軍師ゼイン
動く死体。いわゆるゾンビの襲撃を受けたパトリックたちが立てこもる砦では瞬く間に絶望感が広がっていた。
自分たちもあのゾンビの一人になるのではないか?
あの世にも行けず怪物としてこの世を彷徨うのではないか?
噂が一人歩きし兵士たちを恐怖の渦に叩き込んでいた。
ある見張りの兵士が泣き言を言った。
「俺たち……あの連中の仲間になるのかな?」
その兵士に歴戦の風格のある男が怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎! よく考えやがれ。犠牲者はむしろ減ってるだろうが。敵さんもどう攻めればいいかわからないのさ」
怒鳴りつけた男は傭兵団の兵長だった。
どこにでも腹の据わった男というのはいるものだ。
団長はその傭兵としての経験からわかっていた。
確かに動く死体は気持ち悪いし怖い。
だが動きは緩慢、奇抜な作戦を決行してくるだけの知能もない。
なによりなぜかノーマン軍が攻めてこないのだ。
戦いようはいくらでもある。
団長はわざと豪快に笑う。
「がはははは! お前さん。子どものころ、お化けが怖くて小便しに外に行けなかったタイプか!」
そのまま兵士の背中をバンバン叩く。
「そんなことはねえけどよう」
兵士は団長に上目遣いで言った。
「がはははは! 本物のお化けを見たんだ。これからは怖くねえな」
それを見て他の兵士もぷっと思わず笑ってしまう。
しばらく絶望的な空気が流れていたがそれで少しだけ雰囲気が良くなる。
この団長は人心の掌握術を理解していた。英雄の気質があると言っても差し支えのない優秀な人物だった。
だが団長は理解していた。
もしノーマン軍が死体と共闘したら。
死体を操っているのがノーマン軍だったら。
だとしたらこの砦は終わりかもしれないと。
一方ノーマン共和国軍側もその現象を持て余していた。
死者への冒涜という生理的な嫌悪感は兵の士気を著しく低下させていたのだ。
砦を攻める大隊のテント、その中の指揮官のテントの中で男が悩んでいた。
600名の部下を預かるエルドリッチ少佐である。
エルドリッチ少佐も死者への冒涜に頭を悩ませる一人だった。
エルドリッチは思った。
なにを考えているのだ。
普通の人間というのはこんな非道な行いに耐えられるようにはできていない。
それを強要するのは逆に効率が悪い。
現に兵士たちは死体との共闘に拒否感を感じている。
明らかにこれは人間の心を無視した無謀な作戦なのだ。
だがエルドリッチ少佐にはそれを止める術はない。
なぜならこの作戦の立案者は軍師のゼイン卿である。
エルドリッチから見てもゼインは少なくとも准将よりも発言権があるように見えた。
そんな軍師ゼインに少佐でしかないエルドリッチが逆らうことなどできなかった。
だがどうしてもエルドリッチには納得のできない疑問があった。
それは軍師ゼインの存在そのものへの違和感だった。
エルドリッチにはどうしても思い出せないのだ。
ノーマン共和国の指揮系統には軍師という階級はなかったはずだ。
外部のオブザーバーや分析官はいるが決定権はないはずだ。
それにエルドリッチ少佐は軍師などという階級がいつ作られ、いつゼインが就任したのかまったく憶えてないのだ。
少なくともそんな人事があれば事前に耳に入ってきて内部で賛成派か反対派に属することを求められたはずだ。
しかしエルドリッチには内部闘争の記憶も当然あるはずの就任式の様子も内部向けの通知の記憶もないのだ。
それに考えれば考えるほどわからない。
いったいゼインは何者なのか?
どうやってあれほどの死体を操っているのか?
考えれば考えるほどわからない。
いやそれよりも、なによりも一番恐ろしいのはゼインの存在に疑問を抱かない上官たちだ。
どうして誰も軍師に疑問を持たない?
