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スラムの劇場 1

 スラムの葡萄酒の噂は、ほぼ都市伝説扱いだった。

 なにせスラムは嫌われていた。

 命より金を取る覚悟が必要だった。

 実際に入って調べた者は少ない。

 だが酒は実在した。

 流通量はごく少数。

 高位貴族御用達の高級料理店に卸された。

 ごく初期は酒の価値がわかる人間の口コミで広がった。

 政治的な会合や交渉時の「とっておき」である。

 次に豪商たちに広まり、最後に一口で良いから味わってみたいという食通が求めるに至った。

 アッシュやタヌキのところに殺し屋が差し向けられることもなかった。

 ドラゴンたちのハイテンションでの歌と踊りが必要なため、本当にごく少数しか生産できない。

 ゆえに酒類業界の勢力図を書き換えるほどの影響力はなかった。

 むしろ他の高級酒の売れ行きも釣られて絶好調だ。

 イチャモンをつける商人もいなかった。

 他にもスラムが理不尽なまでに治安が悪かったこと。

 殺し屋の住むスラムの半分を支配しているのがアッシュだったことも影響していた。

 実際のところは、アッシュの支配地域は平民地区よりも安全だった。

 地面にはゴミ一つ落ちていない。

 ゴミ回収や清掃、夜警の雇用を作ったせいで、昼間から酒をあおっている酔っ払いも減った。

 原資は酒や花きの売り上げである。

 なにより殺人や強盗をするような危険人物が、ある日突然消えるのだ。

 瑠衣たち悪魔による犯罪者狩りである。

 瑠衣の厳重注意やお仕置きから帰って来たものは貝のように口を閉ざし、それでも真人間になれないものは地獄へ行くことになった。

 安全になると今まで低調だった商売も活気づいた。

 上納金の方も、今までの顔役よりずっと安い。

 その金も住民のために使われているのがよくわかった。

 要するに悪いやつは排除して、税金を適正に使ったのである。

 それだけで住民は生活に希望を持てた。

 当初は悪の帝王と恐れていた住民も次第にアッシュを認めるようになった。


 そんなある日、帝都にはクリスタルレイクの主要メンバーがそろっていた。

 古い教会の食堂で話し合いをしていたのだ。

 話し合いと言っても、友人の集まりだ。

 ほぼ雑談。それぞれが好き勝手に話をしていた。

 アイザックとカルロス、それにセシルも一緒に飲んでいる。

 アッシュ、アイリーン、瑠衣はケーキとお茶。

 クリスは酒を希望したがケーキとお茶組にされてしまった。

 ベルとドラゴンたちもケーキ組である。

 そんな中、タヌキの女王クローディアは伝説になった酒を飲みながら言った。


「劇場を作りましょう!」


 アイザックは思わず言った。


「中央劇場がありますよね!」


 なにせ歴史と伝統のある劇場が存在するのだ。

 わざわざスラムに作る必要はない。

 クローディアは余裕の表情だった。


「それはそれ。これはこれ。もっとカジュアルなのが作りたいの! それに、そろそろオデットちゃんを本格的にデビューさせようと思ってるの」


 その目は本気だった。

 だからこそアイザックは聞く。


「クローディア、アッシュさんはどうするんですか? ここに作っても、悪の帝王が出るなんて噂が立ったら誰も来ませんよ」


「アッシュちゃんとアイリーンちゃんは中央劇場でデビューさせるわ」


「ぶふゅ! げほ、げほ! ちょっと叔母上!」


 アイリーンは咳き込みながらクローディアに詰め寄った。


「セシルちゃんが手配してるから大丈夫よ」


 セシルは上機嫌で手を振った。

 これまでなんの相談もない。


「それで新しい劇場のことなんだけどさ」


「ちょっと待てー! デビューってどういうことですか!?」


 クローディアは真剣な顔をした。


「私の勘がささやいているのよ。そろそろじゃねって」


 思わずアイリーンは黙った。

 タヌキの勘はかなりの高確率で当たる。

 理屈がないのになぜか当たるのだ。


「い、いつですか?」


「劇場の予定があるからまだ先よ」


 クローディアは笑った。

 アッシュはレベッカを膝の上に乗せていた。

 レベッカはアッシュの膝の上でニコニコしていた。

 アッシュはレベッカをなでながら言った。


「おばちゃん。オデットのデビューって演奏?」


「そうよ。タヌキとタヌキとタヌキと一緒に演奏するタヌキパラダイス! ……に出る予定」


 タヌキまみれらしい。

 アッシュは苦笑いした。


「でも叔母上。オデットもタヌキも帝都の流行曲じゃないぞ」


「うん。だからスラム街に劇場というか舞台をつくるの。流行曲じゃないなら『新大陸から来た天才』って売り出すのはどう?」


 クローディアは女優歴が長いせいかプロデュースも巧みだ。

 ただしなにも考えていない。

 本能と勘だけで生きている。

 だからもう笑うしかない。


「それに安心して。今度は連れて来られなかったスタッフまで総動員するから!」


 クローディアは立ち上がった。

 タヌキの全力は不安しかない。


「あー! 燃えてきたー! アイザックちゃんとカルロスちゃんは火薬用意して! 昔習った花火作るわよー!」


 ノリノリのクローディアは手を振り回す。

 レベッカも真似をして手を振り回した。


「そうよ! ゆるキャラが必要よ! コリンくん!」


 もしょもしょとゆっくりケーキを食べていたコリンが「なあに」とクローディアを見た。

 この騒ぎでもマイペースである。


「おばちゃんの所でアルバイトお願いします!」


「はい」


 こくんとコリンは顔を縦に振って返事をした。

 するとセシルがコリンに抱きつく。


「いい子!」


 セシルはそのままコリンをモフる。

 コリンは倒れて身をよじる。

 それを見てレベッカが立ち上がった。

 尻尾を激しく振っている。


「みんなー、コリンお兄ちゃんにとつげきー!」


「「とつげきー!」」


 レベッカとドラゴンたちがコリンに襲いかかった。

 コリンに抱きつくとそのままスリスリする。

 コリンはニコニコしながら身をよじる。

 ベルもどさくさ紛れにコリンに抱きつく。

 カルロスはそれを見ていた。

 ただただ見ていた。

 もの欲しそうに。

 その肩をアイザックは、ぽんっと叩いた。


「カルロス。お前も苦労してるんだな……」


「アイザック。クリスタルレイクの男はみんな同じだ」


 暑苦しい男の友情はさらに深まった。

 アッシュも微笑ましい気持ちでそれを見ていた。

 だがアイリーンは考えていた。


(花火? ……なぜだろう、嫌な予感がする)


 アイリーンは首をひねり、ケーキに集中していた瑠衣だけは完食し満足そうに優しく微笑んだ。

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