ベル姉さんの計画
ベルはアイザックの店……ではなく、クローディアの酒店に行く。
アイザックは領地持ちの男爵になったというのに、クリスタルレイクに居座り、好き好んで酒場の店長をやっている。
アイザックの酒場は特殊な店だ。
特に気取った店ではないのにセシル派のセレブ御用達、正確には疲れた貴族のたまり場だった。
最初こそ村人や海賊も飲みに来て、夕方には村人向けに惣菜の販売までしていた店だったが、いつの間にか大人の雰囲気漂う高級店になってしまった。
最近では海賊たちは遠慮して、クローディアの酒店の前に椅子とテーブルを置いてそこで飲んでいる。
クローディアの酒店は、クローディアが直接やっている店ではない。
元は帝都のスラム街で作った酒の保管用倉庫であった。
だが、小売りしろという村人たちの圧力に押され小売りをするようになったのである。
従業員は村人や新大陸からの出稼ぎ労働者が大半である。
そこにアイザックの店に居づらくなったおっさんたちが、勝手にテーブルと椅子を置いて店の前で飲んでいるという情けない状態である。
情けない状態と言えども、そこに商売があるのならと屋台もやって来て、軽い屋台村のようになっている。
食べ物がうまいため、最近ではだんだんと貴族もそこで食べるようになっている。
次におっさんたちがどこに行くかは不明である。
エイデンたち騎士も、クローディアの酒店の前で飲んでいた。
やはりセレブの御用達の店は通いにくいのだ。
そこにベルがやって来る。
「ベル嬢。いかがいたしましたかな?」
エイデンがいかめしい顔で言った。
エイデンが子どもと女性には優しいことはわかっている。
だからベルは恐れなかった。
「エイデン様にご相談がございます」
ベルはエイデンに『様』をつけて持ち上げた。
あくまで組織表では、ベルはアイリーンの副官であり文官のトップという位置にいる。
アイザックの部下であるエイデンの役職と比べると、直接ではないが上という面倒な立場である。
だがベルは上からものを言うことはなかった。
相手は経験豊富な騎士で、うんと年上で、しかも今や男爵であるアイザックの親みたいなものだ。
ベルがへりくだる理由は無数にある。
「なんの御用でしょうかな、レディ。殿の性根をたたき直すのであればいくらでも手をお貸しいたしましょう」
それにエイデンは女性と子どもには紳士なのである。
近衛騎士の経験から処世術として女官を敵に回さないことを徹底しているのか、それともクラーク家の男が基本的に女たらしなのかは不明である。
「いいえ。今日は真面目なお話です。エイデン様は中央を追い出された女官にお心当たりはございませんか?」
「なくは……ない。とだけお答えしましょう。どうしてそのようなことをお聞きになるので?」
エイデンは興味を引かれたのか、ベルを真っすぐ見ていた。
「セシル様の女官が足りません。セシル様の派閥や敵対派閥の影響を受けておらず、それでいて能力の高い女官をすぐに集めねばなりません」
「なるほど……そこまでは考えつきませんでした。でもよろしいので? 追い出されたもので」
「ええ、その手のスキャンダルはたいていは恋愛が原因ですから」
エイデンはうなった。
あまり褒められることではないからだ。
「知己のもので数人……心あたりがあります。ただし、女官としては地位が低くセシル様のお世話をするにはじゅうぶんではないと存じます」
「かまいません。できれば出産経験のある方をお願いいたします。……もちろんご家族もこちらに来られてはいかがでしょうか?」
ベルは言外に『旦那さんの方も騎士として再就職できるよ』と言った。
実際図星だったらしく、エイデンは「ははは……」と力なく笑った。
「ではよろしくお願いいたします」
そう言うとベルは去って行く。
他にも当たらねばならないのだ。
エイデンは『とんでもない娘がいたものだ』と力なく笑った。
次にベルは海軍詰め所に行く。
マルコの部屋に行く。
するとチェスが椅子に座って寝ていた。
「チェスさん」
「ごごごー。んが」
いびきをかいている。
ベルは鼻をつまむ。
「むご……むごご!」
チェスの目がカッと開く。
「な、なんだよ! ベル」
エラそうにチェスは言った。
「チェスさん。あなたに仕事をしてもらうことになりました」
そう、クリスタルレイクで明確な仕事に就いてない最後の女性。
それがカルロスの妹のチェスだった。
「な、漁の手伝いはしているぞ!」
本当に手伝いだけである。
「いいえ、チェスさんにしかできない仕事です」
ベルはチェスを見据える。
その真剣な目にチェスは少しおびえた。
「な、なんだよ」
「これからお義姉さんの身の回りのお世話をしてもらいます。行儀見習いには出たことがあるのは確認済みです」
「い、いや、無理だって! 行儀見習いたって、騎士のとこだぞ。いくらなんでもセシル義姉さんの世話は無理だって」
必死になってチェスは否定した。
だがベルは許さない。
「ダメです。これはチェスさんにしかできません。わかりますね。最後にセシルさんを守るのはチェスさんです」
「な、なんで……そこまでするの?」
ベルはそこで初めて笑顔になった。
「なにかあったらドラゴンちゃんたちが悲しみますから。それにセシル様になにかあって、お兄さんがキレたらどうなりますか?」
チェスは考えた。
普段怒らないやつが爆発するのは一番恐ろしい事だ。
その筆頭格がカルロスである。
やるときはやるタイプというよりも、獣のように凶暴なのだ。
「海賊をまとめて海を制覇。敵をなぶり殺し……?」
チェスはつぶやいた。
やりかねない。あの兄ならやりかねない。
チェスは確信した。
動乱の世界を作りかねない。
アッシュや悪魔も怒って兄に力を貸すだろう。
世界の半分は滅びるに違いない。
チェスは確信した。
世界のためにもやらねばならない。
「……わかった。やる」
チェスは義務感から依頼を受けた。
そしてベルはつぶやいた。
「最後にコングさんのところにも行きませんとねえ」
まだ計画は終わっていなかったのだ。