タヌキとエルフ 和解編
オデットはアッシュとレベッカの後をついて行った。
レベッカは尻尾をふりふりしながらアッシュの肩につかまっていた。
傍目には愛玩動物を連れた魔王が美少女を拉致する現場である。
だが勘で生きているオデットは、それほど付き合いも長くはないのに見抜いていた。
アッシュは優しい。
絶対にオデットに危害を加えることはないだろう。
その周りにいる悪魔たちも優しい。
だからオデットに危害を加えることはない。
アッシュも悪魔たちもオデットを殺すことは容易いだろう。
だがそれがない。
だからオデットは悪魔にも遠慮はしない。
本気で言い合いをした。
そして数倍返しでやり返された。
完膚なきものまで論破された。
クローディアの言うことは全くもって正しい。
あの悪魔は……種族を表すのではなく比喩的な意味での『悪魔』は歌も踊りも本物だ。
楽器の方もとてつもない奏者だ。
(だからこそムカつく!)
正しいが、正しいことと言うことを聞くかは別問題だ。
オデットはヘラヘラ笑いながら小さな街で褒められまくるのを望むくらいの器なのだ。
と、自分を評価している。
だからどこまでも自分に甘かった。
(努力など絶対にしない!)
このようにオデットは、一見すると楽器の才能のおかげでかろうじて存在を許されているように思える。
だがクローディアと喧嘩することができるほどの位置にいるのもまた事実なのである。
アッシュは足音を消していた。
アイザックやカルロスならアッシュの変化に気づいただろう。
だがオデットは凡人だった。
「アッシュさん、どこに行くんですか?」
するとアッシュとレベッカは指を口に当てる。
「しぃー」と言いたいらしい。
オデットは思う。
アッシュはいつも優しい。
オデットと歩くときも言わなくても歩く速さを合わせてくれるし、転ばないように見守ってくれている。
こんな紳士的な男性はエルフでは見たことがない。
だが決して手に入らない男だ。
なにせ悪魔たちはお人好しなので、重大犯罪さえ起こさなければ許してくれそうな気がする。
だがアイリーンやクリス、それにセシルは違う。
あれは危険だ。
オデットの生存本能はそう結論づけた。
三人とも男にちょっかいをかけようものなら、全力で報復してくるはずだ。
それも物理攻撃ではない、もっとタチの悪い手段でだ。
オデットは少しだけ緊張をした。
二人は館内を歩く。
するとアッシュは先ほどオデットが飛び出した部屋の前で片手を胸に当て、もう片方の手をオデットの前で開く。
ここで待てと言うことだろう。
するといきなり大音量が響いた。
それは先ほど大げんかした原因となった曲だった。
(練習……どうして?)
アッシュはレベッカを下に降ろす。
するとレベッカは「しゃきーん」としてアッシュに手を振る。
アッシュがドアを開けるとレベッカが中に入った。
「おばちゃーん!」
ぴたっと音が止む。
「あら、レベッカちゃん。どうしたの?」
「あのね。お使いなの! にいたんが『夕飯はなにがいいですか?』だそうです!」
「あらー偉いわねえ。あのね、アッシュちゃんに『練習するから作らなくていい』って言ってくれる?」
「あい!」
「それじゃあ、お駄賃。はい飴ちゃん。危ないから手に触らないように気をつけてね」
「ありがとう!」
レベッカがしったんしったんと跳ねる音が響いた。
全力で喜んでいるらしい。
「それでね……おばちゃん、どうして遅くまで練習するんですか?」
「うん? そうねえ、オデットちゃんって、顔は良いのに性格がねじ曲がっている残念な子なのね。でも天才なのよ。だから、おばちゃんも頑張らないと。今でもついて行くのがやっとなの。……ってアッシュちゃんに言っておいてくれる?」
「あい!」
レベッカの返事が聞こえた。
オデットは頭を殴られたように感じた。
クローディアはオデットより努力をしている。
なんの実績もないオデットに合わせるために努力をしているのだ。
このままでは、オデットはあまりにも自分が惨めで格好が悪く感じられた。
「ぐ、ぐう……」
オデットは奥歯を噛みしめた。
努力をしたくないのは事実だ。
それだけは反省しない。
だが今のままではクローディアに負ける。
技量の話ではない。
意地や根性という精神性で負けているのだ。
アッシュはオデットの肩を叩く。
「もう自分でもわかっているよね?」
アッシュの声は優しかった。
その手は大きくて暖かかった。
オデットはやる気を出した。
だがまだ少し足りなかった。
すると声が聞こえる。
「おばちゃんじゃあねー」
レベッカが帰ってきた。
するとレベッカはオデットに手を差し出す。
「はい!」
「なあに?」
オデットはレベッカに何かを渡される。
それはレベッカが先ほどクローディアに貰った飴だった。
「私に?」
思わずオデットは聞いた。
するとレベッカはニコニコしながら言った。
「あい! 飴ちゃんを食べると元気が出るのです!」
オデットは奮い立った。
子どもにここまでされて言い訳して逃げるなんて嫌だ。
格好悪いのだけは嫌だ。
オデットは猛然と室内に入る。
オデットは言った。
「練習するよ!」
クローディアは一瞬だけ目を丸くすると、破顔した。
「さあ! やるわよ!」
クローディアは上機嫌だった。
廊下に戻ったレベッカはアッシュの肩にしがみつく。
「あのね。にいたん、少しだけ聞いていっていい?」
「そうだね。じゃあ一緒に聞こうっか」
演奏が始まり、二人の歌声が聞こえてくる。
それはとても気合の入ったものだった。
「楽しいの!」
レベッカは尻尾を激しく振った。
そして眩くほどに光り出した。
「オデットちゃん、おばちゃんがんばれー!」
レベッカがアッシュをよじ登ろうとする。
レベッカはテンションが上がりすぎていた。
だから踏み外して落ちないようにアッシュはそっとレベッカを降ろした。
レベッカは足踏みをした。
「たのしいの! たのしいの! たのしいの!」
レベッカが手を上げた。
すると廃教会の崩れかけた壁がどんどんと修復されていく。
街路の脇に作った、まだなにも入っていない花壇に満開の花が出現した。
花によってスラム街は、帝都のメインストリートよりも華やかに彩られていった。
「ああ……これは……やりすぎたかも」
アッシュは苦笑していた。
外の客を迎える準備ができてしまったようだ。
街の整備を楽しんでいる蜘蛛たちには悪いが、花くらいは許してもらおう。
アッシュは納得することにした。
全て丸く収まった。……かのように思えたが……
「ちょっと! だから言ってるでしょ! そこのパートは強いの弱いの!?」
クローディアが怒った。
「そんなのお客の反応を見て適当にすればいいでしょ!」
オデットも言い返す。
「だから、他の人にもわかるように頭の中のイメージを説明しろって言ってるのよ!」
二人はすぐに口喧嘩を始めたのだ。
アッシュは微笑んだ。
もう笑うしかない。
「にいたん? ケンカさんですか?」
心配そうなレベッカの頭をアッシュはなでた。
「問題ない。二人はあれでいいんだ」
「そうなの~」
もはやそうとしか言えない。
だからアッシュは、もっといい提案をレベッカにした。
「よっし! レベッカ、一緒にお菓子作ろう。あとで二人に持ってあげようね」
「あい!」
レベッカは目をキラキラさせながら尻尾を振った。
アッシュはもう一度レベッカをなでた。




