貴族の結婚式
村人としては豪華な結婚式を挙げたというのに、それが無効になってもう一回結婚する。
今度はアイザックが男爵家に婿入りする形だ。
つまりもう一度お祭りがあるのだ。
ドラゴンたちはソワソワしていた。
好物である『楽しい』のにおいを嗅ぎつけていたのだ。
さらに悪魔たちも話を聞きつけたのだ。
ドラゴンたちははしゃいでいた。
花火よりも楽しい楽しいイベントが間近に迫っていたのだ。
意味もなくしったんしったんと跳ねていた。
レベッカは終始にこやかで『うふふ♪』と笑っている。
ベルはそれを微笑ましいと思っていた。
完全にクリスタルレイクに毒されていたのである。
別の場所ではカラスとドラゴンの青龍が会話していた。
直接触るとドラゴンは消滅してしまうためカラスはきちんと距離をとっていた。
「クリスが貴族になるらしい」
青龍が言うとカラスはカアと鳴いた。
「姐さんの結婚式とあれば半端は許されぬ。悪魔の本気を見せねばなるまい」
不穏な空気が流れた。
前の結婚式の時はまだクリスは一般人だった。
だがクリスは今やカラスやタヌキ、蜘蛛を雇用する実業家である。 実際は若すぎるし、経営のノウハウも持たないため担がれた神輿状態ではあるが、それでもクリスがいなければ新大陸の淑女亭もカラスもタヌキも手を貸さなかっただろう。
それがわかっているのでブラックコングも文句の一つも言わない。 クリスは職人たちにとっては頼れる親方であり、アーティストたちにとっては自由の象徴だったのだ。
本人はまったく自覚していなかったのだが……
職人集団であるカラスたちは思った。
かつてない結婚式にしようと。
王たるアッシュの結婚式も近いはずだ。
だったらその前哨戦としてド派手にしなければならない。
とカラスたちは義務感を持っていたのだ。
カラスたちは各地に潜伏している職人たちを招集した。
新しい発想がなく銀も扱えないが、巣作りの本能がそうさせたのか彼らは優秀な職人である。
その本気が今まさに暴走しようとしていた。
さらに別の場所。
タヌキたちとオデットが話していた。
すでに混ぜるな危険である。
「クリスちゃんの結婚式ですが、かつてないほど派手にしないと淑女亭から出入り禁止にされてしまいそうです」
悲壮な表情でオデットが言った。
なにかやらかしたらしい。
タヌキたちも『うお、すげえ』という顔をしていた。
オデットは続ける。
「というわけで私はクローディアに泣きつきました」
自慢することではない。
だがこの手段は普通なら間違いではない。
オデットは形式上、クローディアの弟子ということになっている。
徒弟制度がまだ生きているこの世界では、弟子の不始末は親方の不始末になるのだ。
つまり連帯責任である。
「クローディアは言いました。『無理』と」
普通なら親方に泣きつくのは良い選択だった。
だが残念なことに演劇と魔術以外の分野に関してクローディアはポンコツである。
オデットは泣きつく相手を間違えていた。
「というわけでタヌキの皆さんお願いです! 手を貸してください!」
タヌキたちはいい顔をしていた。
みんないい顔で親指を立てていた。
完全に面白半分である。
遊びの延長なのだ。
だがタヌキにとっては遊びとは本気でするもの。
手抜かりは一切ない。
花火を超える究極のエンターテインメントでなければならないのだ。
タヌキたちも仲間をかき集めた。
劇場、見世物小屋などに潜伏する仲間をかき集めた。
さらにクリスタルレイクやスラム街、さらに新大陸からも協力者を呼び寄せる。
そしてこの段階でクローディアも参戦する。
暴走に次ぐ暴走。
もはや誰も止められなくなっていた。
アッシュはというと……困っていた。
なにせアッシュは結婚式と聞いて新郎の友人として参加だと思っていたのだ。
実際は主家の当主という責任ある立場で出席することになったのだ。
いや出席ではない。むしろ主催者なのである。
まずは挨拶状。
セシル派の貴族全員に手書きの招待状を出さねばならない。
アッシュはロメロ教授にちゃんとした読み書きは習っているが、儀礼には疎い。
細かい文法や言い回しが貴族っぽくないのだ。
だからセシルの監修下で手紙を書く。
アイリーンでもこのレベルになると難しいのだ。
「まずは季節の挨拶からだ」
セシルは羊皮紙の束を取り出す。
すると朗らかに言った。
「どれがいい?」
アッシュはその量に圧倒された。
聞けば定型の挨拶だけで数百。
組み合わせれば、挨拶はそれこそ無限にあるとのことである。
「……一番無難なもので」
アッシュは引きつりながら言った。
どれがいいかなんてわかるはずがない。
「じゃあこいつだな」
セシルに渡された文章をメモ帳代わりの板にろう石で書き写す。
クリスのいつものスタイルだが最近職人たちに流行っているのだ。
「あとはこっちの詩を添えろ」
セシルはぶ厚い本をドンとテーブルに置く。
高級品の紙製の本である。
「二百年ほど前の詩の大全集の写本だ」
セシルは腕を組んでいわゆる『ドヤ顔』をした。
貴重な品に違いない。
「この中の詩を丸写しするだけで文化人っぽく振る舞えるという素晴らしい品だ。王族はこうやって権威を維持してきたのだ」
セシルは身も蓋もないことを言った。
だが確かに全ての王族が文化人というわけではない。
時としてこういったものも必要なのだ。
アッシュは言った。
「詩とかはわからないので適当なもので……」
「うむ。文化人ぶることは貴族社会において必要だぞ。それだけ権力と金があると相手に伝えることができる。それに女を引っかける時も使う……ってこいつはアイリーンに殺されるから聞かなかったことにしてくれ。とにかくあとで家庭教師を雇おう」
そう言うとセシルは本を開いた。
そしてその中の一節を指さす。
騎士の英雄譚である。
「忠義心溢れる騎士の恋愛物語だ。こいつなら男にも女にも受けがいい」
アッシュは詩を書き写す。
中身はそれっぽいのが仕上がった。
アッシュはセシルにできあがったものを差し出す。
「うんいい出来だ。……だがアッシュ……君は字が下手だな……」
それは仕方がない。
傭兵では読み書きの出来るものすら少ないのだ。
セシルは悩む。
「うーん……貴族が達筆とは限らないからな……よし代筆を頼もう!」
結局代筆を頼むことになった。
これだけでアッシュは魂が抜けそうなほど疲労した。
そんなアッシュにセシルは言った。
「アッシュ、主家の当主として部下の結婚は大事なイベントだ。どれだけ派手に行うか。それで貴族としての勢いが値踏みされる。わかるな?」
「もちろん」
「まあ心配するな。私も親友夫妻の結婚式に手は抜かん。ブラックコングにちゃんと頼んだよ。見てろ! ライミ家の最強伝説を刻み込んでくれる!」
セシルは腰に手を当てて男笑いをした。
悪魔、人間、それにドラゴンがそれぞれ友だちの結婚式を派手にするために動き回っていた。
誰かがそれを知っていたとしても、もはや誰も止めることなど出来ない。
そんな空気だったのだ。