タヌキとエルフ 罵り合い編
働きたくないと駄々をこねるオデット。
オデットは要するに他人に評価されることを恐れているのだ。
そんなダメ人間にタヌキは容赦なかった。
一緒に演奏をし、劣った部分を指摘し、時には怒鳴り合った。
その鬼のような表情はアッシュやアイリーンには、決して見せない顔だった。
まるで騎士団のしごきのようにクローディアはオデットを追い込んだ。
本気でお互いを罵り合いながら演奏をした。
こと才能という点においてタヌキは苦労をしている。
どんなに人間を理解しようとも、タヌキはヒト種にはなることはできない。
魔法の力を自由に操ることができても、仕組みを理解してないため人に教えることはできない。
人と暮らし、人の一生の喜びや哀しみを見守り、妻として人の最期を看取っても、それを言葉に紡ぐことは難しい。
どれほど歌を愛していても、人を感動させるような歌を創ることはできない。
それが悪魔という存在の限界だった。
クローディアからすれば、どうしてもオデットの態度が許せない。
ある程度の憎しみがそこにあったのは事実だ。
だがこの練習法を選んだ理由は、オデットにはこの方法が一番適しているからだ。
オデットは良くも悪くも天才だった。
オデットは常に弦楽器を気分で弾く。
あるときはかき鳴らし、あるときは耳障り良く流す。
だがそこに重厚さはなかった。
薄っぺらかった。
全てから逃げてきた性格が出ていたのだ。
完璧である必要はない。
クローディアも正確な演奏を求めてはいない。
この罵り合いにはもっと大きな目的があった。
「だから言ってるでしょ! もっとこう! グシャーってやつ」
オデットが青筋を立てて怒鳴った。
もうストレスが溜まりきっている。
「わからない! ちゃんと言葉にしなさい!」
クローディアが反論する。
「ううううう!」
オデットがうなった。
仕方がない。
今まで自分の演奏を考える事なんてしたことがなかったのだ。
オデットはなにをしたいのか?
それは単純だった。
適当に演奏して、気持ちよく褒められたいだけだった。
だがクローディアはそれよりももっと上を要求した。
「グシャーが自分の中でどういったものかもっと具体的に考えなさい!」
実はクローディアは「グシャー」でよかった。
それで充分合格点だった。
なぜなら方向性が定まっているからである。
そもそも、このタイプの勘だけで生きてきたものが、言葉で論理的に表現できるはずがない。
それをクローディアはちゃんと理解していた。
だが、オデットには自分の「こだわり」や「なにを表現したいのか」ということを考えさせる必要があった。
残念なことにオデットにはそれらを自らの意志で考えるという発想自体がなかった。
だから荒療治として喧嘩をしながら、クローディアを言い負かすために考えさせるという手を使った。
オデットのようなタイプにも色々といるが、オデットは優しさよりも罵り合いやつかみ合いの方が適していた。
さらにクローディアはハードな練習を続けることで、オデットの雑念を取り払う。
それは僧侶の荒行の一つと同じ仕組みだった。
徹底的に疲れさせ、なにも考えられなくする。
たいへん危険な状態だが、頭の方はいわば瞑想状態のようになる。
その状態で答えを出させるのだ。
すると怒りや喜びなど本能に直結したものが出やすくなる。
方法を誤れば恐ろしい洗脳であるが、クローディアは今まで何人もの歌手や俳優を育ててきている。
この方法はその中でも成功例の多い手段の一つだった。
だがその日は少し失敗だった。
「はい。今日はおしまい! さっさと寝ろ!」
クローディアの口調はきつかった。
ストレス管理に失敗し、朝から夕方までずっと罵り合いになってしまったのだ。
「ぜ、絶対にあんたを超えてやる! おぼえてろ!」
「このくらいで音をあげてるような娘が私に勝つなんて百年早いのよ!」
「きーッ!」
オデットは練習場を飛び出す。
オデットはヘトヘトだったが目がギラギラとしていた。
少し残念な性格のオデットは本気でクローディアに怒りを感じていたのだ。
オデットがいなくなるとクローディアは床に座り込む。
さすがに喧嘩しながらのセッションだ。
クローディアも疲れるのだ。
「ず、ずいぶん上手になったわね……」
この言葉も言わない。
本当はクローディアも褒めて育てた方がいい。
だがオデットはアッシュやアイリーンとは違い素直ではない。
性格が歪んでいるため、もっと追い込まねばならない。
クローディアはボロボロになりながら、自分の肩をポンポンと叩いた。
「少し追い込みすぎたかなあ……」
クローディアは小さくつぶやいた。
反発が強かった。思ったよりもオデットは頑固者だ。
少し、少しだけ追い込みすぎた。失敗したかもしれない。
クローディアは反省しっぱなしだった。
一方、オデットの方は激怒していた。
外に出ると木に八つ当たりをする。
オデットは木をひたすら蹴飛ばした。
「ふざけんな! あの年齢不詳のババア! いちいちケチ付けやがってー!」
さらに木を蹴飛ばす。
口調もいつものオドオドとした口調からは想像もできないほど荒くなっていた。
ストレスが溜まっていたのだ。
木を愛するエルフにはありえない行いだが、オデットはエルフの中でも変人だった。
オデットの怒りは相当なもので、パトロールの蜘蛛たちも遠巻きに見て近づこうとはしなかった。
だがオデットに近づくものがあった。
それは小さな生き物たちだった。
「「オデットちゃん!」」
聞き覚えのある声なのに妙に迫力があった。
オデットはそれに驚いて怒りが霧散し、思わず声の主を見た。
それはドラゴンたちだった。
後ろにはアッシュもいた。
「レベッカちゃん……みんな。それにアッシュさんまで……どうかしたんですか?」
オデットが聞くと、レベッカが言った。
「おばちゃんと喧嘩だめよー」
それに続いて他のドラゴンたちも言った。
「「だめよー」」
「な、なんですか! いいでしょ、あのバカタヌキのことなんて!」
オデットは怒るが、レベッカたちは真剣な顔をしていた。
いつもの「キリッ」よりもっと真剣な顔だ。
「あのね、あのね、おばちゃんの本当を見せてあげるね!」
レベッカが言った。
「え? どういうことですか?」
「いいから来るんだ」
アッシュはオデットへ手を差し出した。
「ちょっとアッシュさん。いやすごくいい体なんですけど……」
なぜかオデットは頬を赤らめる。
オデットは本当に何も考えずに本能のままに生きている。
「なんの話だ?」
「い、いえ。なんでもないです」
オデットはごまかすようにアッシュの手を取る。
「じゃあ行くぞ」
アッシュが優しく言うとドラゴンたちが尻尾を振った。
「みんなーいくよー!」
「おー!」
ドラゴンたちは手をあげた。




