ドラゴンライダー
封印された悪魔の復活、それと同時期に示唆されたドラゴンの復活。
歴史的転換点と言えるほどの大きな出来事だったがクリスタルレイクはのどかなものだった。
消えたドラゴンはまだ復活してないし、動く死体どころか盗賊すらも現れていなかった。
実際は瑠衣やその配下が盗賊を地獄に招待していたのだがそれをアッシュたちは知らなかった。
アイリーンにもまだ動く死体の話や父であるベイトマン卿の処遇の話は耳に入ってなかった。
だから彼らは穏やかな日々を過ごしていたのだ。
もちろんアイリーンは頭の片隅でこの幸せな日々に終わりが来ることを知っていた。
だがアイリーンはなるべく終わりから目をそらしたかった。
その日、アッシュたちは彼らの中では非常に大きな問題をこなしていた。
レベッカの折れた羽の問題である。
とは言ってもアッシュ特製の湿布の交換くらいしかやることはない。
アッシュはレベッカの包帯を解き乾いた湿布を取り外した。
もう何度も交換しているのでレベッカも慣れていた。
哀れなほど折れ曲がっていた羽も真っ直ぐになり、見た目には治療できたように見えた。
アッシュの作業を見ていたアイリーンが感心した。
「ほう、なるほど。これが傭兵の治療薬か。これだったらすぐに飛べるようになるな」
ところがアッシュはそれを聞いて渋い顔をした。
「それが野鳥とかだと風切り羽が折れてしまうと飛べないって事もあるんだ」
もちろんレベッカはコウモリのような羽を持つドラゴンなので風切り羽はない。
それ以前に羽が小さすぎて飛べないように思える。
「え、でもドラゴンはどうなんだ?」
「わからない。飛竜以外のドラゴンを見たのも初めてだ。飛竜は翼が折れたらどうする?」
「強い生き物だから放っておいても大丈夫なはずだ。レベッカ、羽は動くか? やってみてくれ」
「あい」
レベッカは目を閉じてぷるぷると震えた。
するとレベッカの小さな羽がパタパタと動く。
「おお! 動いた」
「おー偉い偉い」
アッシュはレベッカをもみくちゃにする。
「やーん♪」
レベッカは大喜びである。
「ほれほれほれほれ」
すりすりすりすりすり。
「ひゃいーん♪」
レベッカは大喜びで尻尾を振りながらアッシュの手にしがみつく。
「ほーら、アッシュ殿、飛べるかどうか見るんだろ?」
「あ、ああ。悪い」
アッシュは相手が貴族だというのにもうずいぶん前からぞんざいな口調で話していた。
それをアイリーンもベルも特には咎めなかったし礼儀作法を知らないアッシュも敬語は苦手だった。
「じゃあレベッカ飛んでみて」
瑠衣の言葉を信じれば、幸せを切らせたせいで起こった現象だ。
ドラゴンは滅多なことでは怪我をしないはずなのだ。
つまりレベッカは今なら飛ぶことができるはずなのだ。
「あい」
アッシュがあまり他人には伝わらない優しい顔をするとレベッカは手を上げて返事した。
するとレベッカはきゅっと身を縮めると羽を広げた。
とは言っても元々小さい羽のため広げてもたいした大きさではない。
それがピコピコと動く。
アイリーンたちが見てもなんというか非常に鈍くさい動きだった。
そもそも鳥は一目見ただけでも飛べるような形にできている。
飛竜もまた同じだ。
だがドラゴンはどう見ても飛ぶための形をしているようには見えない。
アイリーンはだんだんと不安になっていった。
レベッカはさらに羽をピコピコと動かす。
するとレベッカの体が光りはじめた。
「行くです!」
レベッカの体がホバリングしながら浮かぶ。
小さな羽でレベッカは飛んだのだ。
明らかに自然な力ではないものが働いてる。
アッシュもアイリーンも感心して見ていると、だんだんとレベッカのアゴが浮いて行く。
息が上がり、羽だけではなく手足もピコピコと動かす。
「も、もう無理!」
そしてわずか数秒で飛行は終わった。
「へふ、へふー……」
レベッカは息を切らせながら床に寝転がる。
どうやらレベッカはスタミナは少ないらしい。
アッシュは頭をいい子いい子となでながら聞いた。
「大丈夫か?」
「……すごくがんばりました」
「お、おう。痛くないか?」
アッシュは痛みを確認する。
無理をして怪我を悪化させたらまずいと思ったのだ。
「あ、痛くないです」
息の整ったレベッカは今度は喜んで跳びまわった。
「怪我は治ったようだな」
「あい!」
レベッカは尻尾をふりふりした。
でもレベッカはなにかを思い出すと尻尾を丸めた。
「あのね……」
「なんだレベッカ? どうした。痛かったか?」
アイリーンもオロオロする。
「レベッカ痛かったらちゃんと言え。お姉ちゃんがにいたんを叩いてあげるから」
「ううん。違うの」
レベッカは自分の尻尾をぎゅっと抱きしめた。
「どうした言ってみろ」
「あのね。痛い痛い治っちゃったら、にいたんたちとバイバイしなきゃダメ?」
レベッカは意を決して言った。
レベッカはすまなそうに下を向いている。
「なんだそんなことか」
アッシュは笑う。
アイリーンもふふふと笑った。
「レベッカ。ずうっと家にいてくれ。お母さんが見つかってもお母さんと一緒にこのクリスタルレイクに住めばいい。みんなで暮らそう」
アッシュの言葉を聞いてレベッカの表情がぱあっと明るくなった。
「うん! にいたんと一緒にいる!」
そう言うとレベッカはアッシュに抱きつく。
そのままスリスリと頬ずりする。
そしてレベッカはアッシュの肩へよじ登った。
「お、どうした? 肩車か?」
「ううん。あのね、あのね」
「なんだ」
「怒らないでね♪」
そう言うとレベッカは口を開け……アッシュの肩へかぶりついた。
「おお!」
痛くはなかった。
それは甘噛みだった。
レベッカはアッシュの肩をはむはむしていた。
「どうしたレベッカ?」
はむはむする。
アイリーンも少し心配になる。
「お、おいレベッカ。そんなものぺっしなさい!」
「いいのーはむはむ」
そしてしばらく甘噛みするとアッシュの肩から口を離す。
「あのね! 盟約において……えーっと……なんだっけ?」
きゅっとレベッカは首をかしげた。
「……えっとそれで、レベッカとにいたんは家族になりました!」
とっくに家族のつもりだったアッシュは首をかしげる。
なにか意味があるのだろうか?
困ったアッシュがアイリーンの方をみるとアイリーンは何かを理解したような顔をしていた。
「もしかしてそれは血の契約か! レベッカはアッシュ殿と契約をしたのか?」
「うーんと、それ?」
ひとりアッシュだけが置いてけぼりにされている。
「アイリーン。どういうことだ?」
「おとぎ話のドラゴンライダーだよ! アッシュ殿、今日から君がレベッカのドラゴンライダーだ。君はドラゴンと一心同体になる。君の命はレベッカの命とリンクし、無限の力を発揮する……けど」
アイリーンがレベッカをちらっと見る。
「まあ危険性はないな。レベッカ、私とは契約はしないのか?」
「だってお姉ちゃんは瑠衣お姉ちゃんと契約済みですよ」
「うん?」
アイリーンは首を捻った。
全く覚えがない。
誰と誰が契約したというのだろうか?
そしてアイリーンは思い出した。
契約書だ。
契約書にアイリーンの署名を書く場所があった。
その時だ。
だがどういうことだろうか?
瑠衣に会ったら問いたださなければならない。
「え、えっと、瑠衣お姉ちゃんとはあとで話し合うぞ」
「あい」
レベッカは素直に頷いた。
アイリーンはこのゆるい空間が好きだった。
貴族の暮らしより何倍もこの小さなドラゴンや善良な大男と暮らす方が楽しかった。
だがアイリーンはアッシュに戦場に戻るように頼みに来たのだ。
だから楽しい暮らしに終わりは必ずやって来るのだ。
「アイリーン様!」
ベルが乱暴に食堂のドアを開けた。
「なんだベル。レベッカが恋しくなったか?」
アイリーンはこの家でレベッカに一番過保護なベルをからかった。
ところがベルは真剣な様子で言った。
「アイリーン様。よくお聞きください。殿が決死隊を編成し砦に立てこもりました。砦は敵に包囲された模様です」
「そうか……砦は落ちそうなのか?」
「いえ、そこまではわかりません」
「わかった」
ベルにそう言うとアイリーンはアッシュの方を向いた。
「アッシュ殿。すまないが畑の果物やひまわりの種を全て譲って欲しい」
「ああ。わかった。今から全て収穫する」
それだけを頼んだアイリーンにベルは聞く。
「アッシュ殿の助力をお頼みしなくてよろしいのですか?」
アイリーンはニッと笑った。
「アッシュ殿はドラゴンライダーだ。こんな程度の戦いには出せん。もっと大きな事のために戦う身だ」
そしてアイリーンは何かを言いかけたアッシュの胸を叩く。
「アッシュ殿はレベッカや悪魔たちのことだけを考えるべきだ。人間は私に任せろ」
アイリーンの心中をおもんばかって黙るアッシュを置いてアイリーンは食堂を出て行く。
ベルも慌ててアイリーンの後ろをついていってしまった。
食堂に残されたのはアッシュとレベッカだけだった。
二人になるとアッシュはレベッカに言った。
「なあ、レベッカ。お姉ちゃんは好きか?」
「あい! 大好きです。ベルお姉さんも好きです!」
「俺も好きだ。もちろんベルさんも好きだ」
「あい!」
「アイザックもカルロスも好きだ」
「あい!」
「だから俺を手伝って欲しい」
「あい!」
アッシュはレベッカの頭を撫でた。