ある商人のスラム街探索記録 2
レヴィンは酒類問屋一行とタヌキたちの酒蔵へ向かう。
もはやレヴィンは開き直っていた。
タヌキの所に連れて行ってしまおう。
あとはタヌキや蜘蛛たちがなんとかするだろうから。
タヌキたちの酒蔵に着く。
外まで楽しそうな男女の歌声が聞こえてくる。
それはどれも美しいものだった。
特に低音の男の声が素晴らしい。
まるで舞台俳優のように良く通る声だ。
「ほう、上手いものですな」
酒類問屋は言った。
正体を知っているレヴィンは苦笑するしかなかった。
レヴィンはドアをノックする。
「夜警隊のレヴィンだ。酒類問屋を案内してきた」
レヴィンが声をかけると、ガタガタと音がした。
すると中から背の大きな男が出てくる。
仮面を付け、鋼のような筋肉を纏った男だ。
レヴィンの顔が歪み、酒類問屋たちは震え上がる。
そうそれはレヴィンの閉所恐怖症の原因を作った男。
スラム街の顔役の一人にして、血も涙もない武闘派。
奴の歩くところ、血と暴力が舞い散る。
悪の中の悪。悪の帝王アッシュだった。
そんなアッシュはスラム街で着ている派手で悪趣味な服ではなく、地味な作業着を着ていた。
アッシュはレヴィンを見ると言葉を濁した。
「ああ、えーっと……えー……ハニガンさんだっけ?」
それは適当だった。
アッシュは顔も名前も覚えてなかった。
「レヴィンだ! 鎧を潰された騎士だ!」
そこでようやくアッシュは思い出した。
「あー、あの。それでなんの用だっけ?」
レヴィンはいろいろ納得いかないが、あきらめた。
スラム街を仕切る男は器が違うのだろう。
あの程度の殴り込みは記憶するまでもないのだ。
そう納得したレヴィンは、自分がアッシュと戦ったときに鎧を着ていたことをすっかり忘れていた。
「ここの酒類問屋がタヌキたちの造った酒の話を聞きたいとのことだ」
偉そうな口調でレヴィンは言った。
後にレヴィンはアッシュの素性を知って度肝を抜かれるのだが、それはまた別のお話である。
アッシュは、ぽかーんとした。
全く知らなかったのだ。
「ちょっと待ってくれ。話を聞いて来るから」
「すまぬ」
アッシュは急いでドアを閉めた。
そして急いである悪魔のもとへ走る。
タヌキのクローディアだ。
クローディアは酒蔵の中に作った演劇の練習場でストレッチをしていた。
今は酒は入っていない。
演劇だけには真剣なタヌキなのだ。
アッシュは練習場に入る。
「おばちゃん! 酒を造ったのは誰だ」
一緒にアイリーンもストレッチをしていた。
なので代わりにアイリーンが言った。
「酒ってなんの話だ? 新大陸の酒は不味くて飲めたものではないが……」
そして当のタヌキは返事の代わりにブルブルと震えた。
滝のように汗も流している。
「叔母上ぇ~!」
アイリーンが詰め寄る。
「あ、あのね。おばちゃん何一つ悪くないのよ」
いきなり言い訳を始める。
ふるふると首も振る。
「じゃあ全て話してください!」
アイリーンに詰め寄られたタヌキは言った。
「あのね。あんたたちの結婚式に最高のお酒が欲しいなって思ったのよ。お酒って時間がかかるけど、あんたたちも結婚するまで時間が掛かりそうだからいいかなって」
動機は善意である。
「それでね。酒造の職人やってたのが子分にいたから、最高のを作ってって頼んだのよ」
ここも至ってまともである。
「そしたらね。なんかいいのできたんだけど、帝都の味と違うと、田舎者がってバカにされるじゃない! だから味のわかりそうな子に味見をして貰ってたのよ!」
荒ぶる善意。
最後の最後に余計な事をして騒ぎが大きくなってしまったのだ。
タヌキは常にこうである。
アッシュは苦笑いしながら言った。
「おばちゃん、下に酒類問屋が来たんだけど、どうする?」
クローディアは困った顔をする。
「そう言えば、親切な人が熟成する前にお酒を全部飲んでしまうのを防ぐ方法を教えてくれたって言ってたわね。うん、わかった! おばちゃんが会ってくる」
クローディアはストレッチを途中で止めると玄関に向かった。
アッシュもアイリーンも後ろをついて行く。
「やっほー♪ 問屋さん♪」
問屋はアッシュが出てきたときよりも度肝を抜かれた。
なにせ帝都の超有名人が出てきたのだ。
「く、く、く、クローディア・リーガン!」
演劇に興味が無さそうなレヴィンはよくわからないという顔をしていたが、酒類問屋は明らかに驚いていた。
驚きすぎて腰まで抜けそうになっていた。
「はーい♪ ようこそ我が酒蔵へ。遠慮せずに入って入って♪」
クローディアはごく普通に一行を通す。
度肝は抜かれていたが、酒類問屋はそれでもめげてはいなかった。
「あ、あの、クローディアさん。あ、あのお酒をぜひ、売って欲しいのです」
「あらら~♪ いいわよ~♪ では作るとこも見てくれるかしら~♪」
クローディアは上機嫌で案内する。
クローディアは一行を倉庫に案内した。
酒の樽がいくつも並んでいる。
するとタヌキたちが樽に向かって手を広げている。
それを見た傭兵たちが腰を抜かした。
少しでも相手の強さがわかる人間にはタヌキの恐ろしさがわかるのだ。
レヴィンは相手に敵意がないことまでわかるレベルのため、腰を抜かすことはなかった。
酒類問屋は驚きながら聞いた。
「あ、あの生き物たちは、なにをしてるんですか?」
「魔法で熟成を早める実験かな。音をぶつけてるのよ」
酒類問屋はよくわからないという顔をする。
「それでできたのが……」
すると大きなカラスが瓶を運んでくる。
「ひいっ!」
酒類問屋も腰を抜かした。
まだタヌキはよかった。
だがカラスは酒類問屋の許容範囲を超えていた。
「はい、飲んで」
飲まなければこの場で殺す。
と、いう風に酒類問屋には聞こえた。
「は、はい」
震える手で柄杓で酒を汲み、口を付ける。
酒場で飲んだ酒よりもコクが出ている。
「こ、これは!」
「でもこれは失敗」
「はいっ?」
クローディアはこの完成度の酒を「失敗」と言い放つ。
「だってこのレベルなら帝都で買えるし」
酒類問屋は腰を抜かしながらも、別な意味で驚愕していた。
魔法やよくわからない生き物まで使い、この女は何を作ろうとしているのだ。
どう考えても思考そのものが常識から外れている。
「それでねー。すんごいの作っちゃったのよ~♪」
クローディアはその場でくるくると回る。
「飲みたい?」
クローディアは笑顔で酒類問屋に迫る。
その顔は美しいのに有無を言わさない迫力がある。
「え、ええ」
「じゃあ! 行きましょうか! カモーン、コリンくん!」
クローディアは指をパチンと鳴らした。




