ある商人のスラム街探索記録 1
スラム街で製造された酒の噂は、瞬く間に飲食店や酒類問屋などの間で広まった。
とは言ってもスラム街は無法地帯。泥棒と詐欺師しかいない。
気を抜いた瞬間、金を持ち逃げされるだけだ。
おいそれと買い付けるわけにも行かない。
そこで一部の酒類問屋は傭兵などを雇いスラム街を調査することにした。
目標はスラム街に現れた謎の職人。
まずは酒を持ち込んだレヴィンを探して話を聞くのだ。
これはある酒類問屋の記録である。
昼前に酒類問屋たちは、スラム街と平民街を隔てる門から中に入った。
スラム街は門から平民街よりも遙かに素晴らしい石畳が広場へ続いていた。
ゴミ一つ落ちていない。貴族街よりも清潔な道が続いていた。
酒類問屋一行はあんぐりと口を開けた。
半月前は道は舗装されておらず、風が吹くと小石が飛んできたはずだ。
その道も汚物やゴミで溢れていたはずだ。
しかもその舗装された道を顔に入れ墨を入れた荒くれ者たちがさらに清掃している。
皮鎧の代わりにエプロンを、手にはナイフや斧ではなく、箒を持っていた。
無表情の彼らは、塵一つないほどに入念に掃き掃除をしていた。
そんな彼らの目は恐怖で染まっていた。
それはどう言いつくろっても異様な光景だった。
「な、なにがあったんでしょうか?」
酒類問屋が言った。
話を振られた傭兵たちもわからない。
「スラムの勢力図が変わったって話は聞いたが……いったいなにが……」
一行は内心ドキドキしながら広場へ行く。
いきなり強盗に襲われるかもしれないという心構えはしてきたが、不気味なほど平穏とは思っていなかった。
なにか空恐ろしいことが起こっているかもしれない。
広場に到着するとそこでは市が開かれていた。
スラム街の市と言えば盗品の即売所のはずだ。
犯罪だが、この区画では取り締まりはない。
普段なら近づくだけでも危険だ。
だが今は護衛もいる。安全なはずだ。
せっかくだから見ていこう。
少し危機意識が薄い行動かもしれない。酒類問屋は興味本位でのぞくことにした。
酒類問屋たちは市の幕屋の一つを見る。
老女が店番をしていた。
商品は植木である。
スラム街にしてはずいぶんと普通の商品だ。
「ずいぶん普通ですな」
傭兵も同感だった。
「普通ですね」
すると恰幅の良い男性が走ってくる。
そして酒類問屋を見ると「げっ!」と変な声を出した。
「あ、あんた酒類問屋!」
酒類問屋も男の身元に気づく。
「あ、あれ? たしかあんた花き問屋!」
「せ、セシル様裏切ったなああああああ!」
突然、花き問屋である恰幅のいい男が叫んだ。
その内容は酒類問屋には意味がわからないものだった。
「花き問屋さん。こんな他人様がいるところで叫んで、一体どうしなすったんです? セシル様が裏切るっていったいなんですか?」
花き問屋はきょとんとした。
「え? 酒類問屋さん。おたくはなんでここに?」
酒類問屋は一瞬ためらったが、相手は花き問屋、情報を教えても横取りはされないだろう。
情報が漏れても、そのころには酒を手に入れているはずだ。
だから素直に答えた。
「へえ、スラム街に腕の良い酒造りの職人がいるって聞きまして、話を聞こうと参ったわけです。それで花き問屋さん。あんたはなんでここに?」
「ええ、私は……秘密ですよ。セシル様が新大陸の苗がここで売られているから調べよと仰りまして。なんでも横流し品だとか」
「ほう、それはそれは難儀な」
わざと酒類問屋は「難儀な」と言った。
花き問屋が新大陸の苗を手に入れて、あわよくば自分のものにしようと思っているのをわかっての行動である。
ただ酒類問屋も花き問屋も知らなかった。
横流したのは何を隠そうセシル本人である。
わざと少量を流して反応を見ているのだ。
欲深そうなものに依頼して、懐に入れてからどう動くか。
その様子を監視して、苗がどれほどの価値があるかを調査しているのだ。
まだ花き問屋は自分が手の平で転がされていることも知らなかった。
「では、お互い秘密ということで」
酒類問屋が言った。
花き問屋は薄汚い笑みで答える。
「そうですな。お互い秘密ということで」
花き問屋と別れて広場の出口につくと、そこには「夜警隊詰め所」と書かれた看板を掲げた建物があった。
「こんなところに夜警隊とは。いったいなんのつもりでしょうか?」
傭兵が言った。
酒類問屋は、はてなんだろうという顔をした。
「とりあえずレヴィンさんのことも聞きたいので行ってみましょうか?」
荒くれ者が勝手に名乗っているだけの可能性はある。
だが手がかりは少ない。
最悪の場合、金で解決すればいいはずだ。
綺麗になったスラム街にすっかり気が緩んだ一行は、傭兵たちと詰め所に入る。
するとそこには制服を着たレヴィンがいた。
制服の胸には桃色のドラゴンの紋章が刺繍されている。
桃龍騎士団の紋章である。
ごく一部の人が見れば、スラム街にセシルの手が入ったことがわかる。
だが、皇族の立ち上げた騎士団と言えども、なんの実績もない第三皇子が思いつきで立ち上げたものだ。一般の知名度は低い。
当のレヴィンは、追い出された騎士業界の最新情報には疎かったし、高級品の情報誌や新聞を買う金もなかった。
スラム街の人間も中央の著名騎士団ならいざ知らず、地方の騎士団まではわからない。
むしろ夜警隊はアッシュの組織だと思っているくらいである。
酒類問屋は、情報として名前だけは押さえていたが、すぐには紋章とセシルを結びつけることはできなかった。
「レヴィン様! 見つけましたよ!」
最後に「様」を付けられたのは、いつのことだっただろうか?
レヴィンはキョロキョロと視線を動かした。
「レヴィン様!」
「お、おお、すまぬ。様をつけられるのは久しぶりでな。あは、あはははははは……」
レヴィンは言った。
かなり恥ずかしかったらしい。乾いた笑いでごまかした。
「それで、何用かな? わかっているとは思うが夜になる前に帰られよ。危険だからな」
ただし危険の質は大きく変わっている。
今は強盗の危険はない。
「この間の酒のことですが。ぜひ職人をご紹介ください!」
酒類問屋が頭を下げる。
レヴィンは「えーっ……」という顔をしていた。
「あ、ああ。い、いや、それがしの一存では……」
レヴィンの顔が青くなる。
「お願い申し上げます!」
レヴィンは大きくため息をついた。
「わかった。その代わり条件がある」
「なんですか! 私にできることならなんでもしましょう!」
「まず他言無用」
「へ、へえ」
もとより職人の情報は秘匿するつもりだ。
囲い込んで利益を独り占めにしたいのだ。
「次に命の保障はしない……いや、できない」
物騒にもほどがある。
酒類問屋は、職人がとんでもない荒くれ者なのだろうと勝手に解釈した。
「最後に、なにがあっても驚かないように。機嫌を損ねて殺されようとも、それがしには何もできぬ」
レヴィンのその目は本気だった。
酒類問屋はごくりとツバを飲み込んだ。
か、かわいい成分が足りない……げふ……




