女性たちの結婚式
アイリーンは新聞を購読している。
その環境はごく最近になって大きく変化した。
新聞には二種類ある。
遠隔地用の羊皮紙版と帝都とその周辺の都市用の紙版である。
羊皮紙版はおおむね二週間に一回、紙版は毎週二回発行される。
帝都にショートカットが開かれたため、アイリーンは紙版を購入できるようになった。
アイリーンはお茶を飲みながら新聞を読んでいた。
紙版は情報が多く読みごたえがある。
その中の一つの記事を目にしたとき。
アイリーンは静かにカップを置いた。
「……時代が来たな」
その表情は満足そうだった。
該当の記事の見出しはこのようなものだった。
『帝都美術館大盛況。謎の天才菓子職人現る。天下一の飴細工に魅入る人々。』
アイリーンはニヤリと笑った。
まずアイリーンはクローディアと組んでアッシュを俳優デビューさせることで、世間に自分の恋人を時代を先取りしたイケメンと認めさせた。
次に侯爵の末裔であることを暴いて立派な紳士であることも認めさせた。
次は得意分野で世間に認めさせてやるのだ。
こうしてアッシュに足らない健全な自尊心を回復させるのだ。
それら全てはアイリーンの手の平の内だった。
アイリーンは顔はいい。
スタイルも申し分ない。
悪魔だとか人間だとかに関しては認識が雑で差別などはしない。
貴族にしては金や権力、名誉への執着もほとんどない。
生活も徴税官であり庶民の生活を知っているし、さらには後方が主と言っても戦場を知っているので他の貴族の娘よりは慎ましい。
友人や味方、部下にまで優しいし、面倒見もいい。
一度は関係を切った実家も嫌々ながら面倒を見ている。
なんだかんだと言ってアイリーンは義理堅いのだ。
やや男前すぎるが、それでも貴族の子女としては破格の内面である。
美しい内面と評しても許されるだろう。
だが人間というものには必ず二面性があるものだ。
アイリーンも同じだった。
まずアイリーンは犯罪者には容赦がない。
場合によっては法律を破っていいと思っているほどだ。
これは正義感から来ているものだが、その激しさは悪魔の狩りを許しているほどだ。
もう一つは、自分がバカにされることは笑って許しても、仲間への侮辱は許さない。
という激しい一面である。
仲間を傷つけたものは草の根分けても報復をする。特にそれがアッシュに関することならば。
アイリーンは実は結構怖い女なのである。
そんなアイリーンは新聞を持って出かける。
もう一人の同志。セシルの所に行くのだ。
ガードナー家の領地は帝都近郊にある。
セシルはそこで指揮を執っていた。
本来ならセシルは王族。
歓待される身分であって、もてなす準備をする側ではない。
だが今のセシルは本気だった。
自分の派閥の力を見せつける?
国にセシルここにありと認めさせる?
国を乗っ取る?
全て違う。
セシルはそんなものはどうでもよかった。
いやよくはないのだが、優先度は限りなく低かった。
それよりも優先されるべきはアッシュだった。
侯爵だからではない。
優秀な芸術家だからだ。
むしろ今まで見過ごしてきたのが悔やまれる。
セシルは後悔した。
傭兵として延々と戦場にいた時間を工房での修行に当てれば……今ごろは歴史に残るような大作を作り上げただろう。
そう考えるとあまりの後悔に夜も眠れないのだ。
もう時間を浪費することは許されない。
アッシュの作品を世間に発表し、永遠に残る方法を探さなければならない。
ガラスでも彫刻でもいい。
手段など選んでいられないのだ。
セシルは張り切って指示を出す。
「そこは飴の花を飾る。みんな頑張るぞ。我らの力を見せつけるのだ! お菓子の楽土を作ろうぞ!」
人間に化けた蜘蛛たちが『飴欲しいなあ……』という顔をした。
セシルの目が光る。
「ふはははは! レベッカ飴ならあるぞ。皆の衆、並ぶがよい」
セシルは飴の入った袋を差し出す。
レベッカの顔が描かれた飴である。
セシルは蜘蛛たちの使い方がよくわかっていた。
飴をもらった蜘蛛たちの士気が高まっていた。
「おー、おー、セシル姉やってるね」
そんなセシルたちの所へ久しぶりに聞く声がした。
礼儀作法の勉強でクリスタルレイクを離れていたクリスである。
「おー、久しぶ……」
セシルは固まった。
人妻だとしてもクリスはアイリーンと同じ名誉男子枠だった。
確かに顔かたちは悪くない。
だがどうしても悪ガキのイメージ、どこまで行っても元気な村娘なのである。
色気などあるはずがない。
だが……
「な、な、な、な!」
セシルは度肝を抜かれた。
わなわなと震えながら指をさす。
蜘蛛たちも「あんれー?」という顔をしていた。
「どうよ」
クリスはきれいになっていた。
クリスタルレイクにいたときも、化粧品のサンプルなどを使っていたので決して汚いわけではなかった。
だが名誉男子枠のアイリーンの雑な化粧や、セシル男装時の魔改造レベルの厚塗り化粧は参考にならなかった。
「どうよって……ほぼ別人じゃ……」
それほど違った。
髪はかつらだろう。
だが違和感はない。
髪が長くなったこともあってか受ける印象が全く違う。
勝ち気そうな目もメイクで穏やかそうに見える。
貞淑そうな夫人。
今のクリスはそう言えるだけの雰囲気だった。
「うっわ、クリス。すっごくかわいい♪」
もう一人の名誉男子が来た。
アイリーンだ。
「ふふふーん♪ どうよ!」
クリスがその場でクルクルと回る。
言葉は雑だが、その動きは手の先まで洗練されていた。
まさにエレガントであった。
「こ、この短い間に……ど、どんな恐ろしい特訓を……」
アイリーンは驚きすぎてわけのわからないことを口走った。
なにせ次は自分の番である。
アイリーンも最近までダンスすらまともに踊れなかった身である。
この大変さがよくわかっている。
「ふふふ。愛故に……」
クリスは余裕ぶった。
説明が面倒だったのも少しある。
なにせ地味な反復練習の結果なのだ。
面白くもなんともない。
「あ、愛! 愛なのか!」
アイリーンが拳を握った。
なんとなく『燃える』展開である。
少し感性としては間違っているが、向上心には繋がるだろう。
アイリーンは「がんばれよ!」と拳を突き出すと、今度はセシルに新聞を渡す。
「なんだこれ?」
「中にアッシュの記事があった」
アイリーンが記事を指さす。
「お、おおおお! 凄いじゃないか!」
セシルは素直に喜んだ。
感動に打ち震えていたのかもしれない。
一応パトロンであり、発掘したのはセシルだ。
ここまで注目されるのは感動である。
パトロン冥利に尽きると感じているのだろう。
「たぶん結婚式当日はアッシュの作品を見に来る人も来るかもしれない」
「いや確実に来るだろうな」
そう言うと二人は握手をした。
クリスもなんとなく手を乗せる。
「やるぞ! 私たちの女としての幸せのために!」
セシルが言うと三人はときの声を上げた。
なんとなく雰囲気に呑まれて。
「「えい、えい、おー!」」
女衆は必死だった。
クリスタルレイクの男たちはボケッとしている。
危機感が足りないのだ。
だから女子の力でなんとかしなければならないのだ。