エルドリッチは悩みながら報告書を書いていると声もかけずに設営したテントに男が入ってくる。
エルドリッチはその失礼な態度にやれやれと呆れたがあくまで笑顔でいることにした。
「これはこれは軍師どの。ご機嫌麗しゅう」
エルドリッチの挨拶に答えることもなく早足でセカセカと入ってきたのは栗色の髪をだらしなく伸ばし、よれよれの軍服を着た軍人らしくない男だった。
この男が下級兵士なら怒鳴りつけてやるところだがエルドリッチはあくまで笑顔を絶やさない。
なぜならこの男こそ軍師のゼインなのだ。
ゼインはエルドリッチをギロリとにらむ。
傍目にもイライラとしているのがよくわかる態度だ。
ゼインがイライラしているのはいつものことだった。
おそらく人間が嫌いなのだろうとエルドリッチは思っている。
ゼインはそんなエルドリッチの考えを読んだようにもう一度にらんだ。
「軍師どの。いかが致しましたか?」
ゼインはここでようやく口を開く。
「この無能が。はやく砦を落とせ」
無能と言われてエルドリッチは内心はらわたが煮えくりかえっていたがあくまで笑顔で対応する。
「そう言われましても皆疲弊しておりまして……あの動く死体を皆が恐れております」
「これだから愚図どもは」
軍師はさらにイライラとする。
「軍師殿のあまりにも高い位置にあるお考えは我々のような凡人には推し量ることもできません。愚図を動かすのが軍師殿の器量でございます」
端的に言うと「兵士が怯えてんだろ。だったらてめえが兵士を動かしてみろよ」と、いう意味である。
エルドリッチに許される最大限の嫌味であった。
「わかった」
ゼインが突然そう言った。
「なにがでございましょうか?」
エルドリッチがあくまで笑顔でいるとゼインがエルドリッチの前で手を広げた。
「お前には失望した。お前は見所があると思って術をかけないでやったが失敗だった。我の傀儡になるがいい」
ぱつん。
突如としてエルドリッチのいたテントの明りが消えた。
それがエルドリッチが意識を永遠に失ったのだと理解する機会は永遠にやってくることはなかった。
「さてエルドリッチ。戦え。お前ら愚図な人間が苦しめば苦しむほど我の力は増大する。殺し合え、蹂躙しろ、汚らしく、惨めに」
ゼインの言葉を聞いてエルドリッチは意識の存在しない虚ろな表情で答えた。
「はい。ゼイン様のご意志のままに」
「ふん愚図が」
ゼインは吐き捨てた。
何を隠そうゼインこそ封印されていた悪魔だった。
戦争の犠牲者の血を使い封印を解いた元人間の悪魔なのだ。
ゼインには人の不幸が必要だった。
ゼインを封印したあの美しい悪魔に復讐するために全ての人間を抹殺し悪魔も餓死させてやるのだ。
そのためには大量の不幸。
それと効率的な不幸の収集が必要だった。
ゼインは知っていた。
不幸を収集するには戦争の長期化、泥沼化が一番効率が良い。
だが人間は普通に戦わせても決して全滅はしない。
人間の本能がなせるのか、それともただ単に薄汚さゆえか必ず何割かは生き残るのだ。
だからこそゾンビを作り恐怖に震えた人間と戦わせ効率的に兵士の精神を疲弊させようとしたのだ。
それなのに人間はあくまで言うことを聞かない。
まるで生きていた頃と同じだ。
かと言って洗脳を繰り返せばその分の不幸の収穫量が減る。
ゼインは人間という生き物の面倒さにイライラとしていた。
「今度こそ滅ぼしてくれる」
ゼインは独り言を言うと両手を挙げる。
暗い闇がゼインを覆う。
「我が眷属よ。人間どもを蹂躙しろ!」
ゼインがそう言うと外から悲鳴が上がる。
「くそ! 死体が入って来やがった!」
「なんてことだ! 早くバリケードを修理しろ!」
「盾で押し戻せ!」
その悲鳴を聞きながらゼインは嗜虐的にニヒルを気取って笑った。
その頃、クリスタルレイク。
「ところで収穫どうしようっか?」
アッシュはアイリーンにたずねた。
アイリーンたちはアッシュの畑の収穫物を砦に持っていく予定なのだ。
アイリーンは渋い顔をする。
「うむ、村人に収穫の手伝いを頼むしかないな」
「村人って……年寄りと子どもしかいませんよ」
「……え?」
アイリーンは固まった。
「だってこの村、20人しかいませんもの。それも7割は子どもですよ」
「それは困ったな……」
「ですよねえ。それに運ばないと」
「農業とは難しいものだな……しかたない近隣の村や傭兵ギルドに頼もう」
「そうですね。それがいいと思います」
アッシュがそう言うとお邪魔虫がやって来る。
「にいたーん!!!」
ぼすっとレベッカがアッシュの足に飛び込んでくる。
そのままアッシュの体をよじ登る。
「あのね。あのね。ベルお姉ちゃんとかくれんぼしてたの!」
「よかったなー」
アッシュはよじ登ってきたレベッカを捕まえて抱っこする。
すかさずアイリーンがレベッカをなでる。
「それで楽しかったか?」
「うん!」
「そうか。お姉ちゃんも疲れただろう。お茶の用意をするから呼んで来てくれるか?」
「あーい」
アッシュがレベッカを下ろすとレベッカは尻尾を振りながらベルと遊んでいたひまわり畑へ急ぐ。
「アッシュ殿」
アイリーンが真剣な顔をした。
「真剣な顔をしてどうした?」
「レベッカを頼むぞ」
「ああ……わかった」
「じゃあお茶を飲もう」
アイリーンはアッシュの胸をコンッと叩いた。