皇帝の勘違い
セシルはふらりと宮殿に立ち寄った。
自分の実家である。
文句を言われる筋合いはない。
白塗りはいつもより2割厚く。
いつもの品のいいドレスではなく、道化のようなバカみたいな格好をしていた。
つけヒゲまでつけると誰もセシルが女だと気づかなかった。
いや違う。誰も早々と跡目レースから脱落したセシルに興味がなかったのだ。
宮殿では蜘蛛であるゲイツがセシルの護衛をしていた。
危機が迫ればゲイツがセシルを逃がす算段である。
だが危険はなかった。
白塗りの変わり者は宮殿では有名だったし、誰もがバカにしていた。
今になって考えるとこの宮殿での生活は異常そのものだった。
セシルは確信を持って言える。
ここの連中の価値観が間違っているのだ。
セシルは玉座の間に勝手に入る。
アポイントはない。
だがもはや皇帝というものに興味のなくなっていたセシルには、規則などどうでもよかった。
玉座の間に入ると父親である皇帝が暇そうにしていた。
頭は禿げあがり、顔にはシワが増えた。
肩幅は小さく見え、50そこそこのはずなのにその姿は老人そのものだった。
「父上。ご機嫌麗しゅう」
ほとんど接点のない皇帝はセシルを一瞥すると心底興味なさそうな顔をした。
「どうした息子よ。新大陸の話か?」
一応、知識としては息子だと認識できたことにセシルは驚いた。
なにせ自分の子どもの性別すら知らない親だ。
親子の縁などというものはない。
セシルからしてもすでに親ではないのだろう。
それを自覚してたセシルは親子の関係とかを無視して本題に入った。
「それもございます。が、もっと重要なことが判明しました」
セシルはもったいぶった言い方をした。
意味はない。単なる嫌がらせだ。
「ほう……申してみよ」
「では失礼いたします。ライミ侯爵家の正当な継承者を発見いたしました」
ブッと皇帝がむせた。
そのまま激しく咳をする。
「父上……お加減がよろしくないのでしょうか?」
「げ、げふ、い、げふ、いや、問題ない……」
セシルは無表情のままだったが、内心ではゲラゲラと笑っていた。
あまり褒められたことではないが、それはセシルの長年の鬱積した感情があっての行動だった。
咳が鎮まると皇帝は恐る恐るセシルに聞いた。
「そ、それでだ。そのライミのせがれはどういう男だ」
(『せがれ』か。男か女かも言ってないのに。相当焦っていらっしゃるようだ)
セシルはそれを顔に出さなかった。
こういう腹芸は徹底している。
「非常に心の真っ直ぐな少年でした」
セシルはそう言った。
間違いは一つもない。
そう、アッシュはまだ17歳である。
少年なのだ。
妙に大人びていて、顔もオッサン顔だが、それでもアッシュは十代なのだ。
セシルはそれを当然のように知っていた。
「しょ、少年!?」
皇帝の声が裏返った。
少年と言われたせいだろう。
目も輝いていた。
「い、いくつだ! その子はいくつなのだ!?」
「17歳のはずですが。あ、いえ、もうすぐ18歳になると言ってました」
皇帝の表情が明るくなった。
セシルにはその意味がわからなかった。
なにせセシルにはアッシュが10代だという事実の方が当たり前であり、皇帝がどうしてそのような反応をするのかがわからなかったのだ。
「そうか。そうなのか。うん、それは素晴らしい。今すぐにでも侯爵家を継がせるべきだ」
セシルは急に乗り気になった皇帝に不気味なものを感じた。
だが皇帝はまくし立て、セシルの思考を妨害した。
「ライミ家は我が家の親戚。ふむ、良家の娘との縁談をしてやらなければな」
皇帝は上機嫌だった。
かすかに鼻歌まで歌っている。
このままでは勝手に話が進んでしまう。
セシルは訂正をした。
「あの父上。その件ですが……」
「ああなんだ?」
「私の友人の娘と結婚予定です」
本当は娘の方と友人なのだが、それはぼかす。
幸いなことに、ぼかしたこと自体が悟られることはなかった。
「ほう! それは素晴らしい! セシル。お前は優秀なようだな」
皇帝は張り切っている。
「それではその少年を宮殿に招待しよう。ふふふふ、めでたいめでたい」
皇帝は勝手に盛り上がった。
セシルはその姿に違和感を感じていた。
どうにも噛み合わないと。
それもそのはずだった。
皇帝はアッシュを少年だとは思っていなかった。
オッサンだとは思っていなかったがもう少し年上だと思っていたのだ。
いやアッシュの両親を抹殺した年を憶えてさえいればこんなミスを犯すことはなかった。
だが皇帝にはそれは無理だった。
皇帝が闇に葬った人間の数は数十人にのぼる。
その全てを把握することなどできなかった。
それに皇帝は今現在でも暗殺を悪いことだと思っていない。
あくまで日常の皇帝としての業務の一部だった。
だから日付などあいまい。
殺したことすら記憶になかったのだ。
だが今やアッシュは皇帝をひねり殺すことなど容易いほどの力を持っている。
皇帝はそこで初めて人間への脅威を、絶対に勝てないものがいることを学習した。
だから皇帝はアッシュが怖くて怖くて仕方がなかった。
いつ殺されるかとヒヤヒヤしていたのだ。
そこでセシルの報告である。
皇帝はこう考えた。
ライミ家を復活させてしまおうと。
そしてクリスタルレイクをライミ家に押しつけてしまおうと。
あの厄介な連中はライミ家の血縁だ。
ライミ家を侯爵として叙任するのだから、皇帝は家と名誉を人質に取った形だ。
これで少なくとも殺されることはないだろう。
と、ずいぶん甘い考えをしていた。
それも仕方がない。
それほどまでに皇帝は追い込まれていたのだ。
つまり自業自得である。
「それではセシル。ライミ家への通達は任せた。余は宴の計画を考えよう。ではさらばだ!」
そう言うと皇帝は玉座の間を後にした。
少しスキップしていたかもしれない。
セシルは呆然とした。
まったく話が噛み合っていない。
しかも少し腹が立った。
セシルはとりあえず気を落ち着けようと深呼吸をした。
イラつきは霧散したが、やはりわけがわからない。
結局わけのわからないままセシルはゲイツに先導され、クリスタルレイクに帰るのだった。




