクルーガー帝国にそんな高度な技術力はない。
「なるほど、そう考えれば自然だ。さすがアッシュ、会う前に我々をつぶす作戦に出たか」
これまた責任を取りたくない一人が陰謀論に相乗りした。
アッシュがそれほど悪辣なら、真っ先にクルーガー帝国ごと皇帝を滅ぼしたであろう。
それなのにアッシュの悪評は勝手に盛られていく。
「あの悪魔のような男がなぜ帝国なんかにいるのだ……」
評価しているがゆえの台詞である。
「ぐう、これも和平反対派のせいだ! やつら売国奴のおかげで我々が名誉もなく死なねばならぬとは……あまりに理不尽!」
ついには我が身を嘆くものまで現れた。
「で、でもどうすれば……」
すると頭に白いものが目立つ男が言った。
「我が国に取り込んでしまってはどうだろう? 我が国は出自にこだわらぬ。なによりも血統が優先される帝国では息がつまるだろう」
まだノーマン共和国側はアッシュが継承権持ちの皇帝の一族だという確証を得てなかった。
ノーマンの常識から考えれば、アッシュが侯爵だというのは救国の英雄にポストを与えるための公然の嘘である。
侯爵の嫡子が奴隷まで堕ちるなんてことがありえるはずがない。
白髪の男は笑う。
「くくく……今度こそクルーガーを滅ぼせるかもしれぬ。アッシュさえ手に入れればな!」
こうしてアッシュの知らないところで、アッシュの悪名は魔改造され広まっていくのだ。
そのころアッシュは……
「にいたん!」
「レベッカ!」
ひしっ!
もふもふもふもふもふ。
「いつも仲がいいなあ。お姉ちゃんとも遊んでくれよー」
アイリーンはスねた声を出す。
「あい!」
レベッカがアイリーンに飛びかかる。
いつもの仲良しさんだった